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チートが無いなら無いなりに  作者: 古賀仁成
1章 11歳少年エド。魔法を失う。魔法が無いなら無いなりに。

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22話 帰還

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夕日に赤く染め上げられた草原はどこまでも静かに広がっていた。

森を抜けたばかりの湿った空気とは違い、乾いた風が頬を撫でる。


背後に残した木々の影が、長く地面を引きずるように伸びていた。

すこし歩いた先に、それはあった。


ぽつんと置かれた幌馬車。

近づくにつれて、その輪郭がはっきりとしてくる。


ウーマは二頭。

並んで繋がれ、鼻先をわずかに下げたまま静かに草を食んでいた。

毛並みはよく手入れされており、無理に走らされた様子はない。


革の手綱と胴締めは丁寧に整えられ、金具にはくすみがあるものの手入れは行き届いているのが分かる。

長く使い込まれているが、放置されている道具ではないことから移動慣れしていることが分かる。


馬車は四輪。

後輪はやや大きく、街道だけではなく多少荒れた地面でも進めるようになっている。

車軸には泥除けが取り付けられ、乾いた土が薄くこびりついていた。


荷台には白い布製の幌が張られている。

厚手の帆布で、ところどころ補修の跡があるが、継ぎ目は丁寧で隙間はない。

夕焼けを受けて、布は淡く朱に染まっていた。


その脇には小型のテントがひとつ。

焚火の跡は風下側に寄せて作られていた。

石で簡単な囲いが組まれ、灰はきれいに中央へまとめられている。

燃え残りの薪は脇に整えて置かれ、すぐに再利用できるようになっていた。


水場こそ見えないが、近くに小さな桶が伏せてある。

使った後乾かしているのだろう。

無造作に見えて、それも意味のある配置だった。


「まずは手当をしよう。荷台に乗ってくれ。」


リョーフは穏やかな調子でそう言った。

エドとアニタは小さく頷き、ウーマの横を通り抜ける。

一頭がこちらに気づき、耳をわずかに動かしたが暴れる様子はない。


荷台に手をかけ、よじ登る。

軋む木の感触。板は厚く、補強の鉄帯がしっかりと打ち付けられている。


中は簡素だが整理されており、荷は崩れないよう縄で固定されていた。

木箱、布袋、細長い包み。

用途ごとに分けられているのが一目でわかる。


そして、その奥。


視線の先に、鉄格子の檻があった。

人ひとりが入れる程度の大きさ。子どもなら二人は座っては入れるだろう。

床には藁が敷かれている。


順当に事が進んでいれば、今頃あの中にいたのは自分たちだったはず。

そんな想像が、わずかに胸を冷やした。


リョーフも続いて馬車に乗り込むと、ゆっくりと手を差し出した。

「力を抜いて。」

その声に従い、二人は手を預ける。


次の瞬間、柔らかな淡い緑の光がふわりと広がった。


温かい。

焼けるような熱ではなく、内側からじんわりと満ちてくる感覚。

擦り傷のひりつきが消え、裂けていた皮膚が何事もなかったかのように閉じていく。


アニタが小さく息を呑む。

「もう、痛くない。」


確かめるように自分の腕に触れ、そのまま驚いたように目を見開いた。

光はやがて静かに収まり、リョーフは手を離した。


「応急処置だ。深い傷はないようでよかったよ。」

エドは自分の手のひらを見下ろす。

つい先ほどまであったはずの細かな傷は、ほとんど痕跡すら残していない。


「ありがとう。」

エドは短く礼をいう。アニタもそれに続いた。


「いいんだ。ここを出る支度をするからそのまま休んでいるといい。」


リョーフはそう言うと、軽やかに荷台から降りた。

外ではすぐに動きが始まる。


布が払われる音。木製のペグを抜く乾いた感触。テントが手際よく畳まれていく。

やがて、まとめられた装備が荷台の脇へと運ばれる。

重さを感じさせない運び方で、配置にも迷いがない。


空はすでに赤から群青へと移り変わりつつある。

地平線の光だけがわずかに残っていた。


やがて、御者台に上がる気配。


革が擦れる音。

金具が小さく触れ合う音。

手綱が取られる。


