6話 受容
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夕暮れの光が、村の屋根をやわらかく染めていた。
傾き始めた陽は畑の緑を黄金色に変え、家々の煙突から立ち上る白い煙を淡く照らしている。
風は昼の熱を少しだけ残しながらも、どこか涼しさを含み、草と土の匂いを運んできた。
村へ続く道を、二つの長い影が並んで歩いてきた。
エドとゲヤーキだ。
行きとは違い、ゲヤーキの足取りはずっと落ち着いていた。
俯きがちではあるものの、その歩みには迷いがない。
隣を歩くエドもまた、急かすことなく、ただ同じ速さで歩いている。
しばらく無言が続いたあと、ゲヤーキがぽつりと言った。
「ありがとな。」
小さな声だった。だが、風に紛れることなく、確かにエドの耳に届いた。
村の入り口が見えてくると、そこには落ち着かない様子で立ち尽くす大きな影があった。
腕を組み、しかめ面を作ってはいるが、二人の姿を見つけた途端、
その方から力が抜けるのが遠目にも分かった。
ズーギだった。
ゲヤーキの歩みが、一瞬だけ止まる。
「ほら。」
エドがそう小さく促すと、ゲヤーキは小さく息を吸い、そして頷いた。
次の瞬間、ゲヤーキは駆けだしていた。
「親父!......あの、俺!......ごめん、雑な仕事、しちまった。もう、あんなことはしない。」
言葉はとぎれとぎれだった。
何をどう伝えればいいのか、自分でもまだうまく整理しきれていないのだろう。
それでもゲヤーキは、ひとつひとつ確かめるように、懸命に言葉を紡いでいく。
そこにあるのは、ただ叱られることへの怯えではない。
自分の過ちを認め、それをきちんと相手に伝えようとする意志だった。
まっすぐに父を見上げるそのまなざしには、迷いがない。
西日に照らされた瞳は、夕焼けの色を映しながら、以前よりもずっと強い光を宿していた。
ズーギは何も言わず、しばらく息子を見つめていた。
その顔はいつものように厳つく、簡単には感情を読ませない。
だが、その目はまっすぐに自分を見返すゲヤーキの瞳をしっかりと捉えていた。
そこにあるのは、言い訳でも、ただ怯えているだけでもない。
自分の過ちを認め、それでも前を向こうとする意志。
息子が、自分の足で一歩を踏み出したのだと、ズーギには十分すぎるほど伝わっていた。
やがて、ズーギは短く息を吐いた。
「......悪かった。」
それだけだった。
だが、その一言には、叱りつけるばかりで息子の思いを見ようとしなかった自分への悔いと、
ようやくそれを認めた父としての思いが込められていた。
そして、ズーギはいつものぶっきらぼうな調子に戻るように、鼻を鳴らした。
「帰るぞ。明日はお前に任せたい仕事がある。」
一瞬の静寂のあと、ゲヤーキの顔がパッと明るくなる。
「.....うん!」
その返事は、さっきまでの迷いを吹き飛ばすように、力強かった。
二人のやりとりを、エドはしばらくその場で見届けていた。
夕日に伸びる二つの影は、来た時よりもずっと近く、寄り添って見えた。
自分の胸の奥にも、ほのかな温かさが広がっていく
誰かの力になれた。その実感は、慧導という僧侶として人々を導いていた時よりも、なぜか心地よかった。
「エド。」
不意に名前を呼ばれ、振り返る。
そこには、リラが立っていた。
いつからそこにいたのだろう。柔らかな夕日の中で、母は穏やかな笑みを浮かべている。
「そろそろ帰りましょう。夕食の支度もできているわ」
「うん」
エドが頷くと、リラは並んで歩きだした。
家へ向かうその道すがら、リラは何も聞かなかった。
ただ、ときおりエドに視線を向けるだけだった
その静かなまなざしに、エドはどこか落ち着かないものを感じていた。
家に着くころには、空はすっかり茜色に染まっていた。
扉を開けると、煮込み料理の香りがふわりと鼻をくすぐる。
腹の底から空腹を思い出させる、なじみ深い匂いだった。
食卓にはすでに料理が並び、ヴァンスも仕事を終えて席についていた。
三人で囲む、いつもの夕食。
ヴァンスは一口スープをすすってから、エドに目を向けた。
「今日はずいぶん遅かったな。何かあったのか?」
ヴァンスがパンをちぎりながら尋ねる。
「ゲヤーキが家を飛び出してさ。街道まで追いかけたんだ。で、少し話しをして一緒に戻ってきた。」
「そうか、まあ。無事に戻ってきたなら何よりだな。ズーギも胸をなでおろしたんじゃないか?」
「うん、たぶんね。」
エドがそう答えると、リラが穏やかに口を開いた。
