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チートが無いなら無いなりに  作者: 古賀仁成
2章 12歳少年エド。アニタの試験付き添い。

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61話 ゴブリン6

なんていうか、


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空間のゆがみがゆっくりとほどけていく。

そこにいたのは、一人の男だった。

男は異様な姿勢で立っていた。


いや、立っているというより、倒れかけているようにも見える。

上半身が大きく後ろへ反り返っていた。

まるで背骨が存在しないかのように。


操り手を失った人形が、糸だけで無理やり吊り下げられているようだった。


ゆっくり。

本当にゆっくりと。

男の身体が起き上がる。


ぎしり。

そんな音が聞こえた気がした。

関節が一つずつ噛み合っていくような、不自然な動きだった。


エドは思わず眉をひそめる。

生きている人間の動きではない。

そう感じた。


男は全身を黒で統一していた。

頭部を覆う黒布。

黒革の鎧。

黒い手袋。

黒いマント。


洞窟の薄暗さに溶け込むような色合いだった。

だが、それ以上に目を引くものがある。


痩せすぎている。異様なほどに。

背は高い。だが肉がない。

肩は落ち窪み、胸板は薄い。

腕も足も長い。長すぎる。


革鎧を着こんでいるはずなのに、骨格だけで動いているように見えた。

まるで巨大な昆虫に人間の皮を被せたような不気味さがある。


男はゆっくりと首を傾けた。

その動きに合わせて、黒布の隙間から目がのぞく。


エドは息を呑んだ。


目だった。異様に大きい。

ぎょろり、と。

深海魚を思わせる濡れた眼球がこちらを見ている。


白目と黒目の境界が曖昧で、生き物というより死体に近い。


瞬きをしない。

ただ見ている。


じっと。


ただそれだけなのに。

見られているというだけで背筋を撫でられるような不快感があった。


男の周囲の空間はまだ揺らいでいた。

陽炎のように。

水面の向こうを見るように。


輪郭が定まらない。

見えているはずなのに、脳が認識を拒む。


視線を合わせていると、自分の方がおかしくなりそうだった。

右手には杖。

男の背丈ほどもある長い杖だった。


先端には黒ずんだ石が埋め込まれている。

その石の周囲だけ、空気がゆっくりと渦を巻いているように見えた。


男は口を開く。

だが何も言わない。

代わりに唇だけがゆっくりと歪む。


笑った。


そう理解するまで数秒かかった。

人間の笑顔ではなかった。


獲物を見つけた喜びでもない。

優位に立った愉悦でもない。


ただ。


こちらの嫌がる顔を見て楽しんでいる。

そんな笑みだった。


エドは無意識に槍を握り直す。

本能が告げていた。

危険だ。


ゴブリンなどではない。

目の前にいるのは、もっと別の何かだった。


だが、三人は動けなかった。

誰も。


指一本すら動かせない。

男は何もしていない。


武器を振り上げたわけでもない。

魔法を放ったわけでもない。


ただ、そこに立っているだけだった。

それなのに、身体が言うことを聞かない。

エドは槍を握ったまま固まっていた。


視線を外したい。

目を逸らしたい。

なのに逸らせない。


男の姿を見ているだけで、胸の奥から得体のしれない不快感が湧き上がってくる。

まるで腐った水を無理やり飲まされたような。

あるいは、傷口へ泥を塗り込まれたような。


そんな生理的な嫌悪感だった。

恐怖とは違う。

少なくともエドはそう感じた。


命の危険を前にした時の緊張とも違う。

強敵を前にした時の威圧感とも違う。


もっと根源的なものだ。

本能そのものが叫んでいる。


――近づくな。

――見るな。

――関わるな。


男の存在そのものを拒絶していた。


隣ではアニタも固まっていた。

革袋を抱えたまま。

表情から血の気が引いている。


アイリーンも同じだった。

短剣を構えたまま微動だにしない。

額には汗が滲んでいる。


誰も言葉を発しない。

洞窟の中は静まり返っていた。


聞こえるのは、どこか遠くで滴る水音だけ。


ぽたり。


ぽたり。


その音だけが妙に大きく響く。


男はそんな三人を見つめていた。

深海魚のような巨大な目で。

瞬き一つせず。


じっと。

ただ、じっと。

観察するように。


いや、品定めするように。


その視線を受けているだけで、胃の奥が捻じれるようだった。

エドは無意識に歯を食いしばる。

動け。動け。

そう命じる。

だが、身体は応えない。


恐怖ではない。

威圧でもない。


ただ純粋な嫌悪感。


人が腐敗臭に顔をしかめるように。

毒虫を見て反射的に身を引くように。


生物としての本能が、目の前の男を全力で拒絶していた。


「ぃいたかったなああぁ。」

男はようやく口を開いた。


低いわけでもない。

高いわけでもない。

怒鳴っているわけでもない。


だが、深いだった。

湿った布を耳の奥へ押し込まれたような。

ぬめつく泥が鼓膜へまとわりつくような。


聞いているだけで鳥肌が立つ。

言葉そのものではなく、声そのものが嫌悪感を伴っていた。


「まだちょっとぉ、ピリッとするじゃあないかあぁ。」

男は首を傾ける。


ごきり。


首の骨が鳴った。


いや、本当に鳴ったのかは分からない。

そう聞こえただけかもしれない。


男の動きはどれも不自然だった。

首を動かしたというより。

頭だけを掴んで無理やり向きを変えたような。

そんな違和感がある。


そして。

その巨大な目が動いた。


ぎょろり。


ゆっくりと。


獲物を探す爬虫類のように。

男の視線がアニタで止まる。

洞窟の空気が凍り付いた気がした。


じぃぃぃっと。


男はアニタを見つめる。


「ヒッ。」

アニタが小さな悲鳴を漏らした。

革袋を抱えたまま身体がびくりと震える。


顔色が悪い。肩が強ばっている。


男は笑った。いや、笑っているのだろう。

口元が歪んでいるが、それを笑顔と呼びたくなかった。

人間が浮かべる笑みではない。


腐肉へ群がる虫を眺めるような。

そんな粘ついた愉悦だけがそこにあった。


見れば見るほど気分が悪くなる。

胸の奥がざわつく。


嫌悪感。

ただひらすらに嫌悪感。


まるで人という形を借りて現れた何か。


目の前の男は、生き物として根本的に何かがおかしかった。

えっ!?まだしてないの!?!?!?!?

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