3話 理解
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アニタの手を引き、森を出て村へ戻る。
いつもより帰る時間は早い。
だが、一度倒れた以上、無理を重ねる理由はない。
身体は驚くほど軽い。
それでも――万全からは程遠いと、どこか冷静に判断している自分がいた。
アニタは何度もエドの顔を伺っていた。
――以前と違う雰囲気を感じ取っているのだろう。
心配と不安が入り混じった視線だった。
......そう分析している自分に、わずかな違和感を覚える。
「じゃあ、ここで。またね。」
アニタの家の前で足を止める。
手を離すと、彼女はすぐには動かなかった。
何か言いたげに口を開きかけて、結局閉じる。
その視線だけが、わずかに揺れていた。
――そして、その理由を分析し納得している自分もいた。
「......うん。また、明日ね。」
少し遅れていつも通りの言葉が返ってくる。
だがその声には、ほんのわずかな迷いが混じっていた。
背を向けて歩き出す。
振り返ることは無かったが、視線だけはしばらく背中に残っている気がした。
家へと続く道を一人で歩く。
見慣れたはずの村の景色が、どこか輪郭を変えて見えた。
干された洗濯物が風に揺れている。
子供たちの笑い声が遠くから聞こえる。
家々の煙突からは、夕げの煙が細く立ち上っていた。
どれも変わらないはずの光景だが、妙に整然として見えた。
視線が、無意識に細部を追っている。
人の動き、物の配置、音の距離。
理解しようとせずとも、ただ、勝手に把握してしまう。
――以前からの、癖のように。
「ただいま。」
家の扉を開けると、焼きあがったパンと香草の匂いが鼻をくすぐった。
嗅ぎなれたはずの匂いなのに、どこか他人事のように感じる。
「おかえり、いつもより早いのね。」
「うん、夕食の仕込みを手伝いにね。」
「じゃあお野菜洗って切っといてくれる?」
「わかったよ。父さんは......サンタナおばさんのところかな?今朝パンを多く焼いてたし、
ドーンおじさんも呼ぶつもりだね。じゃあ、野菜はピクルス用にも切っておくよ。つまみがいるだろうし。」
エドは包丁を手に取る。
指の位置、力の入れ方、刃の運び――迷いは無い。
「え?そうね。おねがい。」
少しの間を置いて、再び包丁の音だけが台所に響く。
一定のリズムで刻まれていく野菜。
その手際の良さに、母の視線が何度かこちらへ向けられ、
母の手が、わずかに止まる。
「......あなた、なにかあった?」
その一言に、胸の奥がわずかに跳ねた。
包丁の動きが、一瞬だけ鈍る。だが、動揺を引きずる理由は無い。
「いや、森で具合が悪くなって少し休んだけど、それだけだよ。」
手を止めず、一定のリズムで野菜を刻み続ける。
沈黙の中で、母の視線だけがわずかにこちらに残っていた。
「そう。」
母は、それ以上聞かなかった。
規則正しい包丁の音に紛れるように、外から足音と笑い声が近づいてきた。
「おーい、帰ったぞー!」
扉の向こうから父の声が響く。
それに重なるように、サンタナおばさんの明るい声と、ドーンおじさんの低い笑い声が続いた。
「ちょうどいいところに来たわね。ピクルスもすぐにできるわ。」
母が手を止め、軽く息をつく。
先ほどまでの空気を切り替えるように、声の調子を少しだけ上げた。今夜はごちそうだ。
「お、エドも手伝ってたのか。えらいじゃねえか。」
父ヴァンスが笑いながらエドの肩を叩く。
その大雑把な力加減に、思わず一瞬だけ意識が向く。
「無理させないで。森で体調をくずしたって聞いたんだから。」
母のリラがすかさず口を挟んだ。
「あら、大丈夫なの?無理しちゃだめよ?」
とサンタナが頭を撫でてくる。
「もう大丈夫だよ。」
エドがそう答えると、ドーンが静かにエドの顔を覗き込む。
「うん。確かに顔色は、そんなに悪くないな。とはいえ、ただでさえ線が細いんだ。あんまり無理するなよ。」
食卓に料理が並び、賑やかな時間が始まる。
「そういえば、村長さんのとこのアニタちゃん。昨日もすごかったわよ。」
サンタナが楽しそうに話しを振る。
