エピローグ2 隙間風吹く平和。
朝、起きたらまず、株のチェックをする。
「史郎、これとかどうかな?」
「あー」
志保が後ろからたまに口を出してくれる。今のところ、大損だけはしていない。
それから志保が用意してくれた朝食を食べる。
そして掃除。志保が子どもを見ているから、その間に洗濯物も済ませてしまう。子どもが寝る前に済ませてしまいたい。
「ありがとう。史郎」
「力仕事は筋肉の仕事だ」
「やはは。脳筋みたいなこと言ってる」
楽し気に、志保は笑ってくれる。腕の中の子どもは、ぐっすり眠っていた。
それなりに、幸せだ。
結愛に送ったメッセージ。未だ返信が無い。その引っ掛かりだけが、胸の中にある。
会いに行ければ良いのだが、今どこにいるのか、見当もつかないのだ。
ただ、奏が言うには、結愛は、無事ではあるらしい。
今は思う。俺達は、間違えていないのかと。
もっと、良い手段があったのではと。ふとした時、悩んでしまう。
「史郎?」
「ん?」
「また遠く見てる」
「あぁ」
「史郎、男の子の次はやっぱり女の子?」
「良いかもな」
「次は、結愛ちゃんに名付けてもらいたい、なんて思ってるよ」
「あぁ」
奏に付けてもらった名前。一希。一つの希みと書いて、かずき。
俺達は、簡単には帰れない。いや、もう俺達の故郷は、無くなったと言っても良いかもしれない。
「そろそろ、散歩してくるよ。何か買って来るものある?」
「そろそろ醤油が切れるかな」
「わかった」
家を出る。夏の暑さと日差しが出迎えた。少しだけ顔をしかめる。
頭の中にずっと、こびり付いて離れない。
結愛。俺は、お前に、何ができただろうか。
結愛にとって、良い時間になっただろうか。今、何を思っているのだろうか。
答えが見つからないまま、ここで平和を享受している。
気がつけば探している。
「おかえり、史郎。毎日の散歩お疲れ様」
「ただいま」
志保はきっと気づいている。俺の意味のない散策、それが何を求めての行為なのかを。
求めている人を見つけたところで、何を言えたものか、わからないけど。
「なぁ、志保」
「うん?」
「帰りたいとか、考えたことあるか?」
「あんまり。二人に会いたいと思っても、帰りたいは、無いかな」
迷う様子を見せず、悩む素振りも見せず、志保はそう答えた。
「急に、どうしたの?」
「いや」
「……結愛ちゃん、見つけた?」
「影どころか、足跡も無いよ。こんなところ、いる筈も無いけどさ」
結愛なら、俺達の居場所なんてすぐに特定する。どうせ、組織が追跡調査しているだろうし。俺たちに会うつもりがないなら、徹底的に避けられる。偶然の再会すらあり得ないだろう。
「大丈夫だよ。ちゃんと、再会、できるから」
志保の笑みは月明かりのような笑みだ。ベビーベッドに眠る一希。あまり泣かない子だ。たまに心配になるくらい。泣き出してもあやせばすぐに眠る。
志保が何でそう言えるのかわからない。けれど。どうしてか信じられる。
志保の言うことはどうしてか、実現する気がするのだ。
「みんなでまた会えたら、何したい?」
「何だろう」
色々考える。考えるけど、何だろう。
「史郎?」
「ん? あぁ、悪い。ボーっとしてた」
「もうっ。夕飯食べよっか」
「あぁ」
立ち上がった志保はエプロンをつけて、キッチンに立つ。
「今日はね、オムライスの気分だからオムライスだよ」
「志保が作る奴、美味しいから。ありがたい」
「やはは。嬉しいこと言ってくれるね」
ケチャップライスは既にできているようだ。卵を焼く甘い香りがした。
「うん。どうにかなる気がしてきた。志保と一緒なら」
「そこまでの信頼、得られるまで長かったなぁ」
「俺、そんな気難しい奴だっけ?」
皿を二枚持った志保がキッチンから出てくる。
「うん。史郎は難しいよ。お茶ありがと」
「そうか? スプーンもどうぞ」
「どうも。うん。史郎にとっての一番は沢山いた。だから、ね」
志保がスッとケチャップライスの上の卵に、スプーンで横一線。とろりと卵が広がり、ケチャップライスを覆った。
