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チートが無いなら無いなりに  作者: 古賀仁成
1章 11歳少年エド。魔法を失う。魔法が無いなら無いなりに。

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5話 岐路

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古小屋を出ると、日は高く上がりきっていた。

木々の葉を透かした陽光が森の地面にまだら模様を描き、

鳥たちのさえずりも朝よりいっそうにぎやかに響いている。


魔法が使えない。その事実は重く、胸の奥に沈んだままだ。

それでも、ないものを嘆いていても仕方がない。

今できることを、できる限りやるしかないのだ。積み木を下から積むように。


そう決めると、少しだけ肩の力が抜けた気がした。


村へと続く道を歩きながら、エドは大きく息を吸い込んだ。

土と草の匂いが鼻をくすぐる。

だが、村が近づくにつれ、その穏やかな気分に小さな引っ掛かりが生まれた。


人の声が、やけに多い。

いつもならそれぞれが畑や家で仕事をしている時間だ。こんなふうに人の声が一か所に集まることは少ない。

耳を澄ますと、ざわめきの中に焦りと苛立ちが混じっているのが分かる。


エドは少しだけ足を速めた。


どうやら、人だかりは村の中央ではない。

木工職人ズーギの家の前に集まっているようだった。

近づくと、ざわめきの中にひときわ大きな怒鳴り声が混じっていた。


「放っとけ!あいつは昔っから腹が減りゃ帰ってくる!」

聞き覚えのある、太くよく通る声だ。


木工職人のズーギ。

大柄で声も態度も大きいが、腕は確かで、村の家具や農具の多くは彼の手によるものだ。

短気で頑固。エドの父ヴァンスとも気が合う。

息子のゲヤーキとは、エドもよく一緒に遊んだものだ。


「そうは言ってもなぁ……」

「もう、だいぶ経つぞ」

「しかも、街道の方へ走っていったって話だ」

「でも何も持ってなかったぞ」


誰かの一言に、エドは眉をひそめた。

この村から最寄りの町までは、大人の足でも数日はかかる。

途中には森もあれば、野獣も出る。凶暴な魔物も出るかもしれない。

旅慣れた大人ですら準備なしに歩く道ではない。


ズーギを見ると、腕を組み、いかにも平然としているふうを装っている。

だが、その足先は落ち着きなく地面をたたいていた。

本心では、誰よりも心配しているのだろう。


そのとき、人垣の後ろから聞き慣れた声がした。

「エド。」

振り向くと、母のリラがいた。少し息を弾ませている。

「ゲヤーキが、お父さんと大喧嘩して飛び出していったの。街道のほうへ走っていくのを見たわ。」

エドは街道の方角へ目を向けた。

「どれくらい前?」

「そんなに立っていないと思う。半刻......いえ、もう少し前かしら」


半刻でも走り続けていればかなり先まで行っているはずだ。

しかも、何も持たずに。

エドはズーギを見た。相変わらず腕を組み、険しい顔をしている。

「ズーギさん、何があったの?」

エドが訪ねると、ズーギは不機嫌そうに答えた。

「何がも何もねえ。あいつが雑な仕事をしやがったから怒鳴り飛ばしただけだ。」

「だけっ、て......。」


近くにいた村人が苦笑する。

「あんな大きな声で叱ることあるかよ」

「家が揺れるかと思ったぞ」

その言葉に周囲から小さな笑いが漏れた。ズーギはますます顔をしかめる。

「うるせえ。雑な仕事を見逃したら職人にはなれねえ。」


「でも、ゲヤーキには少しきつかったみたいね」

リラはそう言って、街道のほうへ目をやった。その表情には、母親らしい心配がにじんでいる。

エドもまた、同じ方角を見た。

思いつめた顔で村を飛び出していくゲヤーキの姿が、ありありと目に浮かぶ。

エドは小さく息をつき、決心を固めた。


「お母さん。僕、ゲヤーキを追いかけてくるよ。」

リラは一瞬驚いたように目を輝かせ、それからやわらかく頷いた。

「ええ、お願いね。」

その声には、安堵がにじんでいた。

エドはうなずき返し、ズーギへ向き直った。


「いらん。放っとけ。そのうち腹が減りゃ帰ってくる。」

ぶっきらぼうな言い方だったが、強がりなのは見え見えだった。

「そうだね。きっと帰ってくると思う。」

落ち着いたその返事に、ズーギの眉がわずかに動く。


「でも、今のゲヤーキは、帰る理由より帰りたくない理由を探している気がするんだ。」

エドは街道のほうへ目を向け、穏やかな声色で続けた。

「人って、一度意地になってしまうと、自分から引き返すのは難しいから。ゲヤーキさんにもそんな経験がないかな?」

エドはズーギをまっすぐ見上げた。

