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『こんにちはー』
『ちょっと、どこから出て来たのよ!』
『え、普通にドアから?』
テレビや映画のように、別のスピーカーから流れてくるような、肉声でありながら肉声ではない、フィルターを掛けたような声が《回想》の中の映像とリンクし、空間に響く。
『僕の事、分かる?』
『分かるも何も、今日助けてくれた人でしょ』
『そうそう! 覚えててくれたんだ! ありがとう!』
画面の中の樒は、常に明るい。あ、現実の樒もか。へこめばいいのに。
俺はそっと隣のモモを盗み見ると、彼女は「おー、五千画素」と呟きながら《回想》を見ていた。実際にこれが五千画素かどうかはともかくとして、見どころがおかしい。何その、デジカメ買う時のポイントとして見比べるような注目の仕方。しかもかなり少ないよ、五千画素。
『それでね、僕、お願いがあってきたんだ』
『何よ』
『僕、名前を付けてほしいんだよ。僕には名前が無くて、悲しいからさ』
『何であたしが……』
ごもっとも。これは一昨日、モモにしたお願いと一緒だ。
目的はあくまで、それなのか。当のモモは「六千画素ー」と言っている。増えたけど、やっぱりかなり少ないし、そもそもどうでも良い。
……とりあえず、今すぐのモモへの危険はない…………のか? 本当に?
『昨日百合にもお願いしに行ったんだけど、カッキーってつけられて、不満なんだもん。茜音ならちゃんと考えてくれそうだな、って』
『それ、あたしにメリットは?』
『メリットー? うーん、シャンプーもリンスも持って来てないかな』
『そっちじゃないわよ。分かってるでしょ』
俺は警戒しつつも、《回想》を見る。
画面の中の樒は、『まぁね』と小さく零している所だった。
『じゃ、僕は茜音のいう事聞くよ』
『どういう意味よ』
画面の中のセンが、訝しげに眉を顰める。これ、良くやってるけどクセなのかな。眉間に皺がついて癖になって取れなくなりそう。
『茜音は、蓮夜が邪魔なんでしょ? なんかホラ、急に出てきて百合に変な事しそうっていうか』
『どうしてそれを――』
『どうして? んーと、茜音に一目ぼれしたから。美味しいお米じゃないよ! 文字通り、一目見て君に惚れたの。だから僕、蓮夜が百合に変な事しないように、抑えるお手伝いするよ』
……ちょっと、これ、可笑しくないですか?
つまりこいつの目的って、モモじゃなくて、俺?
『どうやって?』
『簡単だよ。一度痛めつけて、僕に敵わないって教えてあげればいいんだ。それで僕が、茜音と一緒に居れば、抑止力になるでしょ?』
樒は、相変わらず笑みも絶やさずに、センに語る。
『そのために、本当は茜音と契約できれば一番簡単なんだけど、嫌だろうから置いておくとして』
一応相手の為を思っていますっていう風を装っていて、気持ちが悪い。
『僕を茜音の隣に居させてくれない? それだけでいいんだ』
『なんだか、貴方の要求の方が多い気がするけど』
『え? そうでもないよ。蓮夜をどうにかするのは、茜音が望めば、っていう話だし。僕の要求はあくまで、名前を付けてほしいっていうだけだもん』
……そんな訳がない。だが、本当にそんな訳ないって言いきれるか?
言い切れない。
かつての俺も、契約せずに百合の、モモの隣にいた事があるのだから。
しかし、こいつはどうにも信用できない気がするのだ。いうなれば第六感。シックスセンスって言った方が格好いいか。外国の映画っぽくて。
『いいわ』
『本当? ありがとう!』
『契約、してあげる』
セン、やっぱりそうなったかー。
俺はこっそり、現実のセンを見たが、特に何かの表情は浮かんでいなかった。逆に不気味だ。
目の保養に隣のモモも見て見ると、彼女は「おー、一万画素」と呟いていた。どこまで画素数引っ張るんだ。可愛いけど心配になってしまう。しかもまだ、現代のデジカメレベルに到達しないし。
『……へ? そっち?』
『そうよ。貴方と契約すれば、蓮夜を大人しくさせるのが簡単なんでしょ? それに、契約をしなければ、貴方は簡単にあたしから離れるかもしれないじゃない』
『あ、そっかー。そういう不安もあったのか。気付かなかったよ』
さも、今初めて気が付いたように、樒は驚いた顔をしている。嘘くせぇ。
『うん、でも、そうして貰えるとうれしいな!』
『じゃあ、まずは契約ね』
『うん! 僕のいう事を復唱してね』
そうしてうっかり、契約してしまうのだ。この馬鹿《セン》は。
『友人《シンコウヤク》、公森茜音は』
『友人《シンコウヤク》、公森茜音は』
センは、なんの疑いも持たずに樒の言葉を復唱していく。
