24話 帰還3
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家の扉を開けた瞬間、ふわりと湯気交じりの香りが鼻をくすぐった。
煮込みの匂い、焼き立てのパンの香ばしさ。
それに、薪の火が混じった、いつもの家の匂い。
「......あ。」
思わず、そんな声が漏れる。
ほんの一日二日離れていただけのはずなのに、その香りは妙に懐かしく感じられた。
エドは視線を卓へ向ける。
並べられた皿は三つ。
湯気の立つスープも、切り分けられたパンも、きちんと三人分用意されていた。
つい先ほどまで、自分は行方不明だったというのに。
村の誰もが最悪を考えていても、おかしくなかったはずだ。
それでも。
ちゃんと自分の分がある。
そのことに、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「帰ってくるって、信じてたからね。」
振り向いたリラが、当たり前みたいに笑った。
三人で食卓を囲む。
卓に並ぶのは、いつもと変わらない夕食だった。
つい先ほどまで森をさまよい、命の危険にさらされていたことが、嘘のように思えてしまう。
この光景そのものが、先ほどまでの非日常を否定しているようだった。
いつもの家で。
いつもの食卓を囲み。
いつものように食事をする。
それだけのことが、ひどく安心できた。
「おなかすいたでしょう?たくさん食べなさい。」
リラが穏やかな声で言う。
その声には、叱責も涙もなかった。
ただ、無事に帰ってきてくれたことへの安堵だけが滲んでいる。
ヴァンスもまた、静かに息を吐いた。
「本当に、無事でよかった。」
低い声だった。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に張っていたものが少しだけ緩む。
しばらくは、食器の触れ合う音だけが部屋に満ちていた。
だが。
ひと段落着いた頃、ヴァンスが静かに口を開く。
「――それで。」
その声は穏やかなままだったが、父親としての真剣さが滲んでいた。
「何があった?」
ヴァンスのその言葉に応えるように、エドは静かに口を開いた。
「まず、昨日の朝。アニタがうちに来て、薬草の採取を手伝ってほしいって頼みに来たんだ。」
ぽつり、ぽつりと。
言葉を選ぶように、ゆっくりと話していく。
「僕はそれを受けて、一緒に村の外へ出た。」
そこで一度、エドはリラへ視線を向けた。
アニタが家を訪ねてきたことは、リラも知っている。
視線を受けたリラは静かに頷いた。
「最初は、いつも通りだったんだ。」
森の近くの丘で。
薬草を探して。
アニタと話しながら歩いて。
何も、おかしなところなんてなかった。
「でも、森の近くで泣いてる子供の声が聞こえた。」
食卓の空気が、静かに張り詰める。
「最初は迷子かと思って、アニタと一緒に近くまで行って声をかけたんだ。」
エドは記憶をたどるように、ゆっくりと言葉を続ける。
「村の子じゃなかった。見たことのない子供で、それで余計に心配になって。」
ヴァンスもリラも、口を挟まず静かに聞いていた。
「そのとき、森の茂みから、急に大人が二人飛び出してきた。」
空気がわずかに重くなる。
「僕たちに襲い掛かってきたんだ。」
あの時の衝撃は、もう残っていない。
だが、身体は今でも覚えている気がした。
「抵抗した。でも、全然かなわなかった。」
悔しさを押し込めるように、小さく息を吐く。
「あっという間に気絶させられて、次に目を覚ました時には、夜で。知らない部屋に閉じ込められてた。」
部屋の中が静まり返る。
薪の爆ぜる音だけが、小さく響いた。
「僕は大丈夫だった。でも、隣で、アニタが縛られたまま気を失ってた。」
その言葉に、リラの表情がわずかに強張る。
エドは構わず続きを口にした。
