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渇望の魔(後編)

教会堂の扉を、父さんが静かに押し開けた。


蝋燭の海だった。


祭壇までの床いっぱいに、何百本もの蝋燭が灯り、その間に、町の人たちが二十人あまり、座らされていた。逃げる者はいない。皆、疲れ切った顔で、ただ祭壇を見ている。


祭壇の上に、ラウル司祭がいた。


痩せた初老の男。その胸元に、見慣れた黒。司祭は両手を広げて、うっとりと説教を続けていた。


「——集いなさい。捧げなさい。ああ、いいのです、いいのです。四十年、この町は神に忘れられていた。中央に、世界に、忘れられていた。ですが、もう大丈夫。《《わたしが、覚えていてもらえる町にします》》。捧げれば捧げるほど、この町は、豊かに——」


「なるほどな」


父さんの声が、蝋燭の海に響いた。


「あんたの願いは『町を救いたい』か。……で、あの石に呑まれて、『町から吸い上げる』に裏返った、と」


作戦は、入る前に決めてあった。人質——もう人質と呼ぶしかない——の間では、父さんの盾も母さんの拳も振るえない。だから。


「ノエル」


「はいっ」


ノエルが、蝋燭の海の中央へ、まっすぐ歩いた。丸腰で。司祭が、初めてこちらを認識した。


「おお……おお! その光……! なんと、なんという上物……! 捧げなさい! その光を、この町に——」


「お断りします」


ノエルは、座り込んだ人々の真ん中で、両手を組んだ。


「でも、祈りなら、差し上げます。——《《あなたの四十年に》》」


光が、溢れた。


攻撃でも治癒でもない、ただの祈りの光が、堂内を満たした。蝋燭の炎が揺れて、人々がざわめいて、そして司祭の胸の石が——じゅ、と焼けた音を立てた。


「ぎ、ィ……!?」


司祭がよろめく。石の輝きが乱れる。囁きの糸が、一瞬、切れる。


その一瞬に、人々の間を、母さんが風のように抜けた。「あら、ごめんなさいね」と言いながら二十人を順に祭壇から引き剥がし、父さんが出口へ流す。そして祭壇の上、光に灼かれてのけぞった司祭の胸元——石が、浮いた。


深く埋まる前の石は、剥がせる。それは、ガロで学んだ。


——世界から、音が引いていく。


蝋燭の炎。人々のざわめき。司祭の悲鳴。ぜんぶ潮のように引いて、あとには弓と、矢と、光に炙られて浮いた、一点の黒。


会。


『欲を手放した射だけが、まっすぐ飛ぶ』


——離れ。


弦音。石が、司祭の胸から弾け飛んだ。


使った矢は、一本。ノエルの光が即座に司祭を包み——今度は、間に合った。三ヶ月の石は、半年の石より、根が浅かった。


床に転がった石は、ノエルの祈りの残光の中で、悲鳴を上げて、白く濁って、死んだ。


「……ぁ……わたし、は……なんという、ことを……」


正気に戻ったラウル司祭は、蝋燭の海の中で、町の人たちに向かって額づいた。町の人たちは、遠巻きに、黙って見ていた。責める者も、赦す者も、まだいなかった。四十年の司祭の泣き声だけが、堂内に響いた。


「……町を、救いたかった。忘れられたくなかった。それだけ、だったのです。それだけだったのに、もっと、《《もっと、欲しかっただけなのだ》》……!」


三度目の、あの言葉だった。


——ただ、今度は。最期の言葉では、なかった。それだけが、救いだった。


*


夜明け前、町外れの丘で、リアムが私たちに追いついた。


「班長には、『侵入者は見なかった』と報告します。石は『自然に死んでいた』と。……その代わり、聞いてください。あなたたちは、知らなきゃいけない」


若い神官は、懐から、書き写しの紙束を出した。禁書の写本の、そのまた写し。夜露に濡れないよう、油紙で三重に包んであった。


「ヴァニタスは、砕かれて封じられています。《《本体は、王都の大聖堂の地下に》》。各地の石は、その欠片です。そして写本には、封印についてこうあります。——『封は、祈りをもって成り、祈りをもって解かれる』」


「祈りをもって……解かれる?」


「《《見返りを求めない祈りの魔力》》。それだけが、封印に干渉できる唯一の鍵です。締めることも——開けることも」


リアムの目が、ノエルを見た。まっすぐに。哀れむように。


「ノエルさん。あなたの光が石を殺すのを、私はさっき、この目で見ました。回収班が百年かけてもできないことです。あなたの力は、たぶん、大陸でただひとつの……」


「……鍵」


ノエルの声は、小さかった。


「教会が私を探してた理由。囲おうとした理由。『財産』の意味。——ぜんぶ、これ、なんですね」


リアムは、答えなかった。答えないことが、答えだった。そして彼は、深く頭を下げて、封鎖線の方へ戻りながら、最後に振り向いて言った。


「中央の『手続きの遅延』——ロシュの石が三ヶ月も放置されたこと。私は、偶然だと思えません。誰かが、石が人に宿る過程を《《観察していた》》ような気がしてならないんです。もしそうなら、その誰かは、必ずあなたの光を取りに来る。だから——」


《《逃げてください。できるだけ、遠くへ。》》


(第三十話・了)

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