ちょっとした逃避行へ。
「史郎、明日、放課後、デートしない?」
「良いよ」
「決まりね」
シャワーを浴びて湯船に入ってくる志保、向かい合わせになる。一糸まとわぬ志保の肢体、そのどこを見られても恥ずかしくないと言わんばかりの、堂々とした立ち居振舞い。
「どこに行きたい?」
そんな、ある種の大人びた振舞いとは裏腹の、キラキラとした目。どこか、年相応な、子どもらしさを残した表情。それを何となく眺めながら、少しだけ考える。
「……遠くに行きたい」
「旅行?」
クイっと首を傾げる。その動きに合わせて、湿った髪が、揺れる。その髪が、ひょいひょいと髪をタオルターバンでまとめられる。
その光景は、どこか現実感が無い。でも、それでも、これはちゃんと現実で。
志保とちゃんと恋人同士になれた。その実感に浸りながら、ぼんやりと、答えを口にするべく口を開く。
「静かなところに、行きたいかな」
「良いね」
小さく笑み。ひょいと足を伸ばして俺の肩に乗せてくる。ふくらはぎが頬に触れる。
「それはとりあえず、春休みかな。明日の放課後の話ししようよ」
「……そうだな。どこが、良いだろうか」
ぐりぐりと、肩に踵を押し付けられながら、ぼんやりと浴室の天井を眺めた。
心の緊張が解れてしまって。今はただ、志保と一緒にいたい。それだけが願いで。
「やはは。甘えん坊さん」
「うっせ」
気がついたら、志保を抱きしめていた。
いつもの志保の香りが、一際強く感じられた。
「ねぇ、史郎。史郎に出会えて、良かったよ。私」
「そうか……俺もだ」
なんて言うと、志保はひょいと俺の頭を抱きかかえる形に変える。心臓の音が、よく聞こえた。トクトクと、一定のリズムを刻む、生きている証明、その一つだ。
そんな音すら、愛おしい。
ここまで好きになれる人に出会えた。
自分が、全部を差し出しても良い。そう思える人に会える人は、どのくらいいるだろうか。そんな人に、好いてもらえる。そんな幸運に恵まれる人は、どのくらいいるだろうか。
「あのさ」
「ん?」
「もし、私が朝倉家から離れて、普通の、本当に一般的な家庭を築きたい、なんて言ったら、どうする?」
「ありだな。俺は、志保と一緒にいたい。今考えられるのは、それだけだ」
「そっか」
志保の腕の力が少しだけ強まる。
「……やっぱり、遠く、行こうか、明日」
「……学校休んで彼女と旅行って、不良だねぇ」
「すまん」
奏が呆れたように笑う。
朝、起こしに来た奏と遭遇。起きていることに驚かれたが、部屋のベッドで眠る志保を見て、頬を掻いて納得された。
一緒にいたのは俺が志保と旅行に行くと知っている結愛。大きな鞄を担いでいる。
「良いよ。最近大変だったし、ちょっとしたご褒美、だね」
「そうですね。室長に連絡しましたら呆れていましたが、旅先への到着時と寝る前、帰還後、報告を入れるようにとのことでした」
やれやれと手をあげた結愛は、奏をちらりと見て、背を向ける。
「いってらっしゃいませ、先輩。志保さんを頼みますよ」
「あぁ。志保の荷物、サンキュー。あと、諸々の予約も」
「いえいえ。護衛の都合上、こちらに委ねてくれたのはむしろ助かりましたよ」
「また明日ね、史郎君」
「ありがとう。奏、結愛」
二人を見送り、俺は部屋に戻る。
まだ寝息を立てる志保。その耳元に顔を近づけた。
「志保、起きろ」
少しだけ、優しく肩を揺すった。
キュッと顔を少ししかめ、ゆっくりと瞼が持ち上がる。
「むぅ、おはよう。史郎。史郎に起こされるとはね」
「そういう日があっても良いだろ。結愛が荷物、持って来てくれたぞ」
「やはは。ありがとうくらい、言わせて欲しかったな」
「時間的に無理だろ」
そして、ゆっくりと朝食を食べた。
「昨日の夜も思ったが」
「ん?」
「志保、普通に美味いよな。料理」
「……結愛ちゃんとか、奏ちゃんに、色々教わったんだ」
「美味しいよ。とても」
「オムライスで褒められても」
「オムライスは、簡単故に難しいもんだろ。味は失敗のしようが無いが、理想の食感に持っていくにはそれなりの技量が求められる」
口の中でトロリととろける卵。ケチャップライスとよく絡む。塩と胡椒がよく効いて、香ばしい。気がつけば、乗っていた白い皿の方が目立ち始める。
ソースもひき肉の旨味と深みのある味わいを出していた。
オムライスで久々に感動したかもしれない。
「美味しいよ」
「……照れるね、なんか。やはは」
困ったように笑って。パクパクとかき込み始める。
「ご馳走様。食器、洗ってるから、食べ終わったら持って来てね」
そう言ってパタパタとキッチンの方へ。まぁ、ダイニングキッチンだから、食器を洗ってる志保はよく見えるのだが。
「楽しみだなぁ」
そう零した声も、よく聞こえた。
気づかない振りして、俺は残りのオムライスをしっかりと味わって食べて。コンソメスープを味わった。
まだ時間はある。コーヒーブレイクの時間くらいは、ある。
旅行には勿論行くが、こんな時間をもう少し味わいたいなんて、思ったんだ。
新婚の朝っぽいではないか。
志保との未来が、少しだけ、見えた気がしたから。
通勤通学ラッシュが終わった時間辺りに家を出た。
「朝の情報番組をちゃんと見たの、初めてかもしれん」
「私も」
俺も志保も、人を欺くことに関しては、身体に染みついた感覚で理解している。
堂々とした立ち居振る舞い。俺達は大学生カップル。卒業前にちょっとした旅行に出かける。
「電車で旅行かぁ。初めてだなぁ」
今から行くのは山の中の温泉が有名な村。
この時期はきっと寒い。雪も深いだろう。
それでも、ネットで調べた時、どうしてか心が引き寄せられた。
意味も無く手を繋いで電車を待つ。
悪いことをしている。
正しくないことをしている。
でも、それでも。
俺が迷いなく、明日に歩くために、必要なことなんだ。




