78話 冒険者ギルド9
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一同は建物を出た。
正面の喧騒を離れ、建物の脇を回る。
石畳はやがて土の道へ変わり、その先に広い空間が姿を現した。
冒険者ギルドの裏手だった。
本館の背後には別棟が建っている。
その隣。
木の柵で囲まれた広大な訓練場がある。
地面は踏み固められた土だった。
長年にわたって何千、何万という足が踏みしめてきたのだろう。
土は硬く絞まり、雨で削れた跡や無数の足跡が幾重にも刻まれている。
剣を振った跡。
踏み込みで抉れた跡。
何か重いものを引きずったような痕。
訓練場そのものが積み重ねられた努力を物語っていた。
場内には木人が何体も立っている。
丸太を組んだだけの簡素なものから、人型に近い形へ削られた者まで様々だ。
表面には無数の傷が走っていた。
少し離れた場所には藁を詰めた的が並んでいた。
矢が刺さったままのものもある。
中心付近へ集中しているものもあれば、端へ逸れたものもあった。
さらに奥には丸太を組んだ障害物や平均台のような細い木材が並んでいる。
足場訓練だろうか。高低差のある足場を飛び移るための設備にも見えた。
武器棚もある。
木剣、木槍、弓矢、木製の盾。
中には鉄製の武器まで掛けられている。
広い訓練場には誰もいなかった。
朝だからだろうか、人の姿はない。
聞こえるのは風の音だけだった。
それでも、静まり返った訓練場には確かな存在感がある。
誰もいないのに、ここでどれだけ多くの者が汗を流してきたのかが伝わってきた。
エドは無意識に唾を飲み込んだ。
ホニャは武器棚へ歩み寄る。
並んだ木剣や木槍を一瞥し、その中から一本の木剣を手に取った。
ごく普通の木剣だった。
特別な装飾もない。
長年使われてきたのか、握りの部分はわずかに艶を帯びている。
ホニャはそれを軽く振る。
ぶん。
空気が鳴った。
軽く振っただけに見えたが、無駄がない。力みもない。
まるで腕の延長として木剣が存在しているかのようだった。
「好きなのを選んでいいぞ。」
ホニャが振り返る。
エドは小さく頷いた。
背負っていた荷物を下ろす。
ゲヤーキから貰った棒も一緒にアニタへ手渡す。
「お願い。」
「うん。」
アニタは少し心配そうな顔で受け取った。
アイリーンは腕を組みながら様子を見ている。
エドは武器棚へ向かった。
様々な訓練用武器が並んでいる。
少し迷った末、一本の木槍を手に取った。
重さを確かめる。
悪くない。
エドは木槍を肩へ担ぎ、広場の中央へ向かった。
土を踏む音だけが響く。
やがて二人は向かい合った。
距離は十歩ほど。
ホニャは木剣を片手で下げている。
構えてすらいない。
隙だらけに見える。
だが、エドは一歩たりとも踏み出せなかった。
「そういえば。」
不意にホニャが口を開く。
「まだ名乗っていなかったな。」
そう言って木剣を肩へ担いだ。
「俺は北ビーワ冒険者ギルドのギルド長。」
一拍置く。
「ホニャニャポン・クルルンパだ。」
エドは固まった。
風が吹く。
沈黙。
訓練場の端でアイリーンが顔を逸らした。
アニタも視線を泳がせている。
どうやら聞き間違いではないらしい。
ホニャは真顔だった。
「ホニャと呼んでくれ。」
あまりにも自然に言う。
エドは必死に表情筋を制御した。
笑うな。今は笑う場面ではない。
目の前にいるのはギルド長だ。
これは真面目な自己紹介だ。
「エドです。」
どうにかそれだけ答える。
ホニャは満足そうに頷いた。
「うむ。」
そして木剣の切っ先を地面へ向ける。
「さて。」
空気が変わった。
先ほどまでの雑談が嘘のように。
「エド。」
低く落ち着いた声。
「好きにかかってきなさい。」
ホニャは両手を広げた。
堂々と。
