63話 北ビーワ
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洞窟を出た頃には、太陽は西へ傾いていた。
木々の隙間から差し込む光は赤みを帯び始めている。
昼間の眩しさは薄れ、代わりに夜の気配が少しずつ森へ入り込んでいた。
冷え始めた風が頬を撫でる。
生きて外へ出られた。
それだけのことが、ひどくありがたかった。
三人は急ぎ足で来た道を戻る。
戦闘と探索の疲労は重かったが、足取りは行きよりも気持ち軽い。
アニタの荷物は取り戻した。全員生きている。
それだけで十分だった。
本来なら。
エドは無意識に肩越しを振り返る。
暗い洞窟の奥。
そこで見た男の姿が脳裏に浮かんだ。
ねっとりと耳にまとわりつく声。
不自然な笑み。
最後まで読めなかった本心。
思い出しただけで背筋が冷える。
考えれば考えるほど嫌な予感だけが膨らむ。
だからこそ、今は考えないことにした。
まずはガイウスと合流する。
それが先だ。
やがて、ガイウスの待つ馬車の場所へたどり着く。
だが。
「あれ?」
最初に声を上げたのはアニタだった。
「ガイウスさんがいない。」
そこには馬車の姿もガイウスの姿もなかった。
エドも周囲を見回したが人の気配はない。
「何かあったんでしょうか。」
思わずそう口にすると、アイリーンも口を開いた。
「いや、たぶん大丈夫だよ。」
やけにあっさりと言う。
「この時間だからね。待ちくたびれて先に移動したんだと思う。」
「移動?」
「街の外周で旅人や商人が野営をしているのを見たでしょ?」
アイリーンは肩をすくめる。
「ガイウスは慎重だからね。日が落ちてから慌てて準備するより、明るいうちに野営地を作る方を選んだんだろうさ。」
確かに、とエドは思う。
自分たちがすぐに戻る保証はなかった。
ずっとここで待ち続けていれば、今度はガイウス自身が単身街道に残されることになる。
「いつも使ってる定位置みたいな場所があるからね。」
アイリーンは街道の方へ顎をしゃくった。
「私たちもそっちへ向かおう。」
三人は顔を見合わせる。
そして再び走り出した。日が落ち切る前になんとか合流できればよいが。
夜が近い。
無事に生き残ったはずなのに。
エドの胸の奥には、あの男の笑みがまだこびりついて離れなかった。
しばらく街道を走っていると、巨大な湖が見えてきた。
夕日に照らされた水面は赤く染まり、風が吹くたびに無数の光を砕きながら揺れている。
湖の向こうには町の姿も見えた。
赤や茶色の屋根。白い壁。所々からは煙も立ち上っていた。
昼間に遠くから見た時よりもずっと大きく見える。
エドは思わず足を緩めた。
その頃には街道を行き交う人の数も増えていた。
荷車を引く商人。
大きな荷を背負った旅人。
剣や槍を携えた護衛らしき者たち。
行き交う顔ぶれは様々で、服装も村では見たことのないものばかりだった。
鮮やかな色の外套。
毛皮を縫い付けた防寒具。
金属の飾りがついた革鎧。
どこから来て、どこへ向かうのか。
想像するだけで世界が急に広くなったような気がした。
やがて街の周辺へ近づくにつれ、その理由が見えてくる。
野営地だった。
街の外にはすでに多くの旅人や商人たちが陣取っている。
焚き火の煙があちこちから立ち上り、夕日へ溶けていく。
荷馬車を円形に並べている一団。
布を張って即席の天幕を作っている者たち。
ウーマに水を与える者、鍋をかき混ぜる者、武器の手入れをしている者。
そこにはそれぞれの生活があった。
「......すごい。」
隣からアニタの声が聞こえた。
エドも無言で頷く。
村の祭りですら、ここまで人は集まらない。
むしろ小さな村が一つ増えたようにさえ見えた。
笑い声が聞こえる。
誰かが歌っている。
酒の匂いが風に乗って漂ってくる。
焼いた肉の香りも混じっていた。
つい先ほどまでゴブリンの巣穴にいたとは思えないほど賑やかな光景だった。
洞窟の湿った空気。
血の匂い。
ゴブリンたちの断末魔。
そして、あの男。
思い出しかけたところで、エドは意識的に頭を振った。
今は考えない。
考えたところで何も分からない。
まずはガイウスと合流することだ。
「こっちだよ。」
先頭を歩くアイリーンが振り返る。
彼女は迷いなく野営地の中へ入っていった。
三人もその後を追う。
焚き火の明かりが顔を照らし、人々の話し声が耳をかすめていく。
だが、アイリーンは賑やかな場所を避けるように進んだ。
人の流れから少し外れ。
さらに外れ。
気付けば周囲の人影はかなり少なくなっていた。
向かっているのは湖へ注ぐ川の近くだった。
さらさらと流れる水音が聞こえる。
街の入口からは少し離れているだろう。
先ほどまで聞こえていた喧騒も、今では遠くのざわめきになっていた。
風が草を揺らす。
川が流れる。
時折、虫の鳴き声が聞こえる。
それだけだ。
静かだった。
「ここらへんだと思うんだけどね。」
アイリーンが辺りを見回しながら呟く。
なるほど、とエドは思う。
人混みもなく、水も近い。
夜も落ち着いて休めそうだ。
確かにガイウスが選びそうな場所だった。
辺りを見回していたアイリーンが、ふと足を止めた。
「あ。」
そして、口元をわずかに緩める。
「あそこだ。行こう。」
指差した先へ視線を向ける。
川沿いの少し開けた場所だった。
そこには見慣れた荷馬車が停まっている。
荷台の脇では焚き火が静かに燃えていた。
その上には鍋が掛けられ、湯気がゆらゆらと立ち上っている。
夕食の支度はすでに終わっているらしい。
近くではウーマがのんびりと草を食んでいた。
時折尻尾をゆらしながら、実に平和そうな様子である。
その光景を見た瞬間。
エドの肩からふっと力が抜けた。
帰ってきた。
そんな言葉が自然と頭に浮かぶ。
村でも家でもない。
だが、自分たちを待っている場所がそこにあった。
焚き火の傍らに座っていたガイウスも、こちらへ気づいたようだった。
ゆっくりと顔を上げる。
そして三人の姿を確認すると、片手を軽く上げた。
「おかえり。」
そう言われたわけでもない。
それでもエドには、そんなふうに見えた。
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