55話 追跡2
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アニタを先頭に、エドは森の中を駆けていた。
湿った土を蹴る。
低木の枝が腕を掠める。
背後では、少し遅れてアイリーンも追ってきていた。
森の中は薄暗い。
春を迎えたとはいえ、頭上を覆う枝葉はまだ十分に密集している。
差し込む陽光は細く、地面にはまだらな影を落としていた。
それでも、アニタの足取りに迷いはなかった。
右へ。左へ。
倒木を飛び越え、木々の隙間を縫うように進む。
まるで、見えない糸に導かれているようだった。
エドには何も感じられない。
だが、アニタにははっきりと分かっているのだろう。
離れていく気配の位置が。
やがて。
森が途切れた。
目の前に現れたのは切り立った岩壁だった。
木々のない小さな空間。
崖のようにそびえる灰色の岩肌が行く手を塞いでいる。
その瞬間。
アニタがピタリと足を止めた。
「あそこ。」
短く言って、岩壁の一角を指差す。
エドは目を凝らした。
ただの岩壁にしか見えない。
割れ目もなければ、人が入れそうな穴もない。
だが、見続けているうちに違和感が浮かび上がってくる。
岩肌の一部だけが、不自然に影を落としている。
輪郭が曖昧で、見ようとすると視線が滑る。
そこに何かあるはずなのに、脳が認識することを拒んでいるような感覚。
「あれか。」
「うん。闇魔法」
アニタは頷き、その一言でエドも理解した。
「入り口を隠してるのか。」
「正確には、認識をずらしてるの。」
アニタは洞窟の方を見つめたまま続ける。
「入り口を認識しづらいようにしてるみたい。でも、そこにあるってわかってればあんまり意味ない。」
闇魔法。
精神へ干渉する属性。
感覚を鈍らせたり、認識を誤魔化したり。
このように、見えているはずのものを見落とさせることもできる。
だからこそ厄介だ。
知らなければ洞窟の入り口など永遠に見つけられなかっただろう。
背後から追いついたアイリーンが息を整えながら顔をしかめた。
「なるほどねぇ......。盗賊どもが隠れ家に選びそうな場所だ。」
そう言いながら腰の短剣へ手を添える。
視線は洞窟の奥へ。自然と空気が張り詰めた。
アイリーンはしばらく洞窟の入口を見つめていた。
やがて小さく息を吐く。
「エドくんとアニタちゃんはガイウスのところへ戻りな。」
その言葉に、アニタがすぐ顔を上げた。
「えっ。」
「ここから先は私が行く。荷物も取り返してくるよ。」
アイリーンの声は穏やかだった。
だが、その口調には有無を言わせない硬さがあった。
護衛対象を危険地帯へ連れて行かない。冒険者として当然の判断だった。
「嫌です。」
即座にアニタが首を振る。
「私の荷物です。私が行かないと......。」
「気持ちは分かる。でも駄目。」
アイリーンはきっぱりと言った。
「中に何人いるかも分からない。罠があるかもしれない。君たちは護衛対象なんだ。」
アニタが唇を噛む。その横で、エドは静かに口を開いた。
「アイリーンさん。」
「ん?」
「相手は闇魔法を使っています。」
エドは洞窟の入口へ視線を向けた。
「アニタがいなければ、この場所そのものを見つけられなかった。」
アイリーンは黙って聞いている。
「中でも同じです。認識阻害や幻覚のようなものを使われたら、魔力感知のできるアニタは大きな戦力になります。」
「だからって、子供を危険な場所へ連れて行く理由にはならないよ。」
返答は即座だった。護衛として譲れない一線なのだろう。
エドは頷いた。
「それも分かっています。」
そして一拍置く。
「でも、仮に僕たちを帰らせるとして。」
アイリーンが眉をひそめた。
「自己判断で洞窟に入る僕たち二人を止められますか?」
森に静寂が落ちた。
アニタがエドを見る。アイリーンは苦い顔になった。
先日の訓練。二人が見せた動き。それを彼女は知っている。
しばらく黙り込んだ後、アイリーンは頭を掻いた。
「......正直。」
大きなため息。
「難しいね。」
「ですよね。」
「一人ならまだしも、二人同時は無理だろうね。」
アイリーンは肩を落とした。
「私が何人かいても厳しいと思う。」
エドは小さく頷く。
「だったら全員で動いた方が安全です。」
「勝手に行かれるよりは、ってことかい。」
「はい。」
再び沈黙。やがてアイリーンは観念したように笑った。
「まったく。」
額を押さえながら首を振る。
「君らは可愛げがないね。」
「誉め言葉として受け取っておきます。」
「どう考えても褒めてないでしょ。」
そう言ってからアイリーンは短剣の位置を確かめた。
そして洞窟へ向き直る。
「分かった。行こう。」
声色が変わる。熟練の冒険者の声だ。
その時。
アニタが小さく呟いた。
「来る。」
それは洞窟の奥から、ゆっくりと現れた。
人の腰ほどの背丈しかない。
肌は湿った苔を思わせる鈍い緑色。
長年陽の光を浴びていないかのようにくすんでいる。
痩せた四肢は不釣り合いなほど長く、節くれ立った指先には黒い爪。
平たく潰れた鼻。
黄色く濁った眼球。
口元から覗く鋭い犬歯。
耳は蝙蝠の翼のように尖り、周囲の音を拾うたびにぴくりと揺れた。
その目には知性があった。
だがそれは人の理性ではない。
獲物を見つけた獣の知性。
飢えと狡猾さだけを研ぎ澄ませたような光だった。
ぼろ布をまとい、手には短剣を握っている。
そしてエドはそれを知っていた。
本で何度も読んだ、人類にとって最も身近な魔物。
旅人を襲い、荷物を奪う人類の天敵。
ゴブリンだ。
それが三体。
洞窟の奥から現れてきた。
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