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チートが無いなら無いなりに  作者: 古賀仁成
1章 11歳少年エド。魔法を失う。魔法が無いなら無いなりに。

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26話 師

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軋む音を立てないよう、ゆっくりと扉を押し開いた。

小屋の中は、相変わらず散らかっていた。


かつてここに住んでいた老人――ルメス爺さんが集めたものが、そのまま残されている。


棚につるされた見慣れない花。

無造作に積まれた分厚い図鑑。

窓辺で止まったままの小さな風車。

机の下には、今も用途のわからない球体。


その小屋の中央で、男が一人、静かにそれらを眺めていた。


落ち着いた色合いの外套。

一切の崩れ無く伸びた背筋。

どこか遠いものを見るような横顔。


先日見せていた、測るような目はない。


その代わり――


髪の隙間から覗いた耳が、わずかに尖っていた。


「まさか、君がやってくるとは、ね。」

リョーフは振り返らぬまま、静かに言った。


低く落ち着いた声だった。

小屋の中に積み重なった古い空気へ、ゆっくりと染み込むように響く。


「ここで、何を?」

エドが問いかける。


その声に、リョーフはゆっくりと視線を向けた。

先日森を抜けた先で見た男と同じ男のはずなのに、どこか印象が違う。

値踏みするような鋭さは影を潜め、今はただ、懐かしい場所を見つめていたものの静けさだけが残っていた。


「それはこちらのセリフなんだが。君は、この小屋の主ではないだろう?」

「ルメスさんのことか?」

「そう。」


リョーフは小さく頷く。


「彼は、私の古い友人でね。」


古い――。


その言葉が、妙に耳に残った。

エドの視線が、自然と男の横顔へ向く。

淡い銀髪の隙間から覗く耳は、人間のものよりわずかに長く、尖っていた。


村では見たことがない。

だが、不思議と納得もあった。


この男には、どこか時間の流れから切り離されたような空気がある。

それは年を重ねた人間とも違う。

もっと長いものを見てきたものだけが持つ静けさだった。


「君、私が人間ではない可能性について考えただろう?」

リョーフは静かに言った。


「つまり、彼はもう――」

そこで言葉が途切れる。


だが、それだけで十分だった。


エドは思わず息を止める。

自分は、髪の隙間から覗いた耳を見た。

そこから、この男が人間ではない可能性を考えた。


さらに、古い友人という言葉。

もし人よりはるかに長く生きる種族なのだとしたら、ルメス爺さんとの間には大きな時間の隔たりがあるはずだ。


その思考の流れを、リョーフは一瞬で辿ってみせた。

頭の中を静かに覗き込まれたような感覚に、エドは背筋へ薄い寒気が走るのを感じた。


「君、エドくんだっけ。君はルメスくんとは?」

名前を知られている。

名乗った覚えはない。

だが、昨日の村人たちとのやり取りを聞いていたのだろう。


「たまに、少し話をする程度だった。ルメス爺さんが死んでからは、よくこの小屋でアニタと遊んだ。」

エドは偽らずに答えた。


「そうか。」

リョーフは短く頷き、再び小屋の中へ視線を巡らせる。


積みあがった本。

見慣れない道具。

埃を被った旅の品々。


そのどれもを懐かしむような目だった。


「ルメスくんとは昔、一緒に世界中を旅していてね。いろんなものを見たよ。」


ーー世界中を旅。

その言葉に、エドの視線が棚へ向く。


そこに並んでいる本の中に一冊、何度も読み返したものがあった。


擦り切れた表紙。

青年が魔法を使い、知恵を絞り、どうにか生き延びながら世界を巡る冒険譚。


何度も夢中になって読んだ本だった。


「ルメスくんは、とにかく記録を残す男でね。」

リョーフはそう言って、小屋の中へ視線を巡らせた。


「例えば、そこに積まれている図鑑とか。見た植物や魔物、土地の特徴。気になったものは何でも書き残していた。」

そう言いながら、棚へ手を伸ばす。


細く長い指が、一冊の本を静かに引き抜いた。


擦り切れた表紙。

何度も開かれた後のある背表紙。


エドにも見覚えがあった。


小屋へ来るたび、何度も読み返していた冒険譚だ。


「それから――」


リョーフはわずかに目を細める。


「私との旅を綴った日記とか、ね。」

エドの目が、わずかに見開かれた。


「その様子だと、この日記がよほど好きと見える。」