「風を使って、一人で洗濯物全部乾かしちゃったの。」
「おう、あの年であれだけ魔力扱えんのは、大したもんだよなぁ。」
ヴァンスも感心したように腕を組む。
――魔力。
その言葉に、エドの意識がわずかに引っかかる。
今朝、風車を回したとき。確かにそれを使っていたはずだった。
だが、その感覚がいまいち思い出せない。
どのように扱っていたのか。
そもそも、それがどのようなものだったかさえ、曖昧になっていた。
「村長も鼻が高いだろうなぁ。あれなら王都でも十分やっていける。」
ドーンが淡々と続けた。
「来年には王都の学校よね?特待生だったかしら?」
小さな村だ。こういう話しはすぐに広まる。あまり家から出ないリラの耳にも届いていた。
「あの子なら大丈夫そうね。」
食事は進み、会話も自然と流れていく――
「今年は天気も安定してるし、このままいけば豊作だなぁ」
ヴァンスがお気に入りの果実酒を口にしながら言う。
「雨の時期もずれていないし、風も穏やかだ。」とドーンが補足する。
風、気候、土の状態。
エドは話しを聞きながら、頭の中で自然と整理され、どこに無駄があり、
何を変えれば効率が上がるのか、無意識のうちに考えていた。
「エドにもそのうち手伝ってもらうぞ!」
ヴァンスが笑う。
「もちろん、そのつもりだよ。」
笑顔で言葉を自然に返した。
その自然さに、どこか距離感を感じながら。
「今日は少し疲れたみたい。先に部屋で休むよ。」
まだ体に残る違和感を言い訳に、エドは自室に戻る。
少し、一人で考える時間が欲しかった。
靴を脱ぎ、ベッドで仰向けに横たわり、今日の出来事を反芻する。
あの見慣れない子供が誰だったのかは、もはやどうでもいいことだった。
境内でも見た子供と一致する。
理外の現象である可能性が高い。
ならば、考えても仕方がない。
それよりも、記憶――
確かに、目が覚めるまで、その子供と問答をしていた気がする。
寺の掃除をしていた気もする。
森の古小屋で本を読んでいた記憶もある。
そして、幼馴染のアニタを探していた。
どの記憶にも、確かな実感があった。
自身のことも智玄の名を捨て出家して僧侶になった慧導と認識している。
同時に、エドであるという自覚もある。
矛盾はない。
――ただ、境界が曖昧だった。
合理を突き詰めてきたはずだった。
だが今、自分はその外側にいる。その感覚が、胸の奥をわずかに刺激する。
それが慧導のものか、エドのものか分からない。
この世界には魔法がある。
そして自分も、今朝それを使っていた。
具体的にどのように魔力を使ったかは、なぜかうまく思い出すことができないが――
年甲斐もなく、心がわずかに揺れ動いていた。
それが何によるものか――答えは出さなかった。
翌朝、エドが目を覚ますと体の疲れはすっかり消えていた。
窓から差し込む朝の光も、鳥の声も、昨日までと何も変わらない。
普段通りの朝を迎えた。
変わったのは、自分だけだ――。
庭先で赤く実ったりんごの実の甘酸っぱい香りが部屋まで届く。
裏手の森から鳥の鳴き声が朝を告げる。
誰かが井戸を引く音。木を割る音。家畜の鳴き声。そして、焼きあがったパンの香り。
カーテンを引き、窓から見える畑では、ヴァンスが芋に水やりをしていた。
エドは窓を開け「おはよう、父さん。」と軽く声をかける。
そしてそのまま軽く身支度を整えて階下へ向かった。
「おはよう。」
母に声をかけると、朝食の支度をしている母は手を止め振り返る。
「おはよう、もう大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。心配かけてごめん。」
「......。あまり無理はしちゃだめよ?」
エドは、母が何か言い淀んだことに気づいた。
――さすが、母親というべきか。
普段通りに振舞っているつもりでも、わずかな違和感までは隠しきれていないらしい。
言葉にはならない何かを、リラは確かに感じ取っているようだった。
朝食を済ませると、エドはいつものように森の古小屋へ向かった。
見慣れた小道を歩きながら。
胸の奥に残るわずかな違和感を確かめるように。




