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チートが無いなら無いなりに  作者: 古賀仁成
1章 11歳少年エド。魔法を失う。魔法が無いなら無いなりに。

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15話 生還

励みになるのでブックマークと評価をおねがいします。

アニタの身体を拘束していたロープ。

その端を自らの身体と崖際に根を張る木へと固く結びつけ、エドは辛うじて落下を免れていた。

荒い息を整えながら眼下を見下ろす。


二人の男は遥か下へと落ちていた。この高さだ、無事であるはずがない。

落下の直後に響いた、あの重く重い破裂音が脳裏によみがえる。

骨も肉も、全て地面に叩きつけた音だった。


崖下には折り重なるように倒れた二つの影。

その周囲には、朝日に濡れた土とは明らかに異なる、黒ずんだ赤が広がっている。

生きてはいない。そう理解するのに時間はかからなかった。


崖下から目を離したその時だった。

「エドっ――!」


震える叫び声とともに、小さな足音が駆け寄ってくる。

エドが顔を上げると、崖の縁からアニタが身を乗り出していた。

涙で濡れた顔が、朝の光の中に浮かんでいる。


「よかった......。よかったよぉ......!」

張り詰めていたものが一気にほどけたのだろう。アニタはその場に膝をつき、声を上げて泣き出した。

エドは苦笑いを浮かべながら、木に結び付けたロープを軽く引いた。


「もう大丈夫だよ。上がるのを手伝ってくれるかい?」


アニタは何度も頷き、袖で涙を乱暴にぬぐうと、両手でしっかりとロープを握った。


エドも崖肌に足をかけ、一歩ずつ身体を引き上げていく。

やっとのことで崖の縁を越えたエドは、その場に膝をついた。


だが、息を整える間もなかった。

「エド!!」


次の瞬間、アニタが勢いよく飛び込んできた。

小さな体が胸にぶつかり、そのまま強くしがみついてくる。


「ほんとに......。ほんとに、よかった......!」


声は涙で震え、言葉は途切れがちだった。

細い腕には、失うことへの恐怖と、取り戻せた安堵が込められている。


エドは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに表情を和らげた。

泥に汚れた手で、そっとアニタの背を撫でる。


「心配かけたね。」


その言葉に、アニタは胸に顔を埋めたまま、何度も何度も頷いた。


肩はまだ小刻みに震えている。

それでも、その震えは先ほどまでの恐怖だけではない。

無事でいたくれたことへの、どうしようもない安堵の震えだった。


エドはアニタを抱き返しながら、静かに空を見上げた。

朝日が木々の隙間から差し込み、二人をやわらかく照らしている。


――生き延びた。


その実感が、ようやく胸の奥にしみわたっていった。


だが、それに浸っている余裕はなかった。


最大の脅威は去った。だが、全てが終わったわけではない。

ここはまだ森の中であり、無事に帰れる保証などどこにもない。


エドはアニタの肩をそっと離し、目線を合わせた。

「アニタ、怪我はない?」


アニタは涙をぬぐいながら、小さく頷く。

「うん。大丈夫。」


エドはほっと息をついた。

自分の身体もあちこち痛んでいたが、立ち止まっているわけにはいかない。


改めてアニタの様子を見れば、服は枝に裂かれ、腕や足には細かな切り傷がいくつも走っていた。

だが、どれも浅い。

森の中をあれだけ駆け回ったのだからこの程度で済んだのはむしろ幸運だった。


「ひどい怪我じゃなくてよかった。」


そう言いながら、エドは安堵の色を浮かべる。

本当に確認したかったのは、傷の深さだけではなかった。


アニタがこうして自分の前に立ち、しっかりと受け答えできている。

その事実こそが何よりも大切だった。


「エドこそ、大丈夫なの!?」


アニタは堰を切ったように言葉をあふれさせた。


「崖から落ちても大丈夫な方法があるって聞いてたけど......。でも、落ちるとき、すごい声がしたから......。」

「わたし、本当に心配で......。ロープが切れちゃってたらどうしようって......。」


言葉の終わりは、また涙に滲んでいく。


「大丈夫、叫び声はあいつらを騙すための演技だよ。」


そう言って肩をすくめて見せるが、落下時に壁に打ち付けた全身の痛みがその言葉をあっさり裏切ってくる。

腕も背中も、鈍い痛みを訴えていた。


「少し痛いのは確かだけどね。でも、ちゃんと動ける。だから心配はいらないよ。」


その言葉を聞いてアニタはようやく少しだけ表情を和らげた。

とはいえ、不安が完全に消えたわけではないらしく、なおもエドの顔をじっと見つめている。


「ほんとうに?」


その視線に、エドは小さく笑った。


「本当に大丈夫。こうして君の前に立っているだろう?」

そう言って両手を広げて見せる。

するとアニタは、ようやく安心したように、ほっと息をついた。


「よし。まずは、あの分かれ道まで戻ろうか。」


エドは周囲へ注意を払いながら言った。


「一番の脅威は去ったけど、まだ無事に帰れると決まったわけじゃない。油断せずに行こうか。」


アニタは小さく頷いた。


だが、その表情には晴れない影が差している。

つむいたまま、ぽつりとつぶやいた。


「リラさんとの約束......。守れなかった......。」


か細い声だった。

風に紛れれば、そのまま森の奥へ溶けてしまいそうなほど弱々しい。


「約束?」


問い返されたアニタは、俯いたままぎゅっと拳を握り締めた。

小さな手は白くなるほど力がこもり、その指先はかすかに震えている。


「ちゃんと、エドを連れて帰るって......。私から言ったのに......!」


言葉とともに、抑え込んでいた感情があふれ出す。

大きな瞳にはみるみる涙が滲み、朝の光を受けてきらりと揺れた。


「連れて帰るどころか、わたし、ずっとエドに助けてもらってばかりで......。何もできなくて......。」


肩が小さく震える。

その声は次第に細くなり、最後には今にも消えてしまいそうだった。


自分を責めているのだ。

怖かったことも、無力だったことも、全部ひっくるこめて。


エドはそっと、その握りしめた拳に手を重ねた。

冷たくこわばった指先を、やさしく包み込む。


「そんなことないよ。」


その一言に、アニタがはっと顔を上げた。

涙にぬれた瞳が、まっすぐエドを見つめる。


「君はちゃんと、僕を助けてくれた。」


穏やかな声だった。

けれど、その言葉には揺るぎない確信が込められていた。


「アニタがいなかったら、この結果は無かった。ここまで来られたのは、アニタがいてくれたからだよ。」


エドは、握った手に少しだけ力を込める。


「僕は一人で君を助けたわけじゃない。君と一緒だったから、生きてここにいるんだ。」


その言葉を聞いた瞬間、アニタの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。

頬を伝い、朝露に濡れた草の上へと静かに落ちる。


それは悲しみだけの涙だけではなかった。

自分の存在が、ちゃんと誰かの力になっていた。

そのことを知った安堵と、胸いっぱいに広がる温かさの涙だった。


「......ほんと?」


不安と期待が入り混じった声でアニタは尋ねる。


「本当だよ。だから、自分を責める必要なんてないよ。」


その笑みは、朝の陽だまりのようにやわらかだった。


「さあ、行こうか。」


エドが手を引くと、アニタもまた、その手をしっかりと握り返した。

先ほどまで震えていた指先には、もう確かな力が宿っている。


二人は並んで、来た道を戻り始めた。


差し込む朝日が、折りの中に長い影を落としていた。


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