42、心配
42
以前、枝本さんに虫嫌いの理由を尋ねた事がある。
その答えを今になって思い出した。
『嫌いなものに理由が必要か?』
『何を考えているかわからない』
『誰も虫ケラの事なんて考えない』
もし枝本さん自身が虫として考えるなら……
人は理解できないものに恐怖や不安を感じる。その感情は悪意のある言動に繋がっていくのかもしれない。
自分が思うより、私は婚約者の存在に不安だったのかも。何だかこの数日、枝本さんが遠く感じた。
その不安に、私が押し潰されちゃダメなのに。理解できないなら何が理解できないのかよく考えて、枝本さんに訊くべきだった。枝本さんは自分の事を自分から話す人じゃない。
あの時、私どうかしてた……。紗菜さんの言葉にかき乱されて、自分を見失っていた。
道場で泣きながらあきらちゃんに説明したら、やっとその事に気がつけた。
「それで泣いてたんだ……なんか、一言で片付けるのもなんだけど、大変だね……」
大変……?そうかも。人を好きになるってこんなに大変なんだ……
「稲高最強の男にこんな風にマジで想う女の子がいるなんて……何だかイメージ変わったな~」
「枝本さんは強いけどヤンキーじゃないんだよ?」
枝本さんは他の学校にもその名前が知れ渡る、ちょっとした有名人だった。だからこの鬼強中学生あきらちゃんは、一度手合わせしたいとか言っていた。
すると、突然道場の扉が開いた。
「新川、いるか?」
「枝本さん!」
今度こそ、枝本さんがやって来た。枝本さんは鬼のような形相で道場の中に来るも、気絶したもやしを見てしばらく無言になった。
「……………………」
「あの、枝本さん?これは、その……」
「新川をここへ連れ込んだのはお前か?」
枝本さんはその怒りの矛先を妹に向けた。
「違いますよ!妹さんは助けてくれたんです!」
「あなたが稲高最強の枝本さん?一度手合わせ願いますか?」
「ちょ!あきらちゃん何言ってんの?」
いくらあきらちゃんが強くても、相手は枝本さんだよ?
「わかった。力づくで取り戻すのは慣れている」
「枝本さん!あきらちゃんは中学生!中学生の女子!」
二人は道場の真ん中で向かい合い、気合いを入れていた。
いやいや、何この雰囲気!?バトル漫画みたくなってるから!
あきらちゃんに何かあったらどうしよう!すぐに止めなきゃ!!
どうすればいいのか何も思いつかない私は、とりあえずもやしをビンタして起こした。
「起きろ!起きろもやし!妹が大変!」
「ん~?カプチーノがカマキリの卵に見える?お前可愛い奴だな~」
どんな夢見てんの!?「起きろ~!」と言って何度も肩を持って揺さぶると、もやしはムニャムニャ言いながらやっと起きた。
「お前、いつの間に……」
「いつの間にじゃない!二人を止めなきゃ!」
ああなった枝本さんの前に出るのは自殺行為だけど、このままじゃあきらちゃんが危ない!
私ともやしは、タイミングを見計らって二人の間に入った。
「ストップ!ストーーーップ!」
二人とも動きは止まったけど……枝本さんの顔はまだ眉間にシワがある。それを見て、私は思わず枝本さんに抱きついた。
「ごめんなさい!枝本さん……本当にごめんなさい……だから、もうやめてください」
枝本さんの力が少しづつ抜けていくのがわかった。
「新川……無事で良かった!」
そう言って、枝本さんも私を包み込むように抱きしめてくれた。その力強さに、凄く安心した。枝本さんはきっとあちこち探してくれたんだ……
私の事、心配してくれたんだ……。それって……
何だかめちゃくちゃ嬉しい。
嬉しくて涙が出た。
「どうした新川!?こいつらに何かされたのか?」
私は首を横に振った。
「枝本さんに、心配されたから……」
「は?」
「助けに来てくれて……ありがとうございます」
涙を拭きながら、枝本さんに微笑んで見せた。
「あんまりにも枝本さんが心配してくれてて……嬉しくて、涙が出ました」
「なんだそれ……俺は新川に何かあったら……」
「また停学ですかね?」
それを聞いた枝本さんは、もう一度私を強く抱きしめた。それはもう苦しいくらい。
「く、苦しい……」
そんな幸せな時間を過ごしていたのにその空気を破ったのは、もやしだった。
「枝本!この虫殺し!お前を倒して、もう二度と虫を殺させねぇ!!」
「はぁ?」
やめとけ!もやし!あきらちゃんに1発KOされたあんたが枝本さんに挑むなんて無謀過ぎる!
「俺はこの道場の師範の息子だ!この道場で一番強い」
「うん、それは無い」
このもやしが道場一だと思われたらここの道場沽券に関わるよね。
「俺はこの拳に虫への愛をかける!」
「は?何?何をかけるって?」
もやしの言ってる言葉が、枝本さんには少しも理解できないみたい。いや、正直私も理解できない。