「おー」
「毎回拍手してくれるね」
「俺にはできないことだから」
「私は、史郎の一番になりたかった。信頼も、親愛も、大好きも。全部私が一番になりたい。だから、史郎のやり残したことも、叶えてもらいたい。ずっと、心の中で、心の暗い方に残っている人を、明るいところに連れ出して、ちゃんと、決着、付けて欲しい」
変わらない、強い瞳。どうしてか、できる気がしてしまう。頷いてしまう。
「今は、私が史郎の帰る場所だから。ちゃんと、待ってるから。だから、存分に」
「あぁ」
道筋なんて見えない。志保は、ただ俺に、希望を持たせてくれた。
ただ、その時が来た時、心が大丈夫なように。ちゃんと、やりたいようにできるように。
一週間ぶりに外に出た。
奏さんは、今日は面接らしい。本屋さんと聞いた。
真面目な人だ。まあ、私の貯金があると理解しているから、収入はそこまで拘らず、休みとかそういう、福利厚生で考えていたみたいだから、別に良いけど。
コンビニを見て、頭の中で残っている煙草の本数を数えてしまうが、もう吸う理由はない。さっさと通り過ぎる。
穏やかな街だ。疲れて濁った心が透き通っておくような気がする。先輩達がこの街を選ぶのも、わかる気がする。
海岸沿いを歩く、堤防の上にひょいと登って、海を眺めながら缶コーヒーを開ける。
奏さんが箱で買って来るんだ。飲まねば。
「気が回り過ぎるというのも、困りものですね」
……何で外に出てるんだろ、私。
夏の、アスファルトが融ける匂いと潮風の匂いが混じり合う。
「暑いですね」
思わず、Tシャツの胸元をパタパタしてしまう。
「はぁ」
ぴょんと飛び降りて缶のゴミを、今や珍しい、自販機横のゴミ箱に放り込む。計算通り、穴に真っ直ぐに入って行った。
「……はぁ」
こんな風に簡単に、計算できれば良いのですけど。
ラプラスなんてコードネーム付けられていたけど、私にも見通せないものは沢山あるのですよ。はぁ。
そのまま気が向くまま、風が吹くまま。海風に流されるように、街の方へ。気がつけば住宅街。公園があった。ふらふらと公園のベンチに引き寄せられる。日陰だ。
「はぁ」
ペットボトルの水を流し込んだ。インドア派大人しくしておくべきでしたね。先輩も、外を出歩いてなんかいないでしょう。何をしているのでしょうか、私。
覚悟も決まらないうちに、何をしているのでしょうか。本当。
残っていた水を持っていたタオルにかけて畳んで。目を閉じて乗せようとして、私は立ち上がった。ぴしゃりと音を立てて、タオルが落ちた。
「せん、ぱい」
公園の入り口を今通り過ぎた人。その後ろ姿を、私は良く知っている。
先輩。……先輩!
身体が固まる。足が前に出ない。呼吸が、浅くなる。
どうしよう。どうやって、何と言って、声をかければ……。
わからない。考える。先輩との日々が、頭の中で圧縮されて一気に流れる。
ふと、辺りを見渡す。
子ども一人いない。当然だ、学校だ。もうすぐ夏休みだから、この時間も盛り上がるようになるだろう。
奥様方が買い物行くとしたら、もう少し涼しくなってからだろう。
息を一つ吸って、吐いた。
短いズボンの下、太ももに仕込んでいるナイフを、引き抜いた。
暑いな、と思いながら歩く。片手には、途中、ドラッグストアで買ったトイレットペーパーオムツがある。
夕方になったら、特売狙いでスーパーに行かねば。
ぼんやりと眺めた空は、眩しい青。明るすぎるな。
ふと、立ち止まった。
風が吹いた。温い。もっとまともに涼しくする気は無いのだろうかと思わせる。
目を閉じて、息を吐く。
買い物した荷物を離して、身体を横にずらす。後ろから音も無く迫っていた凶刃は空を切った。
振り上げた左足は防がれる。予測済みだ。
突き出した右手を躱される。カウンターのナイフの突き出しを左腕で捌き、そのまま袖を掴み、背負い投げ、腕を捻りナイフを落とさせ取り押さえた。
「よっ。結愛」
声は、自然と出た。
「先輩……何で先輩は、いつも、期待を越えてくるの、ですか」
「先輩ってのは、そういうもんだ」




