堕ちた騎士(前編)
その依頼は、ギルドを通さずに来た。
湯治場から南へ五日、国境沿いの寒村メルデ。村長だという老人が、宿までうちを訪ねてきて、土間に手をついた。
「「熊と花と矢と光」の皆さまとお見受けします。……折り入って、内密の願いがございます」
内密、と言った時点で、嫌な予感はしていた。
「村を、お救いください。——《《村の守り神から》》」
*
メルデ村は、魔物の多い国境の森に接した、崖っぷちの村だった。
そこに十年前、一人の騎士が流れ着いた。名はオルド。元は王国の辺境騎士団にいた男で、退役後、縁もゆかりもないこの村に住み着き、以来十年、たった一人で森の魔物から村を守り続けてきたという。
「恩人なのです。オルド様がいなければ、この村は五回は滅んでおります。子供らはあの方を『おじいさま』と呼び、誰もが慕っておりました。……この春までは」
この春。
赤犬のガロと、同じ季節だった。
「森の奥に『いいものを見つけた』と仰って……それからです。オルド様は、変わられました」
強くなった、と村長は言った。以前は苦戦していた大物の魔物を、一人で、素手で裂くようになった。村の被害はゼロになった。
そして、オルドは「捧げ」を求めるようになった。
最初は酒だった。次は家畜。それから、村の若い衆を「弟子」として森の館に住まわせるようになり——先月から、その弟子たちが、誰一人、村に降りてこなくなった。
「様子を見に行った者は、門前で追い返されます。オルド様は仰るのです。『村を守るには、まだ足りない』と。『もっと強くならねば、いずれ守り切れない』と……」
隣で、父さんが目を閉じた。
その盾では、いつか守り切れん——四年前、坑道の闇が父さんに囁いた言葉と、同じ形をしていた。
*
森の館へ向かう道すがら、家族会議は静かだった。
「……なあ、カグラ。ゴードンのときと、同じ流れだ」
「ええ」
ゴードン。初めて聞く名前だった。母さんが、私とノエルに、短く説明してくれた。
「お父さんの兄弟子よ。大盾の使い手で、王国でも五本の指の守り手だった。……昔、大規模な護衛依頼でね、隊列が割れて、守り切れなかった人たちがいたの。あの人はそれをずっと、自分の盾のせいにしてた」
「その人が、石を?」
「ええ。……半年後に討伐されたわ。最後は、守るはずだった街の門を、内側から壊してた。『もっと大きな盾がいる、この門では守れない』と言いながら」
母さんは前を見たまま、いつもの声で続けた。
「討伐したのは、私とお父さんよ」
言葉が、出なかった。ノエルが、口を両手で覆った。
「あの石はね、リノ。欲深い人を狙うんじゃないの。——《《優しい人の、いちばん綺麗な願いを狙うの》》。守りたい、救いたい、報いたい。そういう、誰にも責められない願いに、あれは寄生する」
だから、と母さんは言った。
「オルドという騎士も、きっと、いい人よ。いい人のまま、壊れてる。……覚悟して行きなさい」
*
館は、森の中腹にあった。
古い狩猟館を修繕したもので、門の前に、鎧姿の老人が立っていた。白髪、深い皺、そして——鎧の隙間から覗く胸元に、黒い光沢。
石が、もう、埋まっている。
「客か」
老騎士オルドの声は、穏やかだった。
「見ての通り、ここは修練の場。村の若い衆を鍛えておる。……ああ、心配めさるな。皆、達者だ。強うなった。わしが強うしてやった」
「弟子の皆さんに、会わせていただいても?」
「《《ならん》》」
声が、変わった。地の底の温度だった。
「まだ足りん。まだ弱い。あの程度では、村は守れん。守れんのだ。わしはもう二度と、守り損なわん……もっとだ。もっと鍛え、もっと強くせねば……」
オルドの目は、私たちを見ていなかった。もっと遠くの、たぶん十年よりもっと前の、守り損なった何かを見ていた。
そのとき。
隣のノエルが、小さく、息を呑んだ。
顔から血の気が引いて、翡翠の目が、館の門を——門の向こうの中庭を、見つめていた。
「ノエル?」
「……声が」
ノエルの声は、震えていた。それでも彼女は、約束通り、その場で言った。
「聞こえます。石の声。……あの石、言ってます。《《『この者たちも、鍛えてやれ』》》って」
オルドの手が、ゆっくりと、剣の柄にかかった。
「——おお。おお、そうか。そうだな」
老騎士は、聖人みたいな顔で、微笑んだ。
「客人。よくぞ来られた。……《《お前たちも、強くしてやろう》》」
(第二十話・了)
ここまで読んでくださりありがとうございます!
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援してもらえると嬉しいです!
毎日二話更新の集中連載!




