堕ちた騎士(後編)
戦いは、問答無用で始まった。
老骨のはずの踏み込みが、地を割った。父さんの大盾が受けて、鐘の音——が、鳴り止まない。二撃、三撃、四撃。オルドの剣は、王国流の正しい型のまま、人間の連射速度を超えていた。
「ぬ、う……! 型が、崩れんぞこの爺さん……!」
そこが、ガロと違った。
ガロは石に振り回される獣だった。オルドは違う。五十年の修練が、石の力で回っている。正しく、強く、疲れを知らず。最悪の組み合わせだった。
「母さん! 弟子の人たちを!」
「任せて」
母さんが館の中庭へ走る。ノエルが続く。閉じ込められた「弟子」たちは、生きていた——痩せて、目が虚ろで、けれど生きていた。ノエルの光が、次々と彼らを包んでいく。
そして私は、稜線ならぬ館の屋根に上がって、弓を引いた。
狙いは、決まっている。胸元の石。ガロのときと、同じ的。
——世界から、音が引いていく。
会。
——離れ。
弦音。矢は、まっすぐ飛んで、胸元の黒い石の、真ん中に立った。
《《立った、だけだった》》。
「……嘘でしょ」
石は、割れも、剥がれもしなかった。矢を生やしたまま、オルドは私を見上げて、聖人の微笑みのままで言った。
「良い腕だ。……だが、遅い。これはもう、《《わしの骨と同じ》》よ」
半年のガロと、春からのオルド。同じはずの時間で、埋まり方が違う。……そうか。自分から望んで受け入れた石は、深く根を張るのか。
剥がせない。剥がせば、たぶん、骨ごと砕ける。
——《《殺さずに止める手》》が、消えた。
*
戦況を変えたのは、ノエルだった。
弟子たちを癒し終えた彼女が、中庭から、まっすぐ戦いの間合いへ歩いてきたのだ。杖も構えず、両手を開いて。
「ノエル!? 下がって——」
「オルド様!!」
戦場に、場違いなほどまっすぐな声が通った。
「弟子の皆さん、全員、無事です! 傷も、治しました! ——《《あなたが十年守った村は、今日も誰も死んでいません!》》」
オルドの剣が、止まった。
「あなたはもう、守ってます! 十年、ずっと、守り切ってます! 足りないなんて、誰も言ってません! 言っているのは——《《その石だけです!!》》」
ノエルの両手から、光が溢れた。攻撃じゃない。治癒ですらない。ただの、祈りの光。それがオルドの体を、ふわりと包んだ。
——じゅ、と。
胸元の石が、焼けた音を立てた。
オルドの動きが、初めて乱れた。剣を取り落とし、膝をつき、両手で頭を抱える。石が軋む。黒い光沢の端が、白く、濁り始める。
「や、やめ……ろ……わしは、まだ、足りて……」
「足りてます!!」
「まだ、守り切れて……」
「《《守り切ってるって言ってるでしょう!!》》」
老騎士の顔が、上がった。
濁った目が、一瞬だけ、晴れていた。彼は自分の胸の石を見下ろし、私の矢が生やしたそれを見て——笑った。今度のは、聖人の顔じゃなかった。ただの、疲れた爺さんの顔だった。
「……ああ。……なんだ。そう、だったか」
オルドは、自分の胸に、両手をかけた。
「だめ!! それは——」
「良いのだ、嬢ちゃんら」
めり、と嫌な音がした。
「これはわしが、《《自分で拾った》》。……なら、自分で、捨てねばなあ」
骨の砕ける音と一緒に、黒く濁った石が、地面に転がった。オルドは、崩れるように仰向けに倒れて、灰色の空を見た。私たちが駆け寄ると、老騎士は掠れた声で、ぽつぽつと話した。二十年前、騎士団で、守り損なった隊商の話。逃げ遅れた子供の、手の温度の話。
「守りたかった……だけ、なんだがなあ。それが、いつから、こんな……」
最期の言葉は、聞かなくても分かった。
「——《《もっと、欲しかった、だけだ》》」
村の人たちは、オルドを丘の上に葬った。墓標には、村長の字でこう刻まれた。「十年、村を守りし騎士、ここに眠る」。石のことは、誰も、刻まなかった。
*
教会の回収班が来て、いつもの質問をして、いつもの帳面を付けた。
声を聞いたか。父さん、母さん、ノエル、はい。私——
「聞こえませんでした」
三件目の記録。神官はもう、聞き返さなかった。ただ、私の名前を書く手が、少しだけ震えていた。それが何を意味するのか、このときの私は、深く考えなかった。
帰り道の野営で、父さんはいつもより長く、鍋を掻き回していた。
「……ゴードンの兄貴もよ。ああやって、最後の最後、ちょっとだけ戻ったんだ。俺とカグラの顔を見て、『すまん』って笑って……それから、また石に呑まれた。今日の爺さんは、戻ったまま、逝けた」
父さんは、洟をすすった。
「あれはよ、リノ、ノエル。……《《救いなのか?》》 俺には、まだ分からん」
誰も答えられない問いを、焚き火が、ぱちぱちと聞いていた。
ノエルが、そっと言った。
「……分かりませんけど。最後に呼び戻せるものが、あの人の中に残ってたのは、確かです。十年ぶんの、守った日々が」
「……そうか。そうだな」
「はい。だから——」
ノエルは、膝の上で、拳を握った。
「私、もっと知りたいです。あの石のこと。囁きのこと。……治せない穴のこと。知らないままじゃ、また、間に合わない」
その願いが、どんな扉を開けることになるのか。
——このときは、まだ、誰も知らなかった。
(第二十一話・了)
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