5. 怪盗は揶揄うのがお好き
しばらくして、シリルは部屋に戻ってきた。
「着替え終わったか?」
セレーナが入ってもいいと伝えると、シリルは扉を開けた。
彼は、片手で二枚のトレーを器用に持っている。それと同時に、食欲を刺激するいい匂いが漂う。
シリルはセレーナの姿を確認すると、満足そうに頷いて、トレーをテーブルに置いた。
「ふうん、似合ってるじゃねえか」
「そ、そうかな?」
「ああ。少なくとも、昨日のドレスよりずっといい」
シリルはウィッグと眼鏡を取ると、わずかに眉を寄せて、そう言った。
昨日のドレスと言われて、そういえば……とセレーナは室内を見回す。
クローゼットは開きっぱなしで、中には何もない。
「昨日着てたドレスとタキシードは、どうしたの?」
「ああ、あれなら売った」
「売ったの!?」
「いいだろ、どうせあんなもん着て歩けねえし」
持ち主の許可もなくドレスを売ったのは感心しないが、たしかにシリルの言うとおりだった。シンプルとはいえ、重くて真っ白なウェディングドレスは、着ることもできないし持ち歩くにも邪魔だ。
「それより、早く飯食おうぜ。せっかく出来立てのやつ貰ってきたんだし」
「……あれ? そういえば、下の食堂で食事って言ってたよね?」
「ああ、本来ならな。けど、連れが足腰立たないからって伝えたら、特別に部屋に持ってっていいって」
「——っ! ひ、人様になんてこと言うの! 誤解されたらどうするのよ!」
シリルは突然とんでもないことをのたまう。セレーナは真っ赤になって眉をつり上げた。
「あんたの言う誤解だったら、とっくにしてるだろうよ。よく考えてみろ、タキシードとウエディングドレスを着た若い男女だぞ? あんたが宿の従業員だったらどう思う?」
「……近くの教会で結婚式を挙げたばかりの新婚夫婦かなと思うわね」
「だろ? だからいいんだよ」
「良くないっ……!」
セレーナが羞恥でぷるぷる震えているのに構わず、シリルはさっさと座って、自らの分の食事に手をつけ始める。
「あんたも冷める前に食べれば?」
「……っ、そうね」
香ばしく焼き上げたバゲットと野菜のスープ。グリルしたポテトにベーコン、フライドエッグ。
田舎の小さな街、郊外にある素朴な宿屋としては一般的な朝食メニューらしいのだが、セレーナにとっては久しぶりのまともな食事である。
「とっても豪華ね! 美味しそう」
「豪華……か。まあ、そうだよな……すまん」
「……? どうしてあなたが謝るの?」
「いや、なんでもねえよ。さっさと食え」
「はーい」
セレーナが夢中で食事を楽しんでいると、いつのまにかシリルのカトラリーを持つ手が止まっていた。
「……? どうしたの?」
シリルは、何故だか眉を寄せて真剣な表情をしていた。紫紺色の瞳に浮かんでいるのは、まるで何かに怒っているかのような、もしくは何かを後悔しているかのような、やり切れない感情。
「……なんでもねえ」
シリルはその感情を振り払うように、小さく首を振って、ため息をついた。
セレーナがこてんと首を倒すと、シリルはふっと笑った。一転して彼が見せた、慈しむような優しい笑顔に、セレーナは面食らう。
「な、なに? そんなにじろじろ見て」
「……口の端にケチャップついてる」
「えっ!?」
「はは、まだまだお子ちゃまだな」
セレーナは慌てて口元をぬぐい、シリルはそれを見てまた笑う。
「し、失礼ね! これでもわたし、もう立派な成人よ!」
「はは、そうだった。そういや俺の二つ下だったな。わりぃわりぃ」
「あなたって二十歳なの?」
「ん、ああ」
ここ、ノルベルト王国では、十八歳で成人を迎える。いくら童顔でも、行動が幼くても、セレーナはもう立派な大人なのだ。
対するシリルは、二十歳らしい。五年前にいなくなってしまった、ジーン——彼が生きていれば、同い年だ。
ちなみにダブの方は孤児だったらしく、年齢は覚えていないと言っていた。
「あれ? そういえば、わたしの年齢知ってたの?」
「当然だろ。あんたは大切な——」
「商品、だもんね。事前に調べてあったのよね、きっと」
結婚式の日取りや場所まで知っていたのだ。当然、セレーナの個人情報なんてシリルには筒抜けなのだろう。
「……ちっ」
シリルは舌打ちをして、ガシガシと頭をかきながら視線を逸らした。何故だかわからないが、彼の機嫌を損ねてしまったらしい。
それからは、黙ってカトラリーを動かす音だけが部屋に響いていた。
*
「ところで、これからのことを話しておきたいんだが」
セレーナがフォークを置いたところを見計らって、シリルはそう言った。部屋の空気をそのまま写しているかのように冷たく、固い声だ。
セレーナは口元を拭きながら、慌てて頷いた。
