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チートが無いなら無いなりに  作者: 古賀仁成
1章 11歳少年エド。魔法を失う。魔法が無いなら無いなりに。

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32話 修行2

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水に入った瞬間、靴の中へ冷たい水が一気に流れ込む。

足首を包み、脛を伝い、服の裾を吸い上げていく。


数歩も進まないうちに、ズボンが重くなった。

布が水を吸い、脚に張りつく。

動かすたびにまとわりつき、足を上げるたび余計な力がいる。


それだけでは終わらない。


川底の石は丸く、不安定だった。

踏み込むたびに足がわずかにずれる。

踏ん張ろうとした足を、水流が正面からさらっていく。


重心が揺れる。

抱えた岩を落とすまいと腕に力を込めた瞬間、その揺れがそのまま肩へ響いた。


鈍い痛みがじわりと広がる。


腕が重い。

肩が痛い。

腰まで水に浸かっているだけで、足まで言うことをきかない。


水を吸った服が脚にまとわりつく。

足を持ち上げるたび布が引っ張り、脚の動きが鈍る。


川底の石は見た目より滑りやすく、一歩踏み込むたび足裏がずれた。

流れは緩やかなはずなのに、腰まで浸かると身体ごと押される。


抱えた岩の重みで腕が震え始める。

肩が熱を持ち、指先の感覚が少しずつ鈍くなっていく。


思わず足元へ視線を落とした、その瞬間。


「下を向かない。」


背後から声が飛んだ。

エドとアニタは反射的に顔を上げる。


「まっすぐ正面を見るんだ。足元は足の感覚で探りなさい。」


言われた通り前を見る。

だが、それだけで不安が増した。

見えない場所へ足を置くのは、本能的に怖い。


一歩踏み出す。

石に触れ、ずれる。

慌てて重心を戻そうとして、身体が前へ傾いた。


「背筋を伸ばしなさい。」


また声が飛ぶ。


「重心が前のめりになると余計に辛いよ。」


歯を食いしばり、肩を引く。

岩を抱え直し、胸を開く。


それだけで、少しだけ腕の負担が軽くなった。


次の一歩を出す。

足を持ち上げた瞬間、水流が膝を押した。

踏み出した先で石を踏み外し、身体が大きく揺れる。


岩が腕の中で滑った。


「足を上げない。」

リョーフの声が追いかけてくる。


「地面を這わせるように進みなさい。足を上げると水流に取られる。」


腕の感覚が先に消えた。

抱えているつもりなのに、指先に力が入らない。

濡れた岩の表面が少しずつ滑り、腕の中で位置がずれていく。


一歩。

また、一歩。


足元を探ることだけで精一杯だった。


視線を前に向けたまま、流れに逆らい、重さを支える。

言われた通りにしているはずなのに、身体はどんどん言うことをきかなくなる。


そして。


踏み出した右足が丸石の上でわずかに滑った。

身体が傾く。

慌てて踏ん張るが、その瞬間、腕の中の岩がずるりと落ちた。


「あっ――。」


水しぶきを上げて岩が川底へ落ちる。

鈍い音が足元から響いた。

その隣で、アニタも同じように岩を落としていた。


二人とも、その場で肩を上下させて息を荒げる。


「いいよ。じゃあ川から上がって。」


穏やかな声に従い、エドとアニタは肩で息をしながら岸へ戻った。

靴の中で水が鳴る。

服は全身に張り付き、肌に冷たくまとわりついていた。


腕から力を抜くと、途端に重さが押し寄せる。

たった数歩しか進んでいないのに、肩は焼けるように熱かった。

隣ではアニタも無言で息を整えている。


そんな二人を前に、リョーフは何気ない顔で片手を上げた。

右手をエドとアニタの正面へ伸ばし、何かを掴むように指を閉じる。


その瞬間――。


服に染み込んでいた水が、一斉に引き抜かれる。


エドは目を見開いた。


袖から。

裾から。

靴の中から。


吸い寄せられるように水が抜けだし、細い糸のように空へ集まっていく。

ぱたぱたと布が軽くなり、身体に張り付いていた冷たさが一気に消えた。


集められた水は空中でひとつの玉になった。

人の頭ほどもある透明な塊が、重力を忘れたようにその場へ浮かんでいる。


