62話 ゴブリン7
こいつ、いったいなにものなのおおおおおおお!?
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「きみたちぃ?」
男が笑う。
その声は相変わらず耳にまとわりついていた。
湿った何かが鼓膜を這い回るような、不快な声。
「よく吾輩を見れたねぇ。」
ゆら。
男の身体が揺れる。
風もないのに。
糸で吊られた人形のように。
「人に姿を見られるのはぁ、数年ぶりだよぉ。」
ぎょろり。
巨大な眼球が動く。
その視線は一度たりとも外れない。
獲物を見定める蛇のように、じっと三人を観察していた。
そして、その目がアニタで止まる。
「特にぃ、その子ぉ。」
青白い指が持ち上がる。
異様に長い。
骨ばっていて。
生きた指というより、墓から掘り出された死体の手のようだった。
その指先がアニタを指す。
「吾輩に気付くとはぁ。」
男の口元が歪む。
「相~~~~当な魔力量だねぇ。」
アニタの肩が震えた。
返事はない。できない。
男の言葉を聞いているだけで気分が悪くなる。
頭の奥がじくじくと痛む。
「いやぁ。」
男は愉快そうに笑う。
「素晴らしいねぇ。」
ゆら。
ゆら。
身体を揺らし続ける。
その輪郭もまた揺れていた。
男が揺れているのか。
空間が揺れているのか。
それとも自分たちの認識がおかしいのか。
もはや判別できない。
「慈悲深~~~~い吾輩がぁ。」
男はゆっくり杖を持ち上げた。
「ひとぉつ。」
杖がこちらを向く。
「助言をあげよぉう。」
その瞬間、エドの背筋を冷たいものが走った。
危険。
本能が叫ぶ。
今すぐ逃げろ。
飛び退け。
そう命じている。
なのに。
動けない。
身体が鉛になったようだった。
「君たちはぁ。」
男の口角がゆっくりと吊り上がる。
「吾輩を見るべきでは~~~~なかった。」
杖の先。
黒ずんだ宝石が淡く光る。
それはほんの一瞬だった。
だが。
その光を見た瞬間。
エドの喉に違和感が走った。
苦しい。
息がしづらい。
なぜだ。
そう思った時には遅かった。
エドの目が見開かれる。
いつの間にか。
槍は足元へ落ちていた。
カラン、と乾いた音が響く。
両手が空いている。
そして、その両手は。
自分の首を掴んでいた。
「っ!?」
強くはない。
首を折るほどの力でもなければ、呼吸が止まるほどでもない。
子供がふざけて首へ手を添えている程度。
だが、動かない。
槍を握るより遥かに簡単なはずだ。
腕を下ろすだけ。それだけでいい。
それなのに、指先が喉から離れない。
ぞわり、と背筋を悪寒が走る。
隣を見るとアイリーンも同じだった。
首へ両手を添えたまま、歯を食いしばっている。
額には汗が浮かび、腕の筋が浮き上がっていた。
力任せに振りほどこうとしているのが分かる。
だが、外れない。
アニタもまた小さな喉から苦しげな音を漏らしていた。
「ぅ......っ......!」
三人とも同じだった。
自らの意思に反して、自らの手で、自らの首を絞めている。
男はその様子を見つめていた。
そして。
嬉しそうに微笑んだ。
「ふふふふふぅ......。」
その笑みは勝ち誇ったものではない。
獲物を前にした肉食獣の笑みでもない。
もっと嫌なものだった。
道端でみつけた虫が、ひっくり返ってもがいているのを眺める子供のような。
純粋な好奇心。
純粋な愉悦。
それだけで笑っていた。
「別にぃ~~~~。」
ねっとりとした声。
男は杖を肩へ担ぐように持ち直した。
「追ってきてもぉ、構わないよおぉ?」
ゆらり。
身体が揺れる。
立っているだけなのに、どこか関節の位置がおかしい気がする。
骨が一本多い生き物を見ているような違和感。
男はゆっくりと踵を返した。
エドたちの横を通り過ぎる。
すぐ手の届く距離。
だが身体は動かない。
「君たちにぃ、その資格があるならねぇ。」
口角が裂けるように吊り上がる。
その瞬間。
男の輪郭が揺らいだ。
水面へ石を投げ込んだように空気が波打つ。
気が付けば、そこには誰もいなかった。
ただ。
かつ。
かつ。
かつ。
微かな足音だけが洞窟の奥へ遠ざかっていく。
それもやがて消えた。
静寂。
残ったのは悪臭と、首へ添えられたままの自分たちの手。
そして。
三人の胸に刻み込まれた、言葉にできないほどの嫌悪感だけだった。
半刻も立たないうちに、男の気配は完全に消えていた。
微かに感じていた違和感も。
洞窟の空気へ混じっていた不快感も。
まるで最初から存在しなかったかのように消え失せる。
そして、気づけば自分の首を絞めていた両腕も自由になっていた。
力が抜ける。エドは膝が崩れそうになるのを、気合いでどうにか堪えた。
「はぁっ......はぁっ......!」
荒い呼吸が漏れる。
胸が苦しい。
首を強く絞められていたわけではない。
呼吸ができなくなるほどの力でもなかった。
それなのに、全力で走った後のような疲労感が全身を覆っていた。
背中を冷たい汗が流れる。額からも汗が滴り落ちた。
隣ではアイリーンが床へ片手を突いている。
その表情に余裕は欠片もない。
アニタもその場へへたり込み、革袋を抱えたまま肩で息をしていた。
誰も言葉を発しない。発する余裕がなかった。
助かった。
その思いだけが頭の中を埋め尽くしていた。
エドはゆっくりと顔を上げ、男が消えた場所を見る。
当然、そこには誰もいない。
だが、脳裏にはあの姿が焼き付いていた。
異様に大きな目。不自然に細い身体。ねっとりと耳へまとわりつく声。
そして。
『君たちにその資格があるならねぇ。』
男の言葉が何度も頭の中で反芻される。
資格。
それが何を意味するのかは分からない。
自分たちがそれを持っていないのは明らかだった。
しばらくの間、誰も口を開かなかった。
荒い呼吸だけが洞窟の中へ響く。
冷たい空気を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
何度か繰り返すうちに、ようやく心臓の激しい鼓動が落ち着き始めた。
それでも、身体の芯にこびりついたような嫌悪感は消えない。
思い出すだけで背筋がぞわりと粟立つ。
エドは無意識に槍を握り直した。
手のひらは汗で湿っている。
やがて、アイリーンが大きく息を吐く。
「......目的は達した。」
その声は弱々しかった。
エドは思わずアイリーンを見る。
今まで何度も頼もしい姿を見てきた。そんなアイリーンが、今はひどく疲れて見えた。
「戻ろう。」
短い言葉だった。
だが、その言葉に反対する者はいない。
エドとアニタは黙って頷いた。
荷物は取り戻した。
本来の目的は果たしている。
それなのに、言葉にできない嫌な感触だけが消えなかった。
三人は踵を返す。
そして、冷たい風の吹く洞窟を後にした。
あいつ結局なんだったのおおおおおおお!?!?!?
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