賀川杏樹
死んでいますでしょ?ソレ…。
賀川杏樹は美容師だった。幼少の頃から憧れていた職業に就き、幸せな毎日を過ごしていた。然し、或日を境に幸せは崩れ去っていく事になったのである。其れは客として来店していた一人の男性の疑問から始まった…。
「そうだ。いつも不思議に思っている事があったんですよ。美容師さんに聞いてみようかと思って…。」
何気ない会話の一コマだった。
「何ですか?不思議に思う事って…。」
「私、去年に事故に遭いましてね。その時なんですが…。左手の小指を切断する事になりまして…。」
その男性は左手をユラユラと動かした。
「見慣れていた筈の小指だったのですが…。自分から切り離された瞬間から、その小指がですね…。どう云う訳か、自分の小指だったモノと思えなくなりましてね…。」
男性は前を視た儘に言葉を繋げる。
「ソレで現在、お姉さんに髪を切ってもらっているじゃないですか…。それで先程から切り離された髪を視ている訳なんですけど…。」
男性は右手の人差し指で床に散乱している髪を指差している。
「何て云うんですか…。死んでいますでしょ?ソレ…。」
賀川は床に視線を送る。其処には色褪せた髪が散らばっていた。光が反射していない箇所が酷く霞んで視える…。
『あれ?こんなのだったっけ…。』
見慣れている筈の髪。賀川は、その堕ちている髪に違和感を感じ始めている…。
「死んでいる?」
思わず言葉が漏れ出ていく。
「えぇ。死んでいますでしょ?艶々とした髪だったのに、切り離された途端にパサパサとして視えるのですから…。そうですね…。水分を失って色が抜けている様な気がするんですよ。」
男性は右手をヒラヒラと動かす。
「例えば金魚。」
金魚ですか?賀川は、男性の言葉に惹き込まれていく。
「えぇ。金魚です。水槽の中で死んだ金魚って視た事ありますでしょ?水槽の中は水で満たされている筈なのに、何故か乾いて色が抜けている気がしませんでしたか?」
賀川の頭に金魚の死体が浮かぶ。
「特に眼球が…。白くなって…。色が抜けていくじゃないですか…。」
あぁ。金魚の死体の眼球が記憶から引き摺り出される。記憶は映像化し賀川の脳内を満たしていく。
『あぁ。死んだら…。色が抜けていくのか…。』
「人間だって死んだら色が抜けて白くなっていきますでしょ?血の気が無くなると云うか…。血液だって液体なのですから…。きっと水分が無くなるから色が抜けていくのかも知れませんね…。」
男性は鏡越しに笑っている。
その笑顔は乾いて視えた。