「そんなとき、少し離れたところから声をかけてくれる人がいると、戻りやすいと思う。」

ズーギは腕を組んだまま黙りこんだ。


「連れ戻すんじゃないよ。ただ、帰る道もあるって伝えてくるだけ。」

しばらくの沈黙。

ズーギは眉間に深いしわを寄せ、ぎゅっと目を閉じた。そして、小さく。

しかしはっきりと息を吐く。

「......好きにしろ」

ぶっきらぼうな一言だったが、それ以上止めるつもりはないらしい。

「うん。行ってくる。」

エドはそう答えると、くるりと踵を返した。

――母の視線が、ちくりと背中を刺した気がした。

村はずれへ続く道へ駆け出す。

ゲヤーキの背中は、まだそう遠くへはいっていないはずだ。



村を離れると、にぎやかな声はすぐに遠ざかり、代わりに風が草を揺らす音だけが耳に届いた。

街道はゆるやかに森の縁をなぞるように続いている。

しばらく走ると、その先に一人の背中が見えた。


少し伸び始めた茶色の髪は歩くたびに揺れている。

ズーギ譲りのがっしりした肩が、今はどこか小さく見えた。

頭を垂れ、道端の石をつま先でけりながら、とぼとぼと歩いている。


怒りに任せて飛び出した時の勢いは、もう残っていないらしい。

背負い袋もなく、手ぶらのまま。

思い付きで村を飛び出してきたことは明らかだった。


ゲヤーキだった。


エドは少し歩調を緩めた。

いきなり呼び止めれば、また意地を張って逃げ出すかもしれない。

なら、追いつくより並ぶほうがいい。

足音をわずかに大きくして存在を知らせると、エドは何も言わずにゲヤーキの隣に並んだ。


それでも、すぐには声をかけない。

しばらく二人は、ただ黙って街道を歩いた。


砂利を踏む音が静かな街道に規則正しく響く。

道の両脇では、風に揺れた草がさわさわとこすれ合い、

森の方からはケラスの鳴き声が時折聞こえてくる。


しばらく歩くうちに、頬を撫でる風が少しだけひんやりと感じられた。

その風に、ゲヤーキの少し伸びた髪が揺れる。

やがて、ゲヤーキは前を向いたままぽつりと口を開いた。


「......親父さ」


道端の小石を蹴る。


「俺が作った椅子、見てさ。脚が少しずれてるって。」


また一つ、小石を転がす。


「こんなもんを売り物にする気か、って。」


その声には、怒りよりも悔しさの方が強くにじんでいた。


「わかってるよ。ずれてたのは本当だし――」

「でも、あんな怒鳴らなくても――」

声が少し、震えていた。


エドはすぐには答えなかった。

ただ、足を止めることなく、ゲヤーキと同じ速さで歩き続けた。


「――悔しかったんだね。」

ようやく口にしたのは、たったそれだけだった。

それでも、ゲヤーキの足を止めるには十分だった。


ゲヤーキは立ち止まったまま、しばらくうつむいていた。

握りしめたこぶしに、じわりと力がこもる。

そして微かに震える声で、言葉をひねりだした。

「......頑張ったんだ。」


道端の小石をつま先で強く蹴る。


「少しくらいは!ここは良くできた、とか......」

語気を荒げたものの、すぐにその声は弱弱しくしぼんでいった。

その悔しさは、どこかエド自身の胸の痛みにも似ていた。



エドは静かに口を開いた。

「ズーギさんは、ゲヤーキに気づいてほしかったんだと思う。」


ゲヤーキが顔を上げる。


「ゲヤーキなら、もっと良くできるって信じていたから、思わず声が大きくなったんだよ。」


エドはやわらかく微笑んだ。


「その声の大きさは、きっと、期待の大きさだよ。」


ゲヤーキの目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。

こぶしはさらに強く握られ、鼻をすする音が静かな街道に響く。


「......うん。」

小さく、けれど確かにうなずく。


エドは街道の先ではなく、村の方へ目を向けた。

「積み上げてきたものが崩れないうちに、そろそろ帰ろうか。」

ゲヤーキは涙をぬぐい、赤くなった目で小さく頷いた。


陽が、二人の影を長く街道に伸ばしている。

さっきまで背を向けていた村は、降りければすぐそこにあるようだった。

風が吹き抜け、草の穂がさらさらと揺れる。


二人は並んで歩きだす。

砂利を踏む音が、静かな道に再び規則正しく響いた。

行きとは違う。一人で遠ざかる足音ではなく、二人で帰る足音だった。


村へ続く道は、夕暮れの光の中で、柔らかく二人を迎えていた。

「エド、おまえ――ちょっと会わないうちに、ずいぶん大人になったんだな。」

ゲヤーキは、少し照れくさそうに笑った。

エドはその言葉に、ただ微笑みを返した。


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