綺麗な字
サンクトを離れて、ひと月が経った頃。
それは、豪華な封蝋つきの書状で、カルナのギルド気付で届いた。
差出は、聖堂教会中央評議会。宛名は「ノエル殿」。中身を要約すると、こうだ。
——貴殿の治癒の御業は、慈善大祭において広く証明された。ついては貴殿を《《聖女》》に叙し、大聖堂に迎えたい。返答を待つ。
「じょ、叙任……!? わ、私をですか!?」
「随分と、話が飛んだわね」
母さんの声が、低かった。そう。飛んでいる。二年前は「出奔した見習いの保護」だった。それが今度は、教会最高位の栄誉ときた。追う手が、鞭から飴に変わったのだ。
「断ったら、どうなるんですか」と、私はニナさんに聞いた。
「断れるわよ、書類上はね。強制力はない。でも……」
ニナさんは、書状の末尾を指した。そこには、丁寧な文字でこう添えられていた。
『なお、本件は王国政庁も承知するところである』
「——教会は、王国を巻き込み始めてる。ギルドの規約は、教会からあなたたちを守れる。でも《《王国の政治》》からは、守れない。それだけは、覚えておいて」
*
その夜、ノエルは書状を前に、長いこと黙っていた。
「……綺麗な字」
やがて、ぽつりと言った。
「教会の偉い人の字って、みんな綺麗なんです。孤児院に来る書類も、ぜんぶ綺麗な字でした。私たちの引き取り先を決める書類も、寄付金の配分も、誰が『財産』かも。……ぜんぶ、こういう、綺麗な字で」
ノエルは、書状を、ぱたんと閉じた。
「お断りします。聖女様には、なりません」
顔を上げた目に、迷いはなかった。
「私、気づいたんです。祭りのとき。天幕で、目の前の人を治してるときの私と、塔の中で祈るだけの私と——神様がもしいるなら、どっちを喜ぶかなって。……窓のない場所の聖女より、街道のヒーラーの方が、ぜったい、たくさん治せます」
「よく言った!!」
父さんが、膝を打った。
「なら、話は簡単だ! 断りの返事を書いて、あとは今まで通り——」
「でも」と、ノエルの声が、小さくなった。「断ったら、きっと、皆さんに迷惑が。王国が出てくるなら、依頼とか、宿とか、その……」
私たちは、もう知っていた。ここひと月、じわじわと始まっていたことを。指名依頼が、理由もなく取り消される。定宿が「あいにく満室で」と言う。教会系の治療院が、ノエルの薬草の買い付けを断る。
——兵糧攻め。誰の署名もない、綺麗な字の圧力。
「ふん」
父さんは、腕を組んで、鼻を鳴らした。
「迷惑? 馬鹿を言え。旅の空で飯を食うのは、うちの十八番だ。宿が駄目なら野営がある。依頼が減るなら狩りがある。灰熊亭は、どこでだって開店するんだよ」
「バッシュさん……」
「それにな、ノエル。これは《《逃げ》》じゃないぞ」
父さんは、にっと笑った。
「——《《旅程を、早めるだけだ》》。もともと、世界中回る予定だったろうが。なあ?」
ノエルが、私を見た。私は頷いて、矢筒の内側の、お守りを指で叩いた。
「リストの上から順に、行こうか。海、だっけ」
「〜〜〜っ、はいっ!」
かくして、「熊と花と矢と光」は、断りの返事を一通残して、カルナを発った。誰も「逃げる」とは言わなかった。旅程を早めただけ。……そういうことに、しておいた。
書状の返事の末尾に、ノエルは綺麗とは言えない、でも力強い字で、こう書いた。
『私の居場所は、決まっております』
(第二十七話・了)
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