30話 試験4
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あまり褒められたような勝ち方ではなかったかもしれない。
エドは立ち上がったまま、数歩先で足を止めたリョーフの背中を見る。
踏み固められた土に引かれた円。
その外側に、リョーフの片足がはっきりと出ていた。
たったそれだけのことだ。
だが、その境界線は最初に示された条件そのものだった。
正面から押し出したわけじゃない。
力で勝ったわけでもない。
途中では地面に叩きつけられ、あっさり押さえ込まれた。
腕一本も振りほどけず、最後には降参まで口にした。
勝負としてみれば、完敗だっただろう。
それでも――。
エドはその足元から目を離さなかった。
線の外に出た。
条件は満たされた。
それ以上でも、それ以下でもない。
胸の奥には少しだけ後ろめたさがあった。
相手の隙を突き、言葉の綾を拾っただけだ。
勝ったというより、拾った。
そんな感覚に近い。
だが、勝ちは勝ちだ。
リョーフは最初に手段は問わないと言っていた。
なら、その言葉ごと使わせてもらう。
それを卑怯というなら、それでもいい。
勝負の条件を決めたのはリョーフ自身だ。
エドは最初から分かっていた。
真正面からぶつかれば勝てない。
力も、経験も、身体も届かない。
なら、勝ち方を変えるしかない。
条件の隙を探し、
言葉の端を拾い、
終わったと思わせてから最後に取る。
そうでもしなければ、自分に勝ち目はない。
風が吹き抜ける。
乾いた土が足元でかすかに転がった。
リョーフの足は、まだ線の外にあった。
それだけで十分だった。
「よし。じゃあ、今度こそ試験は終わりだね。」
その声が、真後ろから聞こえた。
エドの思考が、一瞬止まる。
風の音が消えたように感じた。
心臓だけが一拍、大きく跳ねる。
――今の声は。
反射的に、エドは振り返った。
そこにいた。
円の中。
踏み固められた土の中央で、腕を組んだまま立つリョーフ。
先ほどと変わらない位置。
変わらない表情。
まるで、一歩も動いていなかったかのように。
「......は?」
喉から漏れた声は、自分でも驚くほど間の抜けたものだった。
すぐに前へ視線を戻す。
さっきまで数歩先にいたはずの背中はない。
円の外の地面には足跡も残っていなかった。
空気だけが、何事もなかったように流れている。
「幻影魔法っていうんだ。」
リョーフは腕を組んだまま、口元をわずかに上げた。
「さすがにそこまでは読めなかったろう?」
その笑みは穏やかだった。
なのに、その一言がやけに重く落ちる。
エドは何も言えなかった。
「さて。」
リョーフが先に踵を返した。
「小屋に戻ろうか。」
エドは一度だけ円を見たあと、小さく息を吐く。
「......うん。」
アニタが隣に並ぶ。
何か言いかけて、結局何も言わなかった。
三人はそのまま小屋へ戻った。
小屋に戻ると、リョーフは椅子に腰かけ、しばらく黙って二人を見ていた。
その沈黙が落ち着いた頃、ようやく口を開く。
「さて。いろいろ言いたいことはあるんだけど、まず後半のエド君考案の搦め手についてだね。」
穏やかな声色だった。
さっきまで試験で押さえつけていた相手とは思えないほど自然な調子だ。
「センスは悪くない。」
最初にそう言ってから、リョーフは指を一本立てた。
「ただ、自分の案に自信を持ちすぎている。」
エドは黙って聞く。
「一つ思いつくと、それを通すことに意識が寄りすぎるんだ。相手がその通りに動く前提で考えてしまう。」
リョーフは軽く肩をすくめた。
「実際、私はそう動かなかった。そこで一回、完全に思考が止まっただろう?」
その指摘に、エドは返せない。
確かにそうだった。
リョーフに押さえつけられた瞬間、頭が真っ白になった。
「奇策っていうのはね。」
リョーフの声が少し低くなる。
「破られる前提で動くものなんだよ。」
その言葉に、エドの視線が上がる。
「上手いやつほど破ってくる。なら、最初からその先まで用意しておく。」
リョーフは机を指先で軽く叩いた。
とん、と乾いた音がした。
「破られた瞬間に次へ移れるか。それが一番大事だ。」
部屋が静かになる。
エドはその言葉を頭の中で反芻した。
破られる前提。
うまくいくか、失敗するか。
その二択で考えるのではなく。
成功しても、その次。
失敗しても、その次。
最初からその先を読む。
負けた理由が、少しだけ分かった気がした。
「だが、そもそも策っていうのは暴力で解決できない時の代替案にすぎない。」
その言葉に、エドの肩がわずかに強張る。
リョーフはそれに気づいていたが、何も言わず続けた。
「魔法を使えないエド君には少し耳が痛いだろうけど。」
視線がまっすぐ向けられる。
「圧倒的な強さがあれば、咲くなんて必要ないんだよ。」
どれだけ策を巡らせても、リョーフは最後に力で抑え込んだ。
幻影まで使われれば、もう何もできなかった。
考えることは武器になる。それは間違いない。
だが、それは「強者に届かない時に使う武器」でもある。
その現実を、今まさに突き付けられていた。
「強さ......。」
隣で、アニタがぼそりと呟いた。
視線は膝の上に落ちている。
その小さな拳は、ぎゅっと握りしめられていた。
爪が食い込むほど強く。
リョーフはその様子を一瞥して、静かに頷く。
「幸い、君たちはまだ若い。」
リョーフは二人を順に見た。
「いや、若いどころじゃない。幼い、だね。」
少しだけ苦笑する。
「今から正しく鍛えれば、相当な力を得られる時間がある。」
そこで視線がアニタに止まる。
「そして――特にアニタちゃんには、魔法の才能がある。」
エドは隣を見る。
アニタが目を丸くしていた。
自分のことだと、まだ理解が追い付いていないようだった。
「いいかい。圧倒的な暴力の前では、大体の問題は解決する。」
リョーフは穏やかな口調のまま言った。
だが、その内容に冗談は一つもない。
「だから君たちは、まず強くなることだけを考えなさい。」
リョーフの視線が、まっすぐエドに向く。
「特にエド君。」
その一言で、自然と背筋が伸びた。
「君は魔法が使えない。なら、それ以外のなんでもをできるようにならないといけない。」
その言葉に、すぐ返事はできなかった。
――なんでも。
あまりに曖昧で、途方もない。
だが、不思議と否定したいとは思わなかった。
魔法がない。なら、補うしかない。
それは最初から分かっていた。
ただ、それをここまで真正面から言われたのは初めてだった。
「幸い、時間ができたからね。」
リョーフは椅子にもたれながら、穏やかに言った。
「私はしばらくこの小屋に滞在する。その間、君たちに修行をつけてあげよう。」
エドは顔を上げる。
隣では、アニタも息を呑んだように目を丸くしていた。
リョーフはその反応を見て、口元をわずかに上げる。
不敵な笑みだった。
その笑みに、エドは一瞬だけ先ほどのことを思い出す。
額で受け止められた蹴り。
地面に叩きつけられた衝撃。
真後ろから聞こえた声。
何も見抜けなかった幻影。
あれをやった相手が言うのだ。
「大体の問題を解決できるように仕上げてあげよう。」
強い説得力があった。
同時に、背中に冷たいものが走った。
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