『今目の前にしている侵蝕者《カキソンジ》と』
『今目の前にしている侵蝕者《カキソンジ》と』
考えなしの主人公のように、あっさりと相手を信用して。あるいは疑いつつも、俺に対しての憎しみを溢れされて。
『言葉を共にすると誓い、これを契約とする』
『言葉を共にすると誓い、これを契約とする』
これが、契約の最後の言葉だ。
センがこれを口にした瞬間、俺とモモが契約した時と同じように、二人の周りにも言葉が降ってきた。この時センが口にした全ての言葉が、単語が、バラバラと。
やがて床に落ちた言葉たちは一瞬発光すると、樒の纏う靄にくっついて消えた。黒い靄と共に、樒の中に納まったのだ。
……今朝の樒には靄が無かったんだから、言葉以前にその点で気付くべきだった。
『それじゃあ、名前を付けてよ』
『植物図鑑でも開こうか?』
『何で植物?』
樒が不思議そうに、首を傾げている。ヤツの全部が嘘くさい。
『あたし、茜だもの。赤い根の茜。字は、赤い根の音で茜音、だけど』
『そっかぁー! じゃあ、僕が捲っていい?』
『いいわよ』
茜音が本棚から植物図鑑を取りだすと、樒に渡す。彼は嬉しそうにページをめくって……やがて、一つの写真を指差した。白い花を。
『僕、これが良い』
『樒? でもこれ、花言葉とか、由来とかあまり良くないわよ』
『良くないからカッコイイんだよ。それでね、苗字は位置に寄生するって書いて、位寄にするの。語呂もいいじゃん。位寄樒』
説明には、花言葉は「猛毒」と書かれ、名前の由来も「悪しき実」という字が見えている。
『そういうもの?』
『かっこよくない? 駄目?』
センは暫し考えたようだったが、やがて頷いた。
『貴方がそれでいいなら、あたしはいいわ』
そうしてにっこりと、俺には向けた事の無い笑みを、樒に向けるのだ。
『よろしくね、樒』
『うん!』
なんて嘘臭くて、陳腐で、虫唾が走って、吐き気を催す光景だろうか。
簡単に一言で説明してくれればよかったじゃないか。
「寄主蓮夜をボコボコにしたくて、契約しました」って。
やがて再生を終えた《回想》は、バラバラに砕け散って、跡形もなく消え去った。
「と、いう訳なんだよ」
「そう。だからこれで、あたしが百合を守ってあげられるよ」
まとめたつもりっぽい事を言った樒の隣で、センがモモに向かって微笑む。
モモは一度センに視線を向けた後、直ぐに樒を睨み付けた。この場に、さっきまで画素数がどうとか言っていた少女はいない。
「それで、茜音をどうしたの?」
「どうしたの、って、どうかしたの? 変な所でもあった?」
俺はモモの言わんとしている事が分からず、じっと彼女を見た。
「茜音に変な事をしたんじゃないの?」
「なんだかその心配、茜音もしていたように思えるなぁ。やっぱり友達って、心配の仕方も似るのかな?」
確かに、心配しての言葉としては似ていたかもしれない。
それにしても……モモが心配するほど、センは何か違うだろうか。そりゃあ微笑みは不気味だけど。さっきの無表情も不気味だったしさ。でも、決定的に今までと違うと言えるほど、俺はセンの事を知っている訳ではない。
なにしろセンは、いわば最近出来たキャラクターなのだ。おそらく何度もモモに接触する俺への対策として作られたのだろう。
今回のモモは特に、動かないように変えられたように見えた。彼女をあくまで主人公《ヒロイン》にするのであれば、引っ張ってくれる人間が必要だったのだ。多分。
故に、俺は彼女に対しての情も薄い。最初のセンは俺とモモの関係を応援してくれていた事も、情が薄い理由の一つではあるが。センに関しては、ギャップについていけない。
「違う」
モモは、静かに樒の言葉を否定した。真っ直ぐに樒を睨み付けての、冷たい声だ。
何がそこまで違うのか、全く分からない。こう、短いスパンで分からないを連発するくらい、分からないのだ。
「わたしは、茜音に何か《した》んじゃないかって言ってるの。するんじゃないか、という心配じゃない。したんだろうという確信から来る、確認」
樒はモモの確信めいた質問には答えず、ただ微笑み――もとい、薄ら笑いを浮かべている。
茜音も特に何か言う様子も、動く様子も、表情を変える様子も見られない。可笑しいと言えば、やはりこの辺は可笑しいか。
特に、モモに対して何らかの反応を返さないところが。
…………場が、凍りついたように動かない。
樒もセンも表情は変わらないし、俺の隣のモモも、樒を睨み付けたままだ。
沈黙が黒い空間に流れる。
どれほどそうしていたか。いや、きっと数秒だった。
一時停止した世界の再生ボタンを押したのは、この場所に生じた白い切込みだった。




