16話 帰路
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朝靄はゆっくりと薄れつつあったが、頭上を覆う木々の枝葉はなお濃く、
差し込む朝の光を細かく切り分けていた。
こぼれ落ちる陽光は、狭い獣道の上にまだらな模様を描き、
風に揺れるたび、その明暗を静かに移ろわせている。
足元には夜露がまだ色濃く残っていた。
湿った土はやわらかく、踏みしめるたびにかすかな感触を返してくる。
ところどころ露に濡れた草が足首を撫で、小さな石や張り出した木の根が行く手に潜んでいる。
わずかに気を抜けば、簡単に足を取られてしまいそうだった。
エドはそんな道を一歩一歩、慎重に確かめながら進んでいた。
片手にはアニタの手をしっかりと握り、その温もりを確かめるように指先へ力を込める。
自分が先に立ち、滑りやすい場所では歩幅を緩め、ときおり振り返って彼女の様子をうかがう。
転ばせまい、決して離すまい。
そんな思いを胸に、二人は静かな森の坂道をゆっくりと下って行った。
やがて二人は、ルナに教えられた分かれ道へ戻ってきた。
森の中にひっそりと口を開くその分岐は、一見すればただの獣道にしか見えない。
だが、今のエドにとっては、その先に待つ運命を分ける大切な場所だった。
左へ進めば、森を抜け、村へと続く道に出る。
見慣れた景色へ、そして家族の待つ場所へ帰ることができる道だ。
一方、右へ進めば、先ほど命がけで駆け抜けた崖へと至る。
行き止まりの、後戻りのできない道。
ここを通った時、二人には追手を撒く以外の選択肢はなかった。
生き延びるため、わずかな可能性にすべてを賭け、
あえて行き止まりへと続く道を選んだ。
だが、もう違う。
エドは足を止め、左へと続く道を見つめた。
木々の隙間から差し込む朝の光が、その先をやわらかく照らしている。
今度こそ、帰るべき場所へ。
その思いを胸に、エドはアニタの手を握り直し、
迷うことなく左の道へと歩き出した。
分かれ道を左へ折れ、エドとアニタはようやく本当の帰路へと足を踏み出した。
背後に残してきた崖や追手の気配は、もうすぐそこにはない。
それでも、胸の奥に張り詰めた緊張がすぐにほどけることはなかった。
二人は言葉少なに、互いの気配を確かめるように並んで歩く。
朝の光は木々の梢を越えて森へ差し込み始めていたが、深く生い茂る枝葉はなおその多くを遮り、
足元へ届くのは細く砕けた光ばかりだった。
淡い陽だまりが落ち葉の上にまだらに散り、風が吹くたび、光と影の模様が静かに揺れ動く。
はじめのうち、道は確かにそこにあった。
人や獣が行き交ってできたわずかに踏みならされた細い筋。
頼りないながらも、進むべき先を示してくれていた。
だが、歩みを重ねるにつれその輪郭は少しずつ曖昧になっていく。
踏み固められていたはずの土は、いつしか厚く積もった落ち葉に覆われ、
足を下ろすたび、かさりとかすかな音をたてた。
道の両脇に分かれていた草も、いつの間にか自然に起き上がり、
まるで誰も通ったことなどないかのように行く手を塞いでおり、
地面に残るべきわずかな乱れさえ、消えてなくなっていた。
まるで森そのものが、自らのうちに刻まれた痕跡を静かに呑み込み、
何事もなかったかのように装っているかのようだった。
やがて、エドは足を止めた。
目の前には、どこまでも似たような木々が並んでいる。
幹の太さも、枝葉の広がりも、足元を覆う草の色も、どれも変わり映えがしない。
先へ続いていたはずの道は、いつの間にか森の景色の中へ溶け込み、
どこからが道で、どこからがただの林床なのか、判然としなくなっていた。
隣でアニタも立ち止まる。握っていた手に、わずかな力がこもった。
「道、合ってるよね......?」
不安を押し隠そうとした声は、それでも小さく揺れていた。
エドはすぐには答えられなかった。
ただ目の前の景色を見つめる。風に葉が擦れ合う音。
遠くで鳴く鳥の声。
木漏れ日が揺れるたび、同じように見える木々の間に光と影が移ろう。
進むべき方向は、ひどく曖昧だった。
ここに道があったはずだという確信だけが、かえって足元を不安定にさせる。
帰れるはずだった。
そう信じていたはずなのに、その帰り道は、まるで森に飲み込まれるように、
静かに姿を消していた。
エドはその場に立ち尽くしたまま、静かに思考を巡らせた。
どこかで道を外れたのだろうか。
いや。と、すぐにその考えを打ち消す。
ここまでの道のり、一歩たりとも気を抜いてはいなかった。
足元を確かめ、進む先を見極め、アニタの様子にも気を配りながら慎重に歩いてきた。
焦りに任せて脇道へそれた覚えもない。
少なくとも、自分たちの不注意で道を見失ったとは考えにくかった。
では、なぜ道が消えたのか。
脳裏に浮かぶのは、あの追手たちの姿だった。
逃走の痕跡を素早く見つけ、音もなく追ってきた男たち。
森の中での追跡に慣れきっていた。
あの動きは、ただ腕が立つというだけではない。
この森そのものを知り尽くしていたとしてもおかしくない。
ならば、この道そのものにあらかじめ細工が施されていたとしても不思議ではない。
外から見つからぬよう、必要な時以外は痕跡を消し、森の中へ溶け込ませる。
そうしておけば、偶然誰かが近づいてもあの小屋へ続く道に気づかれることはない。
真相はわからない。だが、そう考えるのが自然だと判断した。
そして、分からない以上はその前提で動くべきだ、とも。
エドは唇を引き結ぶ。
問題は、ここからどうするかだった。
ルナは、この道を進めば村へ戻れると教えてくれた。
だが、森を抜けるまでにどれほどかかるのか、どのあたりで森が開けるのかまでは聞いていない。
彼自身、そこまで詳しく把握していなかったのかもしれない。
道を探すべきか。
それとも、今いる方向を信じて進むべきか。
しかし、隠された道を見つけ出す術を、エドは持っていなかった。
森で道を読む知識などない。
折れた枝や踏み跡から進路を割り出す。
そんな技術は、自分にもアニタにもない。
下手に探し回れば、かえって現在地さえ見失いかねない。
森は静かだった。
だが、その静けさは決してやさしいものではない。
方向を失ったものを、何事もなかったかのように呑み込んでしまう、底知れぬ深さを秘めている。
焦るな。
エドは心の中で自らに言い聞かせる。闇雲に動くのが、いちばん危険だ。
まずは状況を整理しなければならない。
ここで必要なのは、知識ではなく、冷静さだ。
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