64話 北ビーワ2
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三人は焚き火の傍らへ腰を下ろした。
火の熱が、冷え始めた身体に心地よい。
鍋からは湯気が立ち上り、煮込みの匂いが漂っている。
洞窟の湿った空気ばかり吸っていたせいか、それだけで妙に安心した。
「遅くなって悪かったね。」
アイリーンが言う。
ガイウスは焚き火へ薪を一本くべた。
ぱちり、と火の粉が舞う。
「気にするな。」
短い返事だった。
その視線は三人の顔を順番に確認している。
怪我はないか。無事か。
そんな確認にも見えた。
全員の姿を確かめ終えると、ガイウスは小さく息を吐く。
「何があった。」
問いかけは簡潔だった。
アイリーンは苦笑する。
「簡単に言うと、ゴブリンに荷物を盗まれたみたいでね。」
「ゴブリン?」
「そう。痕跡を追ったら巣を見つけちゃったんだよ。」
アイリーンは軽い口調で続ける。
「で、乗り込んで、殲滅して、荷物を取り返してきた。」
ガイウスの眉がぴくりと動いた。
「巣に入ったのか。」
低い声だった。
「二人を連れて。」
その言葉にエドは思わず視線を逸らした。
普通に考えれば無茶だったのだろう。
ゴブリンの巣穴に子供を連れて入る。
村の大人たちが聞けば顔色を変えるかもしれない。
「そこは色々事情があってね。」
アイリーンが頭をかく。
「説明すると長いから察して。」
しばらく沈黙が落ちる。
焚き火がぱちぱちと音を立てた。
やがてガイウスは小さく頷く。
「そうか。」
それ以上は聞かなかった。
アイリーンも余計な説明はしない。
互いに長い付き合いなのだろう。
それで話は終わったらしい。
「まあ、どのみち明日は忙しくなるね。」
アイリーンが鍋の中を覗き込みながら言った。
「北ビーワのギルドに報告しなきゃならない。」
その言葉でエドは思い出す。
草むらで発見した旅人の死体。
そしてゴブリンの巣。
「あ。」
あの時も同じことを言っていた。
「北ビーワにも冒険者ギルドがあるんですね。」
「あるよ。」
アイリーンは頷いた。
「もともとは今回の依頼の途中報告だけする予定だったんだけどね。」
指を一本立てる。
「旅人の死体。」
二本目。
「ゴブリンの巣。」
三本目。
「あと、あの男。」
そこでエドの肩がわずかに強張る。
アイリーンも気づいたのか、それ以上は触れなかった。
「報告することが増えちゃった。」
軽く笑って締める。
「したい、という言い方でしたけど。」
エドは気になっていたことを口にした。
「報告は義務じゃないんですか?」
「義務じゃないよ。」
意外な答えだった。
アイリーンは鍋をかき混ぜながら続ける。
「依頼の結果報告は必要だけど、それ以外は別にしなくても誰も怒らない。」
「それなのに報告するんですか?」
「するよ。」
即答だった。
アイリーンは焚き火の向こうへ視線を向ける。
「旅をしてるとさ、色んなものを見るんだ。」
ぱちり、と薪が爆ぜた。
「壊れた橋とか。魔物の痕跡とか。街道の異変とか。今回みたいなゴブリンの巣とかね。」
そう言って肩をすくめる。
「その時は大したことじゃなくても、あとから振り返ったら大事件の前触れだった、なんてこともあるんだよ。」
エドは黙って聞く。
「私は賢くないからさ。」
アイリーンは苦笑した。
「どの情報が重要かなんて分からない。」
「だから見たことや気づいたことは、とりあえずギルドへ渡す。」
「後は詳しい人たちが判断してくれる。」
なるほど、とエドは思う。
一人ではただの出来事でも。
大勢が情報を持ち寄れば、見えてくるものがあるのかもしれない。
「昔ね。」
アイリーンは鍋をかき混ぜる手を止めた。
焚き火の向こう側へ目を向ける。
今見ているのは夜の野営地ではない。
もっと昔の光景なのだろう。
「王都のほうで活動してた頃の話なんだけど。」
そう前置きしてから続けた。
「ある冒険者が、森の縁で妙な足跡を見つけたんだ。」
「妙な足跡?」
アニタが首を傾げる。
「うん。大型の魔物の足跡だったらしい。」
アイリーンは頷いた。
「でも、その辺りには本来いない種類だった」
「見間違いじゃないかって言われたそうだよ。足跡なんて雨風で形が変わることもあるし。」
エドも思わず頷く。
「それでも、その冒険者はギルドに報告した。」
ぱちり、と薪が爆ぜた。
「別に緊急性があると思ったわけじゃない。ただ、何となく気になったんだろうね。」
「へぇ。」
「その数日後さ。」
アイリーンは指を一本立てる。
「今度は別の道で、似たような報告が上がった。」
二本目。
「さらに別の道でも。」
三本目。
「最初は誰も繋がってるなんて思わなかった。」
「でも、ギルドには各地から情報が集まる。」
「それを整理する役目の人間がいるんだ。」
エドは初めて知った。
依頼を張り出すだけがギルドではないらしい。
「集まった報告を地図に書き込んでいったらね。」
アイリーンは空中へ指を走らせる。
まるで地図を描くように。
「点が並んだ。」
「点?」
「魔物が目撃された場所さ。」
指先がゆっくり移動する。
「西から東へ。」
「一直線に。」
その言葉に、エドの脳裏へ光景が浮かんだ。
見知らぬ森。
山々。
街道。
その中を巨大な魔物が移動していく姿。
「調査隊が出た。」
アイリーンは静かに続ける。
「そしたら分かったんだよ。森の奥で縄張り争いが起きてた。」
「そして負けた魔獣が別の土地へ移動を始めてたんだ。」
アニタが息を呑む。
「魔獣......。」
「そう。」
アイリーンは頷いた。
「もし誰も報告してなかったら、その魔獣は何もしらない村や街へ突然現れてたかもしれない。」
焚き火の炎が揺れる。
「でも実際は違った。」
「ギルドが各地へ連絡を飛ばして、危険地域の封鎖、商隊への注意喚起、周辺の村への避難勧告、討伐隊の編成。」
一つひとつ指を折りながら数える。
「全部、間に合ったんだ。」
しばらく誰も口を開かなかった。
川の流れる音だけが聞こえる。
「最初の報告をした冒険者はね。別に英雄になろうとしたわけじゃない。」
「ただ、『なんか変だな』って思ったことをギルドに伝えただけ。」
そう言って笑う。
「でも、そのおかげで助かった人はたくさんいた。」
エドは焚き火を見つめる。
小さな違和感。
小さな情報。
それだけでは意味を持たない。
けれど、それが集まれば誰かの命を救うこともある。
「だから私は報告する。」
アイリーンの声は穏やかだった。
「今回のことだってそう。大したことじゃないかもしれない。でも、もし重要だったら。」
アイリーンは木の匙で鍋をひと混ぜする。
「報告しなかったことの方が、後悔するからさ。」
アイリーンはそう言って笑った。
まるで当たり前のことを話すように。
だがエドには、その言葉が妙に心に残った。
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