まるで攻撃を受ける気など最初からないと言わんばかりに。
挑発ではない。
慢心でもない。
ただ事実として。
その姿を見た瞬間、エドは理解した。
この男は本気で、自分が負ける可能性を一切考えていない。
いつの間にか訓練場の周囲には人だかりができていた。
冒険者、ギルド職員。
何事かと様子を見に来たのだろう。
ざわめきは小さい。
だが興味深そうな視線がいくつも集まっていた。
エドはそれを意識の外へ追いやる。
今考えるべきは一つだけだった。
相手を見る。
ホニャは両手を広げたまま立っている。
木剣は持っている、だが構えてはいない。
どこからでも動ける姿勢。
隙だらけに見えて、隙がない。
エドはゆっくりと身体を前に傾けた。
槍を握る手へ力を込める。
重心を落とす。さらに落とす。
傍から見れば、今にも前へ倒れそうな姿勢だった。
そして。
地面を蹴った。
どんっ。
踏み込んだ瞬間、土が爆ぜる。
一気に加速する。
静止状態からの急激な加速。
見ていた冒険者たちが思わず目を見開いた。
速い。
少なくとも子供の動きではない。
だが。
ホニャは動じなかった。
アニタもまた驚いていない。
ホニャは両手を広げたまま、わずかに腰を落とした。
受ける姿勢。
エドは瞬時に理解する。
ホニャとの距離が一気に縮まる。
その瞬間。
エドは木槍の石突を地面へ叩き込んだ。
ぐっ、と槍がしなる。
身体が前へ流れる。その勢いを利用する。
棒高跳びのように、エドの身体が宙へ跳ね上がった。
周囲から息を呑む音が聞こえた。
身体を捻る。視界が回る。
そしてホニャの真上を飛び越える。
ホニャの頭上へ躍り出た瞬間。
銀灰色の髪が視界の下を流れる。
エドは身体を捻りながら、そのまま背後へ抜けるつもりだった。
だが。
ホニャの視線が追ってきていた。
顔が上がる。
目が合う。
至近距離だった。
その瞳に驚きはない。
まるで最初からそう動くと分かっていたかのように。
「ほう。」
小さな声。
次の瞬間。
ぱしっ。
ホニャの左手が伸びた。
エドの持つ木槍。
その石突側を正確に掴み取る。
「っ!?」
反応する暇もない。
ぐいっ。
強烈な力で引かれた。
身体が自分の意思とは無関係に浮く
槍を握っていた両腕ごと、空中のエドがホニャの方へ引き寄せられる。
まるで釣り上げられた魚だった。
エドは即座に手を離した。
木槍を捨てる。
そのまま身体を丸め、ホニャの背後へ着地した。
着地と同時に膝を曲げ、地面を這うほど姿勢を落とした。
そのまま右足を大きく薙ぐ。
狙うのは足首。
鋭い足払いがホニャの脚へ迫った。
しかし。
ホニャは素早くとん、と地面を蹴った。
大きく跳んだわけではない。
ほんのわずかに身体を浮かせただけだった。
それだけでエドの足払いは空を切る。
同時に身体を捻り、踵を返す。
一瞬で正面を向き直っていた。
「ほう。」
感心したような声。
だがエドは止まらない。
躱されることは想定済みだった。
足払いの勢いをそのまま利用し、さらに前へ滑り込む。
間合いを潰す。
エドとホニャでは頭二つ近い身長差がある。
懐へ潜り込んでしまえば、長い手足は逆に邪魔になる。
掌を開く、狙うは顎。
全身の力を乗せた掌底が、ホニャの真下から突き上がる。
「おっと。」
ホニャは軽く声を漏らした。
そのまま上体を後ろへ反らす。
まるで風に揺れる枝のような自然な動きだった。
掌底は鼻先を掠めることすらできない。
それでもエドは止まらない。
掌底を放った腕を引き戻しながら半歩踏み込む。
肩を回し肘を畳む。
今度は鳩尾。
鋭く突きあげるような肘打ち。
体格差を無視して内側から崩す一撃だった。
だが。
ホニャの姿がふっと遠ざかる。
後方へ大きく跳んでいた。
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