90話「旅人の日記②」
──ここへ来るまでに多くの屍が転がっていたが、きっとこの迷路のような岩石群に入り、最奥部まで辿り着けずに、そして出口にも戻れなかった迷子の成れの果てなのだろう。二流三流が過ぎた力を求めるからこうなるのだ。しかし、私は違う──。
『地面の模様、不自然なまでに整えられたこの空間。さて、じっくりと秘密を解き明かし、精霊の力を手に入れてやろう』
文の随所に傲慢、驕慢な部分が散見している不埒な旅人・ダーハートの日記を、マジュは淡々と読み上げていく。自信たっぷりで嫌味な男──口にはせずとも、マジュの表情にはしっかりと嫌悪感が出ていた。
「内容から察するに、ここに何か秘密があって、それをどうにかしなきゃいけないわけね」
周囲を見回しながら小難しい顔をしてエーダはつぶやく。フアムの次を急かす声に、マジュは真剣な表情で岩壁の文を読み込んでいく。
不意に、マジュは眉間にシワを寄せて目を閉じた。心配そうに駆け寄ったユーシャを制し、声を上げる彼女は、いつの間にか呆れた顔に変わっていた。
『○月✕日、今日はいい天気だから日光浴をするとしよう』
「早く解き明かせや! 何しに来たんだこいつは‼」
「ここから一週間日光浴しか書かれてないわ」
「バカンスじゃねえんだよ‼」
バカンスにしても、一週間まるまる日の光を浴びるだけの生活を送る者もそうそういないだろう。しかし、この旅人は一日中ぐうたらしていたわけではないようだった。同じスタンプを押し続けるように綴られていた日光浴の文字がある日途切れた。そして、熟考して出したであろう結論が、荒々しく彫られていた。
『どれだけ考えてもさっっっっっぱりわからない! 精霊のバカ!』
「うまくいかなくて拗ねた子どもか!」
「多分考えては日光浴をして考えてはまた日光浴をしてって感じに過ごしてたんじゃない? 何かプライド高そうだから解明できないって部分は最初は書き残さなかっただけで」
フアムが冷静に指摘する。行間を読むに、確かにそうなのだろうと納得できるような的を射た意見だった。
「くっそー、何のヒントもなしか。自分達で何とかするしかないなあ」
「あっ、待ってユーシャ。続き読んでもいい?」
「え? 別にいいけど、何か重要そうな事書かれてるのか?」
マジュの表情が先程までとは違っていた。事務的になっていた彼女の表情は、興味をそそられたように少しばかり明るくなっていた。
『○月✕日、雨。なんだかじとじとしてる。私は好きじゃない』
「子供の日記か。しかもとりあえず空白を埋めてみましたみたいな。やっつけ仕事感ありありじゃねえか」
「マジュちゃん。この文をわざわざ読み上げたかったの?」
エーダの率直な疑問に、マジュは首を横に振り、この先の日記について言及した。
「このあたりから印象が変わってきてるのよ。この人の雰囲気って言うのかな。もっと追っていくと何かあるかもしれない」
最初から旅人の日記を目にしているマジュは、機微に敏く男の変化に気付く。何日もの苦悩を経て、何かを掴んだか、人が変わったかのような日記の内容を、こちらも人が変わったかのように生き生きとしてマジュは読み上げた。
『精霊の力を求めてここへ辿り着き、何日が過ぎただろうか。人生とはわからないもので、まさかお祈りが習慣になるとは思いもしなかった。だが、それも悪くない』
「──あぁ、本当だ。どうした、頭でも打ったのか?」
「もうっ! 失礼よユーシャっ! ほら、多分アレよ。気持ちよくなった後の『賢者タイム』っていう──」
「そんな発想するやつに俺は失礼って言われたの⁉」
「続きはなんて書いてあるの?」
やはりフアムに急かされ、マジュは続きを読み上げていく。ユーシャとエーダが口を挟めば、話は延々と脱線するかもしれない。私が何とかしないと──フアムは謎の責務に駆られた。
『この地をさまよい、朽ち果てた彼らは成仏できているだろうか。この岩石群を何度も回り、骸に形を変えた彼らを前に祈りを捧げる。何気なく取った行動が、ここの所、それが当たり前にまでなってきた』
どんな心境の変化があったかはわからない。精霊に関しての進捗は一つとして残らなくなった代わりに、ダーハートの日記には、来る日も来る日もこの岩石群で死んでしまった旅人のために祈る彼の所作ばかりがつづられているようになっていた。そこには驕慢さなど、欠片ほども見当たらない。
興味津々に話を聞くユーシャ達。すると、突如マジュが大きくうなだれた。まさか──透き通るように清らかなユーシャ達の表情が、一転して訝しいものになっていく。
「あー、やっぱやめておけばよかった……」
……。どうやら、一行の予想通りの事が書かれていたようだ。
──彼女は──。
『彼女はもう奴に抱かれてしまったのだろうか。ベッドの上で彼女はどんな表情をするのだろうか。奴はあのでかいおっぱいを揉みしだいたのだろうか。あの、歩くどころか呼吸するたびに揺れる、形は丸いが先はとんがり、男を惑わす豊満なおっぱ──』
「品性下劣極まってんな」
あれほど驕慢で煩悩まみれだった男の心の内が、たかが数日で大きく変わる事はなかった。ただ、違う一面が垣間見えただけだったのだ。




