85話「マジュ・ウィズアルド」
フアムの不意の質問に固まったマジュは、取り繕うように慌てて喋り出した。
「ななな、何言ってんのよマジュってばもうっ!」
「マジュはお前だ。お前が何言ってんだ落ち着け」
「魔王復活って聞いたらまずはそいつを殴りたくなるのが人情でしょ⁉」
「そんな人情聞いた事ねえよ。戦闘狂か」
「ユ、ユーシャ! 早く旅に出ようよ! 魔物の根絶やしに、思う存分に蹂躙の旅に!」
「魔王討伐が目的ではあるけどそんな暴虐的な思想はないわ。戦闘狂の極致か」
何とかして話をはぐらかそうとしているのが一目瞭然であった。
マジュはそそくさと港町を出ようとする。メイドと一緒にいるのがイヤだった──? 彼女はフアムの質問に答えなかった。エーダには、それが無言の肯定に映ったようだ。
「ね、ねえユーシャ。マジュちゃんもしかして本当に……?」
「うーん……。別にメイド達を嫌ってるようには見えなかったけど、どうなんだろうな……?」
令嬢とメイドのやり取りから仲違いしている様子は感じないとユーシャは言う。だが、事実マジュはメイドを自身から遠ざけようとしていた。フアムの疑問は的を射ていたのである。しかしその一方で、ユーシャの見解も実は間違えてはいなかった。規律正しく真面目に働くメイド達を、小さな頃からずっと見ていた令嬢は心から尊敬しているのだ。ならば何故、そんな彼女達から離れようとしているのか。それは、マジュの生活の嗜好と、メイドが希求するマジュの姿に相違がある事に起因していた。
話は、ピーチクパーチクやかましい鳥型の魔物の襲来によって屋敷が全焼してしまったあの日、領主が新たに暮らす屋敷の建築を依頼すべく、マジュとメイド長ゴリエット達メイド三人が噂に聞く腕利きの大工を探す旅に出た時に遡る──。
「ねえ先輩。旅を急いでいる所を恐縮なのだけれど、今日は心身ともに疲弊する事があったのだからひとまずヌクインの町で体を休めるというのはどうかしら」
マジュとメイド三人が旅立ったその日は、ウィズアルドの令嬢マジュの十六歳の誕生日を記念したパーティーが行われていた。朝からパーティーの準備をし、そして屋敷が燃え上がった際には迅速に適切に対応と、ゴリエット達は一日中あくせくと動いていた。疲労困憊ではあったのだが、メイド一同が花火を企画した事が図らずも今回の事態を招いてしまったと、自責の念に駆られてその日のうちに行動に移していたのだ。それに加えて現在は残り数時間ほどで日にちが変わる夜半であった。
メイドの一人、チョードリーの提案にゴリエットは一瞬顔をしかめたものの、すぐに同意し、頷いた。聡明な彼女も、休む事の重要性を理解していたからである。何より、旅に同行しているマジュもまた、パーティーの主役として一日中気を張っていたのだ。疲れていないはずがない。
「マジュ様、今日の所はヌクインで宿に泊まるという事でよろしいでしょうか……?」
「うん。私も疲れちゃったから大賛成。しっかり体を休めましょう」
メイドに気を遣ったからか、それとも本心か、マジュは率直に疲れたと口にした。
一行はヌクインの町外れにある丘の上に建てられたホテルに赴き、最上階のスイートルームの宿を取った。
「さて、まずはお風呂に入ってリフレッシュといきましょうか!」
マジュ様、お一人でゆっくりお浸かりください──上品に構えられた最上階ワンフロア貸し切りのスイートルーム。辺りを見渡せる景観豊かな露天風呂の一番風呂を当然のように領主の一人娘に勧めた。メイドの言葉に甘えて、マジュは一人浴室に消えてゆく。
