群れの結び目(後編)
「——二本足の、影?」
翌朝、私の報告に、野営の空気が変わった。
「岩狼の群れに、狼じゃないものが混ざってる。たぶん、あれが群れを動かしてる」
「……聞いたことがある」父さんが低く唸った。「群れを操る魔物がいるとな。ゴブリンの亜種で——獣使い(ビーストテイマー)」
「性質が悪いわね」母さんが頷いた。「群れの強さに、頭の悪知恵が乗る。倒木も、値踏みも、それなら筋が通る」
隊商は宿場で足止めしてもらい、私たちはギルドの出張所で正式に討伐依頼へ切り替えた。聞き取りをすると、被害の絵がはっきりしてくる。盗られたのは選び抜かれた馬と、塩と、酒。罠は全部避けられ、毒餌には見向きもしない。
「賢い、っていうより」私は言った。「——《《用意してる》》よね、これ。冬か、もっと大きな何かに」
「で?」
父さんが、私を見た。母さんも、私を見た。
「群れの結び目を見つけたのは、リノだ。……《《作戦、立ててみるか》》」
え、と声が出た。
「私が立てて、いいの?」
「言い出しっぺが司令官だ。うちの昔からの決まりでな」
「初耳だけど」
「今できた」
母さんが、ふ、と笑った。「いいこと、リノ。間違えてもいいのよ。——間違えたら、私とお父さんが、殴って直すから」
作戦立案の重圧が、この家では物理で担保されている。
*
私の作戦は、こうだ。
囮を張る。荷車一台に、塩と酒——あいつらが「用意してる」もの——を積んで、峠の開けた沢筋に停める。護衛は父さん一人に見せかける。手薄で、上等な餌。値踏みを終えた群れは、必ず取りに来る。
「父さんは荷車の前で、止める。派手に、長く。群れの目を全部、盾に集めて」
「おう」
「母さんは沢の下流に伏せて、退路を塞ぐ。……でも、塞ぐだけ。深追いはしないで」
「あら。私は殴らないの?」
「今夜の母さんの仕事は、殴ることじゃなくて、逃がさないこと。——的は、群れじゃないから」
そして私は、沢を見下ろす月見岩の上。風下。距離、およそ七十メートル。
狙うのは、たった一つ。
「群れが襲いかかる直前——どの狼も、ほんの一瞬、同じ方向を見る。指示を待つ目だよ。あの視線が集まる先に、《《結び目》》がいる」
父さんと母さんは、顔を見合わせて、それからほとんど同時に、にやりと笑った。
「「——採用」」
*
月が中天へ昇る。荷車の脇で、父さんの焚き火だけが燃えている。
私は月見岩の上で、岩と同じ呼吸になって、待った。夜風は沢を下ってくる。風下は取った。月明かりは薄いが、ある。見えないものは射てないけれど——今夜は、月がある。
来た。
斜面が音もなく灰色に満ちて、群れが沢筋を囲む。父さんが盾を構える。芝居ではない本気の構え。それに応えて、波状攻撃が始まった。
一波。父さんの鐘の音。二波。骨まで響く衝撃音。三波——
私は射ない。数えている。波の拍子を。そして、視線を。
……見えた。
襲いかかる直前、どの狼も、首をわずかに右へ振る。一瞬だけ、全員が、同じ一点を見る。沢の右岸、岩塔の中腹の岩棚。月の影になった、あの窪み。
目を凝らす。
いた。
岩と同じ色の外套。猿のように小さい人型。口元に、白く細いもの——骨を削った笛。あれが動くたび、波が動く。群れ全体が、あの笛の指先で撓う。
あれが、結び目。
距離七十。夜風は沢下り、右から左へ、弱く。的は小さく、月の影の中。外せば岩棚の陰に消えて、二射目はない。この一矢は、外せない——
——違う。
外せない、と思った瞬間の矢は、曲がる。師範の教えを、胸の中で結び直す。当てるんじゃない。当たる条件を、揃えるだけ。揃うまで、離さないだけ。
——世界から、音が引いていく。
父さんの盾の音。狼たちの唸り。沢のせせらぎ。月光の下のぜんぶが、潮のように引いて——あとには、弓と、矢と、月の影の中の小さな結び目だけが残る。
足踏みは、岩の上。胴造り。夜気を胸に薄く通す。打起し、引分け——弦が、冬の匂いをさせる。
会。
夜風が頬の産毛を撫でて、その強さを教えてくれる。骨笛が、次の波を呼ぼうと、持ち上がる。月がわずかに雲を抜けて、岩棚の窪みが——夜明けに残った月のように、白く、近く、浮かび上がる。
『欲を手放した射だけが、まっすぐ飛ぶ』
——離れ。
弦音は、夜風にさらわれて誰にも届かなかったと思う。
でも矢は、届いた。
*
群れが、壊れた。
一拍の、完全な静止。それから狼たちは、あの綺麗な波をぼろぼろと取り落とした。結び目を失った群れは、もう軍隊ではなく、ただの腹を空かせた獣の寄せ集めだった。父さんの盾に弾かれた一匹が悲鳴を上げると、それが合図のように、群れ全体が算を乱して闇へ散っていった。
「……終わりか?」
「終わり」私は月見岩の上から答えた。「結び目は、断った」
使った矢は、今夜、一本。
観察に使った時間は、二晩。それでいい。射は、放つまでが九割九分なのだ。
「よぉし!! 撤収して祝いだ!! 見たかカグラ、うちの娘は司令官もできるぞ!!」
「ええ。——いい作戦だった」
母さんの賛辞は、一言だった。一言が、いちばん効いた。なお父さんはすでに泣いていた。早い。荷車の酒はおばちゃんの商品なので、開けたぶんは買い取りである。
*
数日後、カルナのギルド。
「討伐確認、獣使い一体と岩狼の群れ。護衛達成と合わせて——はい、リノちゃん、《《D級昇級》》。最年少記録よ」
ニナさんがタグを差し替えてくれると、後ろで野次おじさんたちが「俺が見込んだ!」「いや俺が先だ!」と手柄の取り合いを始めた。あなたたちが言ったのは「考え直せ」……もういいか、これは。
「そういえばね」
手続きの終わり際、ニナさんが声を落とした。
「変な手配が回ってるのよ。教会から、見習いシスターがひとり《《逃げた》》んですって。国中の支部に『見かけたら保護を』って」
「保護?」
「——保護、ですって」
ニナさんの言い方には、棘があった。逃げた人を捕まえることを保護と呼ぶ大人を、この受付嬢は好きではないらしい。私も、好きではない。
見習いシスター。
なぜだか、ふっと——夕陽の中の、綺麗なお辞儀を思い出した。
(第八話・了/第二章・了)
ここまで読んでくださりありがとうございます!
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援してもらえると嬉しいです!
毎日二話更新の集中連載!