「俺は、このままあんたを守りながら、安全なところまで連れていきたい。だが、その前に、あんたの意思を確認したくてな。あんたは、どうしたい?」
「え……どう、って?」
「アボット伯爵家か、嫁入り先のデイヴィス子爵家に……戻りたいか?」
セレーナは、瞠目した。誘拐犯にそんなことを確認されるなんて、思ってもみなかった。
「——絶対に、戻りたくないわ」
「そうか。それを聞いて安心した。これで、心置きなくあんたを盗めるな」
セレーナの返事を聞いて、シリルはホッとしたように口調を和らげた。張り詰めていた雰囲気がふっと柔らかくなる。
「……ねえ。あなたの依頼人は、誰なの? わたしをどうするつもり?」
「そいつは……、今はまだ言えねえ」
「じゃあ、いつ言ってくれるの?」
シリルは、眉尻を少し下げて、わずかにうつむく。
「それは、俺が……」
ぽつりと低い声で何かを呟きかけて、シリルはすぐさまかぶりを振った。
「——いや。あんた次第だな」
「わたし次第って? わたし、どうしたらいいの?」
シリルは、肩をすくめて再び首を振る。
セレーナは、彼が何を望んでいるのか、見当もつかず首を傾げた。
「まあいい、話を戻すぞ。それで、これからのことだが」
シリルは、話を切り替えた。セレーナは短く頷く。
「この後は、どこに向かうつもりなの?」
「国境だ」
「えっ、国を出るってこと?」
「そうだ。国境を越えて、シュトロハイム王国へ向かう」
シュトロハイム王国は、ここ、ノルベルト王国の東に隣接する大国だ。ノルベルト王国に比べて、工業化が進んだ、豊かな国だという。
「現在地は昨日の教会の南。馬で二日程度の位置だ。今日中に出発しないと、追っ手が来る可能性がある」
「追っ手……!」
「ああ。あんたの継母なら、間違いなく追っ手を差し向けるはずだ。それも、話し合いに応じるような穏便な奴じゃないだろうな」
「う……その通りだわ」
実際、継母のアマラならそうするだろう。婚姻可能になる十八歳までセレーナを殺さず、追い出しもせずにいたのは、金になるとわかっていたからだ。
追っ手に捕まったら、結婚する予定だったデイヴィス子爵家に連れて行かれるだろう。もし既に破談になっていたとしたら、新たな輿入れ先が決まるまで、今度は鎖にでも繋がれて監禁状態にされてしまうかもしれない。
「ここを出たら、まずは追っ手を撒くために南へ向かう。素直に東へ向かったら、街の人間に情報を残しちまうことになるからな」
セレーナは、シリルの言葉に頷く。シリルはそのまま詳しい計画を話し始めた。
「一旦南に向かって、次の街でも俺たちの姿を目撃させる。んで、ひと気のないところで街道を逸れ、森に入る。安全な場所を見繕って一泊野宿したら、北東の関所を目指すぞ」
「南東じゃなく、北東?」
国境のゲートは、北東と南東の二カ所にある。
一方、アボット伯爵領とデイヴィス子爵領は隣り合っていて、王国の中央付近に位置している。
だからここが例の教会の南ならば、南東側のゲートの方がいくぶん近いはずだ。
「確かに南東の方が近いが、北東へ向かうのにはちゃんとした理由がある。それに、怪盗シリルは南の方へ飛んでいったと思われてるし、南より北の方が安全だ」
「でも、それでも、北の方も絶対に安全とは言い切れないわよね?」
「理由があると言ったろ? 平気だ、手は打ってある。北東のゲートに向かうぞ。――俺を信じろ」
「……わかった」
詳しく理由を聞くこともせず素直に頷いたセレーナに、シリルは目をまたたかせた。
「やけに素直だな」
「だって、わたしひとりじゃ、どうしようもないもの。わたし、旅慣れてないどころか外出すら碌にしたことがないし、実家に帰るのは絶対に嫌だし。今はあなたしか頼れないんだよ」
「……そうか」
シリルは、嬉しそうに目を細め、口角を上げた。彼は食器をまとめて立ち上がると、セレーナの耳元に唇を近づけて、甘い声色で囁く。
「なら――ずっと俺を頼っていてくれればいい」
「――っ」
シリルの吐息が耳元をくすぐり、ぞわりとする甘い痺れが、セレーナの背を駆け抜けた。
セレーナはパッと耳を手で押さえ、慌ててシリルから距離をとる。顔がすごく熱い。
「こ、こ、この、女たらし!」
「あぁ? そんなつもりはねえけど。つうか、免疫なさすぎ。やっぱ面白えな、セラを揶揄うのは」
シリルは意地悪い笑顔を、セレーナに向けた。
彼は楽しそうに笑いながら、宿を出る支度を始めた。
「な、な、何なのよ……」
セレーナは耳元に残る甘い声色と吐息の感触に気を取られていて、シリルから愛称で呼ばれたことに、しばらくの間、気がつかなかった。
すみません、一旦更新を休止しようかと思っていたんですが、やっぱり様子を見ながらゆっくり不定期に更新しようかなと思います。
二転三転して申し訳ありません。