マジュが入っている間に、メイド三人はこれからの道程をあらためて話していた。今回の大工探しの旅は限りなく思い付きに近いもので、ニスニアール大陸に腕利きの大工がいるという情報以外にわかっている事がほぼないに等しいのだった。現時点での情報の整理と共有に集中する事数十分、広々とした浴室からマジュが出てきた。
「ふうっ、あー気持ちよかった!」
マジュは気分爽快と声を上げる。そんな令嬢の姿にメイド達は視線を集中させた。三人は風呂から上がってきた彼女に違和感を覚えたのだ。失礼──ゴリエットがマジュに近づいた。そして彼女の頭皮を嗅ぐ。ゴリエットが違和感の正体に気付いた。
「ちょっと! 急に何するのスピードアじゃあるまいし!」
「マジュ様、あなた、お体も頭も洗ってないですね?」
「……え!」
風呂に入るどころか水に濡れるのさえ嫌っていたマジュは図星を突かれて固まった。屋敷にいる時に常習していた『風呂に入ったふり』は、屋敷が炎上した際のすすけた臭い、道すがらで砂埃の中に身を置いた事など、いつもと違うシチュエーションによって誤魔化しが利かなくなっていたのだった。
「ななな何言ってんのマジュってば」
「落ち着いてください。マジュ様はあなたです」
「よく見てよ! 洗ったからこそ髪だって濡れているでしょ?」
ゴリエットはマジュの髪を探るように撫でる。
「水に濡らした手で髪をわしゃわしゃした……そんな所でしょうか」
何もかも見抜かれていた。しかしマジュも必死で反論する。
「か、髪は……まあそうかもしれないけど、体はちゃんと洗いました!」
「ちゃんと熱いお湯で洗い流しましたか?」
「うん! もちろん!」
「それにしては顔色や肌に火照りが見受けられませんが」
「──あっ!」
「……スピードア」
ゴリエットは指を閉じて手のひらを上に向け、手振りでマジュの方へ促した。マジュに近寄ったスピードアは辺りの空気を吸引する。
「三日間くらい風呂に入っていない時のマジュ様のにおいですね。洗っていないです」
「ねえ嗅いだだけでピッタリ当てるのやめてよ気持ち悪いんだけど!」
「いけませんマジュ様! いかなる時も身なりを清潔に心掛けなくては、いつか現れる殿方に嫌われてしまいますよ!」
「いいもん! 私のそんなにおいを好きになってくれる人を待つだけだもん!」
「マジュ様! そんなコアな層に希望を見出してはなりません!」
「私はマジュ様ならどんなにおいも愛せ──」
「スピードア! あなたはちょっと黙っていなさい!」
このままでは埒が明かない──ゴリエットはマジュの身体を清潔にするため、強硬手段に出る事にした。いつの間にかマジュの視界から外れていたチョードリーがゴリエットの意を汲み取り、先回りしてマジュをそっと抱きしめて捕える。
「さあ、マジュ様もう一度浴室へ! 私が洗って差し上げます」
「わ、わ、わかった! ちゃんと洗うわよ! 自分でやるから一人で──」
「ご安心ください! 絶対に絶対に絶対に優しく、優しくしますから!」
「そこまで強調されたら逆に怖いわ!」
「大丈夫です! うっかり骨を砕いてしまうなんて事のないように──」
「あんた悲しき怪物なの⁉」
その後、足先から頭まで洗われ、湯船からすぐに出ようとすると『せめて一分は浸かって!』と怒られ、風呂嫌いなマジュ本人からすれば散々だった。
このまま旅を続ければ徹底的に風呂の世話をされるという傍から見れば贅沢な奉仕に地獄を見る思いの彼女は、思いがけずメイド達とはぐれ、そのさなかに偶然出会った魔王討伐の旅に出ているパーティーに光明を見出した。何の成果も出さずに引き返しましょうでは誰も納得しない──そんな中で得た絶好の口実。
マジュ・ウィズアルド──光速の拳を持つ彼女は、風呂の回避と魔王討伐の旅を天秤に掛け、魔王をぶん殴るという選択をした末恐ろしい女だった。




