102話:解放
雨だった。
冷たい雨。
都市の外壁を濡らし、石畳に細かな水音を刻んでいく。
市場は静かだった。
夜明け前。
物流区画だけが動いている。
ゴーレムトラック。
倉庫。
保存庫。
紡織工場。
製粉所。
都市は眠っていても循環を止めない。
その中央。
情報室。
セレスが地図を見ていた。
「……いた」
小さく呟く。
隣でジミーが肩をすくめた。
「随分と分かりやすい場所にいるな」
地図には赤印。
旧街道沿い。
廃鉱山跡。
そこへ何度も荷馬車が出入りしていた。
表向きは鉱石運搬。
実際は違う。
奴隷輸送。
ジミーが資料をめくる。
「最近、周辺農村の行方不明が増えてる」
「孤児も消えてる」
「借金奴隷も流れてるな」
セレスが静かに言う。
「全部繋がった」
空気が重くなる。
ミレナが拳を握った。
「許せない……」
その声には怒りが混じっていた。
かつての村も近かった。
貧困。
病。
飢え。
環境が崩れれば、人は簡単に売られる。
それを知っている。
だからこそ怒る。
グロマールは静かに立ち上がった。
「行く」
短い言葉。
それだけで全員が動いた。
軍区画。
マイクが部隊を整列させる。
槍。
弓。
短剣。
氷装備。
革鎧。
以前の村人達とは別人だった。
訓練。
教育。
食事。
環境。
全部が人を変えた。
マイクが笑う。
「ようやく“悪党退治”か」
グロマールが見る。
「殺しを目的にするな」
「分かってる」
マイクは真顔になった。
「守るために潰す」
それで十分だった。
都市外。
旧街道。
雨の中を部隊が進む。
風属性探索。
水索敵。
闇索敵。
魔力反応が見える。
数は多い。
護衛。
奴隷商人。
傭兵。
そして。
檻。
グロマールの目が少しだけ細くなる。
「いるな」
鉱山跡。
巨大な地下空間。
鉄檻。
鎖。
痩せた子供達。
獣人。
エルフ。
人族。
魔族。
全部いた。
静まり返っている。
目が死んでいた。
それを見た瞬間。
ミレナの顔色が変わった。
「……最低」
セレスは冷静だった。
「感情を優先しない」
「救出が先」
グロマールが頷く。
「マイク」
「任せろ」
次の瞬間。
土壁が地面から隆起する。
逃走路封鎖。
同時に風圧。
見張りが吹き飛ぶ。
「敵襲だぁ!!」
怒号。
傭兵達が武器を抜く。
その瞬間。
水が飛んだ。
ウォーターマスク。
顔面へ密着。
窒息。
悲鳴。
暴れる。
そこへ即座に氷結。
アイスマスク。
完全拘束。
次々と倒れていく。
速い。
圧倒的だった。
傭兵達は恐怖した。
「なんだこいつら!?」
「魔法騎士団か!?」
違う。
元村人。
元孤児。
元農民。
教育を受けた普通の人間。
それだけだった。
マイクが突撃する。
槍。
剣。
格闘。
全部が繋がっている。
合理的。
無駄がない。
「どけぇ!!」
傭兵を盾ごと吹き飛ばす。
風刃。
氷壁。
水鞭。
軍全体が連携していた。
詠唱はない。
止まらない。
敵が混乱する。
「なんでこんな連中がいる!?」
答えは簡単だった。
環境。
教育。
それだけ。
グロマールは奥へ進む。
奴隷商人の頭領がいた。
太った男。
豪華な服。
怯えた目。
「ま、待て!」
「金なら払う!」
「貴族も関わってるんだぞ!」
グロマールは止まらない。
男は震える。
「この世界じゃ普通なんだ!」
「貧民は売られる!」
「孤児は商品だ!」
「それが現実だろ!」
グロマールが静かに言った。
「違う」
男が凍る。
「環境が壊れているだけだ」
「人は商品じゃない」
静かな声だった。
怒鳴らない。
しかし冷たい。
男が後退る。
「理想論だ!」
「綺麗事だ!」
「お前の都市だけだろうが!」
グロマールは答えた。
「だから広げる」
その瞬間。
闇拘束。
男の身体が床へ叩きつけられる。
完全拘束。
戦闘終了だった。
檻の前。
ピーターが膝をついていた。
「大丈夫」
「もう終わったから」
泣いている子供がいた。
獣人の少女。
震えている。
ピーターは優しく治癒を流す。
光。
暖かい。
少女の涙が止まらない。
「……ほんと?」
「うん」
「帰ろう」
それだけで少女が泣き崩れた。
周囲でも同じだった。
誰もすぐには信じられない。
助けられる経験がないから。
優しくされる経験がないから。
それがこの世界だった。
ミネルバが治療を始める。
栄養失調。
病。
傷。
全部が酷い。
彼女の顔が少し曇った。
「……ひどい」
鎖跡。
火傷。
暴行痕。
子供達は静か過ぎた。
泣く気力すらない。
ミネルバは優しく抱きしめる。
「大丈夫ですよ」
「もう大丈夫です」
その言葉を聞いて。
初めて泣き出す子供がいた。
都市へ戻る。
ゴーレムトラックが救出者を運ぶ。
防寒具。
温かいスープ。
毛布。
全部準備済みだった。
都市門。
住民達が静かに迎える。
誰も騒がない。
誰も差別しない。
それがこの都市の普通。
ピーターが子供達へ言う。
「ここでは勉強できるよ」
「ご飯も食べられる」
「眠れる」
「働けるようにもなる」
エルフの少年が震えながら聞く。
「……売られない?」
ピーターは即答した。
「売らない」
その一言。
たったそれだけで。
少年は崩れるように泣いた。
都市中央。
夜。
グロマールは静かに外を見る。
灯り。
笑い声。
鍋の匂い。
遠くで学校建設が続いている。
循環は止まらない。
セレスが隣へ来た。
「広まるわね」
「奴隷商人を潰したって」
「そうだな」
「敵が増える」
グロマールは頷く。
当然だった。
奴隷制度。
貧困商売。
人身売買。
全部へ喧嘩を売った。
もう戻れない。
ミレナが小さく笑う。
「でもさ」
「助けた子達、笑ってたよ」
その言葉に少しだけ空気が柔らかくなる。
グロマールは静かに目を閉じた。
英雄ではない。
救世主でもない。
ただ循環を作る。
教育。
食事。
仕事。
医療。
人を売らなくても生きられる環境。
それだけ。
それだけで世界は変わる。
だから。
既得権は敵になる。
そして。
それでも進むしかない。
雨は止んでいた。
都市の空には、小さな朝日が差し始めていた。




