止める、崩す、射る
登録から十日後。「熊と花と矢」としての初仕事は、ニナさんが選んでくれた。
「西のミルテ村から討伐依頼。岩鎧猪の群れ、五頭。収穫前の麦畑が狙われてる。等級はC——リノちゃんはF級だけど、パーティ等級で受けられるわ」
「岩鎧猪って、あの、額に岩の板を乗せてるやつですか」
「そ。正面からは剣も矢も通らない、生きてる城門。……ま、あなたたちなら心配してないけど」
心配していないのは、ニナさんだけではない。依頼書を受け取る父さんも母さんも、完全にいつも通りだった。いつも通り、道中の献立の相談をしていた。猪が出る依頼だから今夜は猪鍋の予定らしい。討伐対象を夕飯に数えるの、うちだけだと思う。
心配しているのは、私だけだった。
——腕の話じゃ、ない。的が動こうが跳ねようが、当てる自信はある。
そうじゃなくて。
父さんと母さんは、二人で二十年戦ってきた。「熊と花」の連携は、楽譜のいらない二重奏だ。目配せひとつ、いや、目配せすらなく、盾と拳が同じ拍で動く。あの完成された音の中に——三つ目の楽器の入る場所は、あるんだろうか。
宿の寝床で、私は矢を数えた。二十本。弦を張り替え、矢羽根を撫でて、それでも眠りは浅かった。
*
ミルテ村は、刈り入れを一週間後に控えた、金色の海みたいな村だった。
「毎晩来るんです。あの岩頭ども、麦の匂いで山から降りてきて……柵も番犬も、もう」
村長さんの話では、被害は日暮れどき。私たちは畑の縁に陣取って、夕陽が山の端にかかるのを待った。
来た。
麦の海の向こう、山裾の茂みが割れて、灰色の岩塊が五つ、鼻から荒い湯気を吹きながら現れる。体高は父さんの胸ほど。額から背中にかけて、岩の板鎧。蹄が地を掻く音だけで、柵の杭がびりびり震えた。
「一番槍、もらうぞ」
父さんの声が、低く短くなった。戦いのときだけ、父さんは言葉を節約する。
先頭の一頭が、突っ込んできた。土砂崩れみたいな突進——を、父さんは大盾を半歩傾けて、真正面から受けた。
ごうん、と鐘みたいな音がした。猪は止まった。父さんは半歩も動いていない。
「あら、よいしょ」
そこへ母さんが、散歩の足取りで滑り込む。止まった巨体の顎の下、細腕がするりと差し込まれ——次の瞬間、岩鎧猪は自分の突進の勢いごと掬い上げられて、ごろん、と横倒しになった。晒された喉へ、母さんの掌底がとん、と落ちる。
一頭目、終了。所要、五秒。
……ね? 完成されてるでしょう、この二重奏。
二頭目、三頭目が同時に来ても、揺らがなかった。父さんが一頭を受け、母さんがもう一頭を投げ、受けた方を返す刀で母さんが崩す。盾と拳が、同じ拍で鳴る。私は弓を構えたまま、正直、見惚れていた。射る隙がない、というより——射る《《必要》》が、どこにもない。
やっぱり、と思いかけた、そのときだった。
四頭目の陰に隠れて走っていた五頭目が、戦線の横を、するりと抜けた。
向かう先は畑の奥——収穫小屋。村長さんたちが、様子を見に隠れている小屋だ。
父さんは四頭目を受けている。母さんは投げの最中。二人とも、間に合わない。
「——リノ!」
母さんの声。振り返りもしない、疑いもしない、任せる声。
任された。
私は駆けながら考える。追いつけない、が、追いつく必要はない。的の未来に矢を置けばいい。ただし正面は岩の鎧、走る的の急所は閉じている。開かせる。どうやって? ——父さんがいない。母さんもいない。なら。
《《止めるのも、崩すのも、矢でやる》》。
——世界から、音が引いていく。
麦の穂ずれ。蹄の轟き。潮のように引いて、あとには弓と、矢と、夕陽に照らされた灰色の的。
一の矢。狙いは急所じゃない。右前脚、関節の継ぎ目——鎧と鎧の、隙間。
弦音。猪の右前脚が、突進の速度のまま、かくんと折れた。巨体は自分の勢いに巻き込まれて、麦をなぎ倒しながら、ごろごろと転がる。転がれば——喉が、開く。
二の矢は、もう番えてある。
会。転がる巨体の中で、そこだけ止まって見える、鎧のない白い喉。
『欲を手放した射だけが、まっすぐ飛ぶ』
——離れ。
五頭目は、収穫小屋の三歩手前で、静かになった。
残心。三つ数えて、弓を下ろす。使った矢は、二本。
*
気がつくと、戦場が終わっていた。父さんと母さんが四頭を片付け、私が一頭。麦畑の被害、通り道ひと筋ぶん。
母さんが、歩いてきた。倒れた五頭目の、右前脚の矢と、喉の矢を順に見て——ふ、と目を細めた。
「あら。……止めて、崩して、射たのね。一人で、全部」
「二人の真似を、しただけ」
「ふふ。真似できる子は、初めて見たわ」
そして最後の一頭——群れで一番大きい、主らしき六頭目が、山裾から現れたとき(五頭って言ったじゃん、村長さん)、それは起きた。
父さんが受ける。鐘の音。突進が止まる。
母さんが崩す。細腕一閃。岩の巨体が傾いで、喉が夕陽に晒される。
そして二人は、当たり前みたいに、同時に叫んだ。
「「——リノ!!」」
ああ、もう。
入る場所なんて、心配するだけ無駄だった。この二重奏は最初から、三つ目の音のために、一小節空けて待っていたのだ。
——世界から、音が引いていく。
会。
——離れ。
弦音がひとつ。主は、麦の海に沈んだ。
残心の姿勢のまま、私は聞いた。父さんの、盛大に洟をすする音を。世界から音が引いても、あれだけは引かなかった。どういう音量なの。
*
その夜のミルテ村は、猪鍋と祝い酒で大騒ぎだった。
「よし! この戦術に名前をつけるぞ!」と、父さんが宣言した。嫌な予感がした。
「『バッシュ・カグラ・リノ砲』だ!!」
「センスが壊滅的ね」
「なにぃ!? じゃあカグラはなんだって言うんだ」
「そうね。『親子丼』。……あら、これも料理ね」
「うちの家族を丼にするな」
議論は猪鍋が煮詰まるまで続き、結局、私が箸を置いて言った一言に落ち着いた。
「——『止める、崩す、射る』。やることの順番が、いちばん強い名前だと思う」
止める。崩す。射る。
熊が止め、花が崩し、矢が終わらせる。この夜、金色の麦畑の村で生まれたうちの「型」が、いずれ王都まで轟くことになるのだけど——それはまだ、ずっと先の話。
(第四話・了)
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