33話 修行3
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まず最初に変化が合わられたのは肉体のほうだった。
一か月ほど経った頃だろうか。
水の中へ足を踏み入れる。
冷たさにはもう驚かなくなっていた。
腰を流れが打つ。
一歩踏み出すたびに水がまとわりつき、足首を引き戻そうとする。
それでも、足裏は川底を捉えていた。
両腕に抱えた岩が重い。
濡れた表面は滑りやすく、わずかに力を抜けばそのまま落としてしまいそうだった。
腕の筋肉は熱を持ち、肩の奥がじくじくと痛む。
流れに押されるたび、身体がわずかに傾く。
踏ん張り切れなければ、そのまま下流へ持っていかれる。
だから足を出すたび、全身で地面に噛みつくように力を込める。
呼吸は荒くなり、喉が焼けるようで、肺が熱い。
太ももは重く、足を前へ出すたびに鈍い痛みが走る。
腕も、とうに感覚が薄れてきていた。
それでも一歩ずつ進む。
水をかき分ける音。
岩の重みで腕が震え、そのたびに飛沫が散った。
下を向かず、前を向く。
前方には川岸に立つ一本の木。
枝を大きく広げたその木は、最初の日から目標にしてきた場所だった。
初日は十歩も進めなかった。
途中で足がもつれ、岩を取り落とした。
翌日も似たようなものだった。
だが、今日は違う。
木が以前より近い。
その事実だけが、積み重ねた日々を証明していた。
お互い限界が来るたび、二人は岸へ上がった。
濡れた服はリョーフが乾かしてくれる。
乾いたら地面へ座り込み、息を整える。
アニタは目を閉じる。
肩の力を抜き、呼吸をゆっくり落としながら、自分の内と外へ意識を向けていく。
川の流れ、風、木々の揺れ。その中に混じる何かを探るように。
エドは、その正面でじっと見ていた。
目を閉じることはしない。
アニタの表情の変化、呼吸の揺れ、指先の動き。
魔力を感じる者が何を見て、何を拾っているのか、それを少しでも知ろうとしていた。
辺りには静寂があった。
水の流れる音。
枝葉の擦れる音。
遠くで響く鳥の鳴き声。
その静寂を破ったのは、アニタだった。
「リョーフさん、なにかしてる?」
不意にアニタが顔を上げた。
目を大きく開き、リョーフの方を見る。
だが、その視線は本人を見ているというより、その周囲を見ているようだった。
輪郭の外側、空気の揺らぎを追っているような、不思議な目つきだった。
エドも反射的にリョーフを見る。
だが、何も変わらない。
川辺に立つ姿はいつも通りで、ただ腕を組んでこちらを見ているだけだった。
「うん、少し揺らいでいるんだよ。集中して、それをもっと感じ取れるようになりなさい。」
リョーフは軽くそう言うと、視線を横へ移した。
「そしてエドくん。君が見るのは私ではなく、アニタちゃんだろう?」
言われて、エドははっとした。
反射的にリョーフを見ていた自分に気づき、慌ててアニタへ視線を戻す。
アニタの目はやはりリョーフ本人を見ていなかった。
その少し外側。
輪郭の周囲をなぞるように視線が揺れている。
何かを見ている。
いや、感じ取ろうとしている。
エドには何もわからない。
それでも、その違いだけははっきりと見えた。
その日を境に、二人の中で何かが変わった。
目に見えて進んだわけではない。
だが、一歩ずつ前へ進んでいる感覚があった。
数日後。
先に変化を見せたのはエドだった。
いつものように岩を抱え、流れに逆らって進む。
肩は焼けるように痛み、脚は重い。
それでも足は止まらなかった。
前方の木へたどり着いたとき、自分でもすぐには気づかなかった。
岸に手を突いた瞬間、ようやく理解する。
着いた。
それだけのことなのに、胸の奥で静かに何かが熱くなった。
数日遅れて、アニタも同じ場所へたどり着いた。
木へ手をつき、そのまま大きく息を吐く。
濡れた髪が頬に張り付き、肩が上下していた。
リョーフは二人を見て小さく頷く。
そして、何事でもないように口を開いた。
「じゃあ、元の場所に戻りなさい。」
その足元に置かれていたのは、今まで抱えていたものより一回り大きな岩だった。
アニタは目を見開いた。
次の瞬間、その場へ崩れるように座り込む。
それでもエドとアニタは言われた通りにした。
さらに数日後のことだった。
二人は前回より一回り大きな岩を抱え、再び川へ入っていた。
腕に食い込む重みは以前とは比べ物にならない。
一歩進むだけで膝が沈み、流れが容赦なく身体を揺らす。
それでも、前へ進んでいた。
そのときだった。
ぱしっ、と額に冷たい衝撃が走る。
思わず目を閉じ、エドは足を止めかけた。
だが岩の重みで前へ崩れそうになり、慌てて踏みとどまる。
顔を上げると、岸辺に立つリョーフが片手を軽く掲げていた。
その指先から、小石ほどの大きさの水球が次々と放たれてくる。
速くはない。
避けられないほどでもない。
だが、踏み出す瞬間を狙うように飛んでくるせいで、わずかに身体がぶれる。
それだけで流れが足をさらおうとしてくる。
「躱すか、受けるか、耐えるか。好きなようにしなさい。」
平然として声だった。
その直後、アニタが顔を上げた。
アニタは無言のままリョーフを睨みつける。
エドは思わずそちらを見る。
今まで見たこともない顔だった。
恨めしい、という言葉がそのまま形になったような表情。
眉間にしわを寄せ、唇を引き結び、水を滴らせながら視線だけで抗議している。
それでも足は止めない。
睨みながら一歩進む。
水球が手に当たる。
さらに睨む。
その様子に、エドは危うく吹き出しそうになったが、次の瞬間、
自分の脇腹にも水球が飛んできてそんな余裕は消えた。
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