ウーマが小さくいななき、車輪が軋む。

幌馬車は、ゆっくりと草原を進み始めた。


アニタが目を閉じ、エドの肩に身を預ける。

静かな呼吸の音。眠っているのか。無理もない。


エドはわずかに体勢を調整し、揺れが直接伝わらないよう肩を支える。

幌の外では、一定のリズムで車輪が回り続けている。

土を踏む音と、時折混じる小石の跳ねる音。


ウーマの足音は規則正しく、急ぐ様子はない。

エドは背を幌に預け、目を閉じながらも外の気配に意識を向けた。


布越しに伝わる風の流れ。遠くで鳴く虫の音。

そして、御者台からわずかに聞こえる、手綱の擦れる規則的な音。

幌馬車は、静かに草原を進み続けていた。





「そろそろ着くよ。」


不意に御者台の方から聞こえてきた声に、エドははっとして目を開ける。

不覚にも、寝てしまっていたようだ。

数分か、それとももっと長くか。


意識が浮上するのにわずかな遅れがあった。

肩には、変わらずアニタの重み。

規則正しい呼吸が、すぐ近くで続いている。


外を見る。


幌の隙間から覗く空は、すでに完全な夜に変わっていた。

無数の星が、黒に近い紺の空を埋め尽くしている。


地上の輪郭は曖昧で、草原は闇の中に溶けていた。

かろうじて分かるのは、遠くに点々と灯る明かり。

いつもより明るい。


一定の間隔で揺れる馬車の速度はわずかに落ちている。

乾いた土から、踏み固められた道へ。

蹄の音も、わずかに硬さを帯びる。


「もうすぐ村だ。起こすなら今のうちにしておいた方がいい。」

御者台からリョーフの声が続く。

その言葉に、エドはわずかに視線を落とす。


アニタの寝顔は穏やかだった。

あれだけのことがあった直後とは思えないほどに。


エドはそっと肩にかかる重みを支え直しながら、小さく声をかけた。

「アニタ。」


反応はない。


もう一度、今度は少しだけ近づいて。


「アニタ。着くよ。」


アニタのまぶたがゆっくりと開く。

最初は焦点が合っていない。

ぼんやりとした視線が宙を彷徨い、わずかに眉が寄る。


「......ん。」

小さな声が、喉の奥で転がる。

エドの肩に預けていた重みが、ほんの少し動いた。


「......エド?」

か細い声。

まだ夢の中にいるような響きだった。


「着くよ。もうすぐ村だ。」

エドは短く告げる。


アニタは数度瞬きをし、周囲を見回す。

幌の内側、揺れる影、夜の気配。


状況を確かめるように、ゆっくりと息を吸い「そっか。」と小さく呟いた。


その声にはわずかに安堵が混じっていて、

肩に預けていた体が離れ、姿勢を整える。

完全に覚醒しきってはいないのか、動きはまだ少し鈍い。



村の明かりが、その輪郭をはっきり浮かび上がらせたころ。

馬車はゆっくりと速度を落とし、やがて静かに止まった。


蹄の音が止み、車輪の軋みも消える。


御者台から降りる足音。

やがて幌がめくられ、リョーフが姿を現した。


「ここからは歩いて。村の人たちに無事を知らせるんだ。」

相変わらず穏やかな口調だった。


エドとアニタは小さくうなずき、荷台を降りる。

地面に足をつけた瞬間、わずかに体が揺れた。

長く揺られていた感覚が、まだ残っている。


二人は顔を上げ村の方を見る。

いつもより多くの明かりが灯っていた。


家々の窓だけではなく、通りにも火が持ち出され、

いくつもの明かりが揺れている。


人の気配も多い。

夜だというのに、あちこちで声が交わされ、落ち着かないざわめきが広がっていた。


「あっ。」

アニタが小さく声を漏らす。


次の瞬間。


「――いたぞ!!」


誰かの叫びが夜気を切り裂いた。


視線が一斉に集まる。

こちらへ向かって駆けてくる足音。

明かりを掲げた人影が、いくつも近づいてくる。


「エド!アニタ!」


聞き慣れた声。

息を切らしながら、必死に名前を呼ぶその響きに、

胸の奥に張り詰めていたものがほどけた。


アニタの手が、ぎゅっとエドの袖を掴む。


「帰って、きた......。」


かすれるような声だった。


エドは小さくうなずく。


「ああ。行こう。」


短く、それだけを返す。

もう、十分だった。


二人は手を振りながら村へ駆けた。



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