「ゲヤーキ、とてもすっきりした顔をしていたわ。」
その言葉に、エドは顔を上げる。
「そうかな。」
「ええ。あなたと一緒だったからでしょうね。」
リラはそう言って微笑む。
ただ、そのまなざしはやわらかいだけではない。
何かを確かめるように、静かにエドを見つめていた。
エドは少しだけ視線をそらし、スープを口に運ぶ。
温かな味が広がる。
それでも、胸の奥の落ち着かなさは消えなかった。
夕食を終えると、ヴァンスは大きく息をついて席を立った。
「今日もよく働いた。先に休ませてもらうぞ。」
「おやすみなさい。」
リラが微笑み、ヴァンスは軽く手をあげて寝室へ向かう。
食卓には、食べ終えた皿と、まだほのかに温かいスープの器が残されていた。
エドは立ち上がり、皿を重ねる。
「手伝うよ」
「ありがとう」
二人で並んで食器を運ぶ。水桶に皿を浸し、リラが洗い、エドが拭いていく。慣れた手順だった。
しばらくは、水の音だけが静かに響いていた。
やがて、リラがぽつりと言う。
「昨日森で......。何かあったのね。」
手にしていた皿を拭くエドの手が、ほんのわずかに止まった。
問いかけではない
確信を持った言葉だった。
驚きはあった。けれど、取り乱すほどではない。
いずれこの時が来ることは、どこかで分かっていたからだ。
ただ、どう話すべきかは、すぐには決められなかった。
考えは次々と浮かぶのに、言葉はなかなか形にならない。
まるで、二つの異なる記憶が、同じ口を使おうとして譲り合っているようだった。
エドは小さく息を吐き、皿を丁寧に拭き上げる。
時間を稼ぐため、というより、自分の中の言葉を整えるため。
そして、ようやく口を開いた。
「......うん。話しておきたいことがあるんだ。」
エドは拭き終えた皿を静かに置き、リラと向かい合って席に着いた。
しばらく、何をどう言えばいいのか考えていたが、やがて小さく息を吐く。
「......うまく、説明できるか分からないけど。」
そう前置きしてから、エドはゆっくりと言葉を選んだ。
「昨日、森で具合が悪くなって休んだって言ったけど。あれ、本当は倒れちゃったんだ。そして、そのとき、夢を見たんだ。」
一度、視線を落とす。
「いや、夢っていうのは少し違うかもしれない。もっと......ずっと、はっきりしたものだった。」
あの感覚を、どう表せばいいのか。
記憶。体験。人生。
どの言葉も、少しずつ、足りない。
「自分じゃない、誰かのことを、知った。――いや。」
エドは自分の手を見つめる。
「その人として、とても長く――。生きてきたみたいに覚えている。」
指先に残る感覚まで、思い出せるほどに。
「笑ったことも、悩んだことも、後悔したことも......全部、自分の事みたいに。」
そこで一度言葉を切り、リラを見る。
「......たぶん。それが僕の中に入り込んだんだと思う。」
リラは黙って耳を傾けていた。
驚いていないわけではないだろう。けれども、その表情にあるのは戸惑いよりも、
母として、まず理解しようとする真剣さだった。
エドはそんな母の顔を見て、小さく笑う。
「変な話だよね。自分でも、そう思う。」
そして、少しだけ言葉を探してから続けた。
「でも......僕は、僕だよ。」
その一言は、自分に言い聞かせるようでもあった。
「前のまま、って言ったら嘘になる。考え方も、見え方も、たぶん少し変わった。でも、エドじゃなくなったわけじゃない。」
そこまで言って、エドは言葉を切った。
視線が、組んだ手の上に落ちる。
指先に、わずかに力がこもる。
「......信じてもらえないかもしれないけど。」
小さくこぼれたその言葉には、抑えきれない不安が滲んでいた。
すると、リラは静かに手を伸ばし、テーブルの上のエドの手にそっと触れた。
温かく、やわらかな手だった。
「信じるわ。」
迷いのない声。
エドが顔をあげると、リラは穏やかに微笑んでいた。
「だって、あなたは、私の大切な息子だもの。」
その言葉は、静かに、けれど確かにエドの胸に届いた。
胸の奥で張りつめていたものが、ふっとほどけていく。
知らず、肩から力が抜けた。
自分でも気づかないうちに、こんなにも緊張していたらしい。
エドは小さく息を吐き、わずかに笑った。
リラは、ただ優しく微笑んでいる。
その微笑みに背中を押されるように、エドは再び口を開いた。
「......でも、話しておきたいことは、それだけじゃないんだ。」
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