「あわててアニタを起こしたんだ。」
暗い部屋。
冷たい床。
状況も分からないまま、ただ無事を確かめることしかできなかった。
「そのあと、森で泣いてた子供が部屋に入ってきた。」
ヴァンスの眉がわずかに動く。
「パンを持ってきたんだ。」
エドは静かに視線を落とした。
「そのとき分かった。」
あの子供は、助けを求めていたわけじゃない。
「あの子は、誘拐犯の仲間だった。」
部屋の空気がさらに重く沈む。
子供を囮に使った。
その事実だけで、相手の異常さが十分伝わってくる。
「会話自体は禁止されてないみたいだった。」
エドは静かに続ける。
「だから、まずは状況を聞こうとしたんだ。でも、最初はほとんど話してくれなかった。」
当然だ、とエド自身も思う。
「だから、少し話し方を変えた。」
ヴァンスが黙ったまま視線を向ける。
「君も最後には裏切られるかもしれない、って。」
静かな声だった。
だが、その内容にリラがわずかに息を呑む。
「誘拐犯たちは子供を道具みたいに扱った。だから、自分だけは安全だって、本当は信じきれてないと思ったんだ。」
エドは小さく目を伏せる。
「あの子は、不安になった。」
そして。
「そのまま、誘拐犯を裏切って、一緒に逃げるよう説得したんだ。」
静かな部屋の中で、その言葉だけが重く残った。
「見張りが手薄になる夜明け前を狙って、僕たちは小屋を脱走した。」
「僕とアニタ、それに――あの子。ルナの三人で。」
暗い森の中。
足音を殺しながら走った感覚が、今でも身体に残っている気がした。
「小屋は森の奥にあった。でも、ルナが道を知ってたんだ。」
だからこそ逃げられた。
「ルナの案内で、僕たちは森の中へ逃げ込んだ。」
ヴァンスもリラも、黙ったまま耳を傾けている。
「もちろん、誘拐犯もすぐ気づいた。」
エドの声がわずかに低くなる。
「追ってきたんだ。」
森の中を。
枝をかき分けながら。
足音を殺しながら。
捕まれば終わりだと思って、ただ必死に逃げ続けた。
「しばらくして、獣道に出た。そこで、ルナは別方向へ逃げた。」
エドは一度、言葉を切る。
「あいつらの目的は、アニタだったみたいだ。」
静かな声だった。
「だから、誘拐犯は僕たちを追ってきた。僕たちが獣道をたどって逃げ続けると、途中で道が分かれていたんだ。」
エドは淡々と続ける。
「片方は森の外へ続く道、もう片方は、崖で行き止まりになる道だった。」
それを事前にルナから聞いていた。
「だから僕たちは、あえて崖の道を選んだ。」
ヴァンスの眉間にわずかにしわが寄る。
エドは構わず話を続けた。
「崖についたあと、アニタには隠れてもらった。そして僕が誘拐犯たちを引きつけた。」
森の奥、切り立った崖、迫ってくる足音。
あの時の光景が脳裏に蘇る。
「僕は、足を踏み外した振りをして崖から飛び降りた。」
リラが思わず息を呑む。
「もちろん、本当に落ちたわけじゃない。事前にロープを木に結んでたから。」
エドは少しだけ苦笑した。
ヴァンスの表情もわずかに緩む。
「誘拐犯たちは、崖下を覗き込もうとして崖際に近づいた。」
その瞬間。
「隠れていたアニタに、魔法で吹き飛ばしてもらったんだ。」
ヴァンスが静かに目を細める。
ようやく、どうやって子供二人で逃げ切ったのかが繋がったのだろう。
「それで追手は振り切れた。」
けれど。
「森の外へ続く道は、誘拐犯たちに消されてた。」
獣道は荒らされ、痕跡も分かりづらくなっていた。
「だから、逆に誘拐犯が残した痕跡を探したんだ。それを辿って、なんとか森を抜けた。」
そこまで言って、エドは小さく息を吐く。
「あとは......体力が限界になりかけたところで、リョーフさんに保護してもらった。」
リョーフについては、それ以上触れなかった。
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