リョーフは本を片手に、わずかに口元を緩めた。


「君も将来は旅に出るのかい?」

向けられた笑みに、エドは眉をひそめる。


確かに、あの本は好きだった。

青年が知恵と魔法を使い、数々の困難を切り抜けながら世界を旅する物語。

何度も読み返した憧れの冒険譚。


そしてきっと、その青年は――今、目の前にいるこの男だ。


だが同時に、胸の奥にざらつくものがった。

その憧れの存在が、誘拐犯たちの取引相手だった。

それが、どうしても気に入らない。


「なんで奴隷を買おうとしたんだ。」

気づけば、言葉が口を突いていた。


「必要だったから――では、納得してくれなさそうだね。」

リョーフは小さく息を吐いた。


困った子供を窘めるような口調だった。

「知り合いがね。魔法の才能を持つ子供を欲していたんだ。」


淡々とした声色。

「理由は言えない。だが、手っ取り早く手に入れる手段が、たまたま近くにあった。」


そこでリョーフは肩をすくめる。

「本当に、それだけだよ。」


エドは黙ったまま男を見る。

恐らく、嘘はついていない。

言葉によどみはないし、誤魔化そうとしている感じもなかった。


だが、それが余計に腹立たしかった。

そこには後ろめたさも、罪悪感も薄い。

まるで、必要な道具を買おうとしているだけのような口ぶりだった。


自然と、拳に力が入っていた。

自分があこがれていた存在。

世界を旅し、知恵と魔法で困難を乗り越える冒険者。


その正体が、こんな男だったことが、ひどく悔しい。

その様子を見て、リョーフは困ったように頭を掻いた。


「あー......ごめん。」

らしくもなく歯切れが悪い。


「でも、本当に必要なことだったんだよ。とはいえ、もうしない。別の手段を探すよ。」

無理に取り繕おうとしているのが見え見えだった。

それが余計に腹立たしくて――同時に、どこか馬鹿らしくも感じる。


エドは小さく息を吐く。


気づけば、自分の感情を少し離れた場所から眺めていた。

怒っている。

失望している。

だが、その相手は、自分が勝手にあこがれていただけの男なのだ。


そう考えてしまった瞬間、拳に込めていた力が、少しだけ抜けた。


「お詫び――というわけでもないんだけど。」

リョーフはそう言って、ふっと口元を緩めた。


「私が、君たち二人に少し稽古をつけてあげるよ。」


――二人?


エドは眉をひそめる。

その瞬間、背後の木陰がわずかに揺れた。

振り向く。


すると、小屋の外の木に半分隠れるようにして、アニタがこちらを覗いていた。

ばっちり目が合う。


「アニタ。......えっと、いつから?」

声をかけると、アニタは気まずそうに肩をすくめた。


「あー......最初、から?」

少しはにかむように笑う。

どうやら、かなり前からきいていたらしい。


「勘違いしてほしくないのが――」

リョーフが静かに口を開く。


「わたしは別に、発注したわけじゃないからね。」

その声に、言い訳めいた焦りはない。

ただ、事実を訂正しておきたい。そんな響きだった。


「最終的に取引相手にはなった。けれど、誘拐を手助けしたり、そそのかすような真似はしていない。」

エドは答えない。

だが、その沈黙にリョーフは小さく肩をすくめた。

「まあ、君からすれば大差ないかもしれないけど。」


今回、振り返ってみれば、運に頼りすぎていた。

少し状況が違っていたら。判断を誤っていたら。

自分たちは、あの森で命を落としていたかもしれない。


エドは改めて、自分の力不足を痛感していた。

知識も、判断も、訳には立った。

だが、それだけでは足りない。


もっと確実に、生き残る力が必要だ。


「私はお願いしたいです!」

先に声を上げたのはアニタだった。

アニタはぎゅっと拳を握り締める。


「私、今回ずっと怯えてばかりで......何もできなかった。」

悔しさを堪えるように、声が少し震える。

「エドに頼りっぱなしで、それが悔しくて。もう、あんな思いしたくない!」


まっすぐな言葉だった。

恐怖から逃げるためではない。

今度は、自分も誰かを支えられるようになりたい。


そんな意志が、その小さな身体からはっきりと伝わってきた。


そんなアニタの言葉に、背中を押されたのかもしれない。

エドもまた、自然と一歩前へ出ていた。


リョーフへ向けて、右手を差し出す。

ついさっきまで抱えていた、ちっぽけな意地やプライドは、もうそこにはなかった。



「お願いします。」



短く、はっきりと。そう言い切った。

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