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チートが無いなら無いなりに  作者: 古賀仁成
1章 11歳少年エド。魔法を失う。魔法が無いなら無いなりに。

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34話 修行4

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さらに数日後のことだった。


川の流れに逆らいながら、エドは一歩ずつ前へ進んでいた。

腕に抱えた岩は重く、肩から指先までしびれるような感覚が続いている。

水流は相変わらず容赦なく、膝の裏をさらおうとまとわりついてきた。


隣では、アニタも無言で進んでいる。


肩で息をしながら、それでも足を止めない。

前を向き、川岸の木を目指していた。


岸辺に立つリョーフが片手を上げている。

指先がわずかに動く。


その瞬間、小石ほどの水球が一つ、アニタへ向かって放たれた。

狙いは腕だった。

岩を抱える腕に当たれば、一瞬でも力が緩む。

そういう位置だった。


だが。


当たる直前、不意に風が吹いた。

水面を撫でるような、ごく短い風。

木々の葉を揺らす程度の、ほんのわずかな流れだった。


その風に押されたように、水球の軌道が逸れる。

ぱしゃ、と小さな音を立て、水球はアニタの腕に届く前に川へ落ちた。


エドは目を見開く。

偶然かと思った。


だが、川を進むアニタの表情は変わらない。

息は荒い。

頬には髪が張り付き、水が顎を伝って落ちている。


それでも視線だけは、ずっとリョーフへ向けられていた。


眉間にしわを寄せ、唇を結び、いかにも恨みがましそうに見える表情。

ここ数日、ずっと続いていたものだったが。


――あの顔。


その目を見て、ようやく気付く。


違う。

睨んでいるんじゃない。

見ている。


もっと正確に言えば、追っている。


リョーフ本人ではない。

その周囲。

腕が動く瞬間、指先、空気の揺らぎ。

魔力が動く前触れのようなものを、必死に拾おうとしている。


あの顔は怒っていたわけじゃない。

一瞬たりとも見逃すまいと、集中していただけだった。


その証拠に、次の水球が飛んだ時も同じだった。

リョーフの指が動く。

その瞬間、アニタの肩先がわずかに揺れる。


水球はまた逸れ、水面に落ちた。


アニタは一度もリョーフから目を離さなかった。

エドは自分の腕に当たる水球を受けながら、その姿を見ていた。


アニタは魔力を感じ取った。


リョーフが動く前触れを察し、風を生み、水球の軌道をそらしている。

まだ完全ではない。

それでも、対処できていた。


エドにはそれができない。


何度見ても、何も感じない。

リョーフの周囲に揺らぎは見えず、空気の変化も分からない。

目を凝らしても、ただ川辺に立つ姿しか映らなかった。


だから水球が飛んでくるたび、受けるしかない。


肩に当たる。

腕に当たる。

脇腹を打たれ、踏み込みが乱れる。


それでもエドは視線を逸らさなかった。


リョーフの指先が動くたび、水球が生まれる。


小さな動きだった。

指をわずかに弾くような仕草。

手首の角度も、その向きも一定ではない。


腕を狙う時もあれば、脇腹を打つこともある。

頬をかすめることもあった。

法則は見えなかった。


何度も打たれながら。

足をとられながら。

岩を抱えたまま、視線だけは離さなかった。


指先が動く。

次の瞬間、額へ向かって水球が飛んできた。


いつもなら避けられない。

顔をしかめて受けるだけだった。

だが、考えるより先に、腕が動いた。


抱えていた岩をわずかに持ち上げる。

ぱしっ、と水球が岩に当たり、砕けて散った。


冷たいしぶきが頬にかかる。


何度も見ていた。

何度も打たれた。

その繰り返しの中で、水球が直線にしか飛ばないことを身体が覚えていた。


どこを狙われるかまでは読めない。

だが、飛んだ後なら追える。


腕がそう動いたのは、考えたからではなかった。

身体が先に理解していた。


水球が生まれる。

エドはそれを見る。


顔へ向かってくれば、抱えた岩をわずかに持ち上げて受ける。

額の前で弾けた水が飛び散り、頬を濡らす。


腰を狙えば、身体をひねる。

足場が崩れそうになっても、踏み直して前へ出る。


腕をうたれそうになれば、岩で受ける。

崩れなければいい。落とさなければ、それでいい。


後ろではアニタも同じだった。

飛んでくる瞬間を読み、風をおこす。

水球はわずかにそれ、水面へ落ちていく。



それを何度も繰り返した。


そして数日後。


それがもう、考える前にできるようになったころだった。

岸辺に立つリョーフがふっと息を吐く。


「さて、そろそろ別のことをしようか。」


その声に、二人は同時に顔を上げた。

「上がりなさい。」


岸へ上がると、二人ともその場に座り込んだ。

腕は重く、脚はまだ水流の揺れを覚えている。

岩を下ろした途端、肩から力が抜けていった。


そんな二人を見下ろしながら、リョーフは口を開いた。

「まず、アニタちゃん。君は風魔法が得意だよね。」


突然名を呼ばれ、アニタが背筋を伸ばす。

「はい。」


リョーフは頷いた。

「うん、とてもいい。」


その言葉に、アニタは少しだけ目を丸くした。

褒められるとは思っていなかったらしい。


リョーフは川を指差す。

「実は風魔法って、非常に合理的なんだよ。」

「合理的......ですか?」


首を傾げるアニタに、リョーフは淡々と続ける。

「そう。例えば、今回君たちを打つのに私は水球を使ったね。」


言いながら、指先に小さな水球を浮かべる。

透明な球がゆっくり回り、水面を映して揺れた。


「水球の場合は、水を集める。形を作る。放つ。厳密にはそのくらい工程がある。」

指先を弾く。

水球は川へ飛び、小さく弾けた。


「最低でも、出すと放つ。この二つは必要になる。」

エドは黙って聞いていた。


言われてみれば、その通りだった。

水は最初からそこにあるわけではない。

魔法で集め、形を維持し、それから飛ばしている。


リョーフは今度、空中を軽く払う。


木の葉がふわりと舞った。


「でも風は違う。」

その一言で、空気が変わる。


「見えない。形がない。そして、最初から放つで完結する。」

言葉は静かだったが、妙に重みがあった。


「戦闘において、見えないというのは大きい。予測しづらい。防ぎづらい。察知しづらい。」

リョーフはアニタを見る。


「かなり有用だよ。」

アニタの表情が少し緩む。

だが、それも一瞬だった。


リョーフはすぐに続ける。

「でも、生存率を上げたいなら、なんでもできるようにならないと。」


その言葉に、アニタの顔がまた引き締まる。

「だから、アニタちゃんには他の全部の属性で攻撃魔法が使えるようになってもらう。」


数秒、沈黙が落ちた。

川の音だけが流れる。


アニタは瞬きを繰り返した。

理解が追いついていないような顔だった。

「......全部?」


かすれた声で、ようやくそれだけ絞り出す。

リョーフは当然のことのように頷く。

「そう。火、水、土、風、光、闇。全部だよ。」


さらりと言ってから、視線がエドへ移る。

その瞬間、嫌な予感が背筋を這いあがった。


「そしてエドくん。」

呼ばれた瞬間、反射的に背筋が伸びる。


「君はそれを全部受けなさい。」

エドは瞬きをした。


そして、あまりにも自然な口調で言った。


「戦闘訓練だ。」

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