陽の光を受けて表面がわずかに揺れた。


「休憩がてらそこの岩に座って聞いていいよ。まず魔法についてだけど――。」


リョーフは浮かせていた水球を指先で弾く。

水球はふわりと川へ戻り、何事もなかったように流れへ溶けた。


エドとアニタは大きな岩に腰を下ろす。

座った瞬間、脚がじわりと震えた。

十歩も進んでいないのに、太ももが重い。


リョーフはそんな様子に構わず話し始める。

「人々は魔法を使える。でも、多くの人は自分が何を使っているのか理解していない。」


川を指差す。

「この世界で一般に言われているのは六要素だ。」


水面をなぞるように指を動かす。

すると流れが一筋だけ持ち上がえり、空中で細く伸びた。


「火、水、風、地。」

言葉に合わせて、水が蒸気になり、風に揺れ、砂を巻き上げ、小さな石が浮く。


最後に、リョーフが掌を閉じた。

その周囲に淡い光が灯り、その裏側に影が濃く落ちた。


「光、闇。の六つ。」


アニタが息を呑む。

リョーフは指を下ろした。


「六神教では、この六つそれぞれに神様が宿るとされている。それぞれの神様が世界へ力を降り注いだ。」


リョーフはそう言って、掌を開いた。

川面の上に小さな水の粒が浮かび、ゆっくりと揺れる。


「我々はその力を魔力として感じ取り、それを操ることで魔法を使う。六神教ではそう説明されている。」


ちらりとアニタを見る。

アニタは真剣な表情で黙ってうなずいていた。


リョーフは続ける。

「だけどね。その『感じる』という行為は思っている以上に繊細なんだ。」


指先で水粒を揺らす。


「大抵の人は大雑把にしか感じていない。そこに力がある、と認識しているだけだ。」


水粒が細く裂ける。

一本だったものが、糸のように何本にも分かれた。


エドは目を凝らした。


「けれど集中すれば、その流れの細かな差まで感じ取れるようになる。」


リョーフの指先で、水はさらに複雑に動く。

絡まり、ほどけ、別の流れに変わる。


「向き。密度。揺らぎ。滞り。」


淡々と並べる声に、エドは眉を寄せた。

言葉はわかる。

だが、それを『感じる』といわれても実感がない。


「その違いを認識できれば、魔法は一気に奥深くなる。」


そこでリョーフは指を止めた。

水がぱしゃりと落ちる。


視線が二人へ戻る。


「そして、将来敵と対峙するとき。相手がそれを前提に動いている可能性を知っておく必要がある。」

声が少し低くなった。


エドは何も言わなかった。

自分には、その入り口にすら立てないのだと、改めて思い知らされた。


リョーフは二人を見比べる。

「アニタちゃんは、まず魔力を繊細に感じ取るところから始めなさい。」


アニタはすぐに背筋を伸ばした。

「はい!」


その返事にうなずくと、リョーフは視線をエドに向けた。

「エドくんはそれを観察しなさい。」


エドは瞬きをした。

「......観察?」

「そう。」


リョーフは当然のように続ける。

「君は魔力を感じられないんだろう?それなら感じている人間を見なさい。」


さらりと言う。

「表情、視線、呼吸、身体の動き。人は何かを認識すると必ず反応する。」


エドは黙って聞く。

「魔力そのものが見えなくても、その変化を受けた人の反応は見えるだろう?」


その言葉に、エドはわずかに目を見開いた。


「それを積み重ねれば、いずれは魔力が見えなくても読めるようにはなるだろう。」


リョーフは肩をすくめる。

「見えないからできない、なんて話じゃないよ。」



そのようにして修行は進んでいった。


川へ入る。

岩を抱えて歩く。

限界が来れば岸へ上がる。


そして息を整える暇もなく、座学が始まる。


アニタは目を閉じて座り、流れる魔力へ意識を向ける。

エドはそれを正面から観察する。


眉がわずかに寄る瞬間。

呼吸が浅くなる瞬間。

指先がぴくりと動く瞬間。


何かを感じているのだろうか。

だが、エドにはその「何か」がわからない。


わからないまま、それでも見続けた。


しばらくしてまた川へ戻る。


冷たい水に足を入れる。

重くなった服が脚にまとわりつく。

水流が足をさらおうとする。


そんな修行が、何日も何日も続いていったのだった。

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