50話 旅路5
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今日はアニタも随分と歩いていた。
普段から鍛えていたおかげか、疲れた様子はみられない。
「私が歩けば、その分ウーマさんも楽できるでしょ。」
本人はそう言っていた。
昨日と同じように、何度か小休憩を挟みながら一行は川沿いの街道を南下していく。
この道をさらに進めば、この辺りで最も大きな湖。
ビーワ湖へ辿り着く。
ビーワ湖からは各地へ向かう街道が伸びており、その湖畔には交易の拠点として栄える大きな町も存在していた。
一行は物資の補給も兼ねて、まずはその街を目指している。
夕方が近づくころになると、一行は街道から少し外れた場所へ移動し、野営の準備を始めた。
エドとアニタも、昨日のガイウスとアイリーンの動きをしっかり見ていたおかげで、今日は準備を手伝うことができた。
水汲みや薪集め、寝床の準備。
できることはまだ多くないが、それでも二人が加わった分だけ作業は早く進む。
そのおかげで、昨日より少し早く夕食にありつくことができた。
献立は昨日と変わらない。硬いパンに干し肉、それから簡単なスープ。
それでも不思議と飽きる気はしなかった。
一日歩いた後に食べる食事は、それだけで十分美味しく感じられたからだ。
夕食を食べ終えると、アニタがエドへ声を掛けた。
「エド、今日もいい?」
訓練の誘いだった。
とはいえ、昨夜はアイリーンに危険すぎると注意されている。
さすがに戦闘訓練はできないだろう。
「そうだね。今日はあれをやろうか。」
「あれかぁ......。うん、苦手だけど、頑張る。」
アニタは少し顔をしかめながらも頷いた。
「ここだと火が近いから、もう少し向こうへ行こうか。」
「はーい。」
二人が立ち上がると、それを見てアイリーンも顔を上げた。
「なになに?今日は危ないことしちゃ駄目だよー?」
「大丈夫ですよ。ちゃんと見える場所でやりますから。」
そう答え、二人は少し離れた開けた場所へ移動する。
焚き火の明かりはまだ届く。
何かあればすぐに駆け付けられる距離だった。
アニタはその場に腰を下ろし、静かに目を閉じた。
「なんでもいいけど、怪我するようなことはやめてよねー。」
背後からアイリーンの声が飛ぶ。
やがて――。
アニタの周囲で風が動き始めた。
最初は微かな流れだった。
空気を撫でるような風が、ゆっくりと彼女の周囲へ集まっていく。
深く集中するにつれ、その流れは徐々に速さを増した。
栗色の髪が揺れる。
服の裾が小さくはためく。
風はアニタを中心に円を描くように巡り始めていた。
ひゅん。
ひゅん。
鋭い風切り音が夜の静寂に響く。
だが、アニタは微動だにしない。
目を閉じたまま。
呼吸すら乱さず。
風だけが強さを増していく。
そして――
ふわり、と。
アニタの身体が地面から離れた。
「......え?浮いてる?風魔法で?」
アイリーンが呆けたような顔でアニタを見上げていた。
それだけアニタがやっていることは規格外なのだろう。
風魔法で人を飛ばすこと自体は、それほど難しい話ではない。
強い風は人ひとりを吹き飛ばせる。
優れた魔法使いであれば、数人まとめて遠くへ飛ばすことだって可能だ。
だが、浮くとなると話は別だった。
風を身にまといながら、自分を傷つけないように制御する。
そのうえで、人の身体を持ち上げられるだけの力を発生させ続ける。
必要なのは単純な威力だけではない。
繊細な制御。長時間集中し続ける精神力。
そして、それを支えるだけの魔力量。
魔力量。
世間ではよく「体内に蓄えられた魔力の総量」と考えられている。
だが、最近のエドは少し違う解釈をしていた。
魔力そのものは、世界中に満ちている。
人はそれを取り込み、加工し、放出しているに過ぎない。
だとすれば重要なのは、どれだけ持っているかではない。
どれだけ扱えるかだ。
「個人が保有する魔力の総量」ではなく、
「個人が扱うことのできる魔力の総量」。
それがエドの考える魔力量だった。
「......十。」
アニタが浮かび始めてしばらくすると、エドはそう呟いて指を一本立てた。
アニタは目を閉じたまま集中を続けている。
地面から腰ほどの高さで、静かに浮遊したままだ。
「......二十。」
二本目の指が立つ。
それから三十、四十、五十と。
エドは一定の間隔で数字を数えながら指を増やしていった。
アイリーンもいつの間にか興味深そうに様子を見守っている。
そして両手を使い、七本目の指を立てようとした瞬間――
ふっ、と。
アニタの周囲を巡っていた風が消えた。
「あっ。」
身体が支えを失い、アニタはその場へ落下する。
もっとも高さはそれほどない。
両手を地面について受け身を取ると、そのまま肩で大きく息をした。
「はぁ......はぁ......。もう、無理......。」
額から汗が流れ落ちる。
顔色も少し赤い。
「今日は六十七だったよ。記録更新ならずだ。」
エドは淡々と結果を告げる。
「えー!」
アニタが顔を上げた。
「結構頑張ったと思ったのに―!」
「今日は自分を囲む風の範囲が少し広かったからね。」
エドは先ほどの様子を思い返しながら言う。
「その分だけ消費も増えたんじゃないかな。」
「あー......。」
アニタは納得したような、悔しいような顔になる。
「歩いて疲れてたのかも......。」
後ろでは、アイリーンがぽかんと口を開けていた。
「君たち、普段からこんなことやってたの......?」
驚きを隠せていないようだった。
「風魔法で飛ぶんじゃなくて、浮くって......。そんなの私には一瞬だって無理だよ......。」
「ベテランの冒険者さんにそう言ってもらえると、少し自信がつきますね。」
エドは淡々と答えた。
アニタも隣でうんうんと大きく頷く。
「少しって......。」
アイリーンは思わず額を押さえた。
「私が目指すのは魔法学科の主席ですから!」
アニタは胸を張る。
「そうかなぁ......?そういうものなのかなぁ......?」
アイリーンは首を傾げたまま呟いた。
どうにも納得しきれない様子だった。
その後、少し休憩を挟んでから訓練を再開した。
風魔法でその場に留まる。それは極めて効率の悪い魔法の使い方だった。
人を吹き飛ばすだけなら、もっと少ない魔力で済む。移動したいなら歩けばいい。
そもそも、その場に浮き続ける必要など普通はない。
だから誰もやろうとしない。
だが、その燃費の悪さこそが重要だった。
限られた魔力を途切れさせずに使い続ける。
繊細な制御を維持し続ける。そして限界まで魔力を扱う。
魔力量を鍛えるという意味では、この訓練は非常に大きな意味を持っていた。
その日は休憩を挟みながら、さらに三回。
夜が更けたところで訓練は終了となった。
夜空には無数の星が瞬いている。
ガイウスとアイリーンは焚き火を囲い、エドとアニタは荷台で横になる。
王都への旅は、まだ始まったばかりだった。
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