80話「令嬢の足跡」
「あの日、魔物に襲われた時に私だけが先に港町に向かったでしょ?」
「えぇ、しかし私達がホクシーに到着した時にマジュ様はいなかった」
一体何があったのですか──? スピードアの問いに、ウィズアルドの令嬢マジュは遠い空を眺めながら答えた。
「枝道に脇目を振らずに海が見えたら港町はすぐそこに──ゴリエットに言われた通りに行こうとしたわ。でも──」
マジュは顔を少しばかり俯かせている。ほぼほぼ一本道のさなかに何か障害でもあったのだろうか。ユーシャ一行とスピードアは余計な口を挟まず、どこかためらっているような令嬢の口が開くのを待った。あの時に──。
「船の汽笛が聞こえたの」
「……?……はあ」
聞いていた一同の頭上には大きな疑問符がつく。マジュは至って真剣に話を続けた。
「船の汽笛を聞いて……あ、こっちかなあって道を曲がっていったら……迷ったわ」
……。
「もうっ! あれほど先輩が口を酸っぱくして言う通りに道を進んでくださいって言ったのに! どうしてあなたはそう──」
「だってしょうがないじゃない! 汽笛ってだいたい港に着く時に鳴るでしょ⁉ じゃあ音の鳴る方に行けば辿り着く理屈じゃない!」
「音に頼るよりも海岸線に出て港町を視認した方がよほど正確じゃない! それに迷ったならどうして引き返さなかったの⁉」
「私は引かないわ!」
「どうでもいい意地を張らないで!」
マジュの愚行にスピードアは思わず敬語を忘れていた。
あぁ、この子アホの子なのか──ユーシャ一行は二人の一歩も引かない会話に、心の中で一線を引いた。
「でも、その後ちゃんと港町に着いたのよ! それなのに町中探したけどあなた達はいなかった!」
「え⁉ では、何故……あ、まさか──!」
港町ホクシーでマジュを見つけられなかったメイド達には、商人の証言を聞き、早合点してニスニアール大陸行きの船に乗り込んでしまった経緯があった。
それで後からやってきたマジュとすれ違いになったのかもしれない──スピードアは絶句した。フアムが疑問を口にする。
「ねえユーシャ、マジュはそもそもホクシーに辿り着いてなかったんじゃなかったっけ?」
「え? そうなの?」
「……エーダ」
「うん……確かそうだったと思うけど……」
ユーシャに聞いたのが間違いだった──フアムは切り替えてエーダに同意を求めた。スピードアもその事は知っているはずだが、おっちょこちょいな令嬢を前に忘れているようであった。
「私はあなた達が魔物なんかにやられるわけはないと思ってずっと待っていたの。でもいつまでもやって来ない。手持無沙汰になった私はお店を見て回る事にしたわ。その時だった──」
短絡的だった行動を後ろ暗く感じていたスピードアは、令嬢の話に口を挟まず固唾を呑んで聞いていた。港町にある店で彼女は──。
「きれいなブレスレットを見つけたからつい買っちゃった!」
マジュは嬉しそうに右手に着けていたブレスレットを見せつけたのだった。
「……いや、何の話⁉」
ユーシャは思わずツッコんだ。おしゃべりな令嬢の話はなおも続く。
「それでさあ! ゴリエット達が来た時にすぐ船に乗れるようにチケットを買おうと思ったのよねー! そしたらさあ『ここからはニスニアール大陸には行かないよ』って言われちゃったのよー!」
話していくうちにテンションが上がっていったマジュとは対照的に表情が暗くなっていくスピードア。どうやら話の先が見えてきたらしい。
「マジュ様……まさかとは思いますけど──」
「そう! そのまさかよ! 私が辿り着いたのは西側のホクシーじゃなくて東側の港町だったっていうね!」
……。東西に長く延びるマッカチョッカ大陸には二つの港町がある。一つはマジュとメイド達が合流地とした西側の港町ホクシー。そしてもう一つはマジュが誤って辿り着いた東側の港町・トーハッシである。東側のトーハッシは当然西側のホクシーから近い距離にはない。あさっての方向に進んでいたマジュにスピードアは呆れていた。
「トーハッシなんて私達が魔物の襲撃を受けた場所からヌクインまでのそのさらに倍近い距離があるのよ⁉ 全然すぐの距離じゃないわ! マジュ様! ゴリエット先輩はホクシーは『ここからすぐの距離』って言いました! 途中でおかしいとは思わなかったの⁉」
「い、いやー、全然疲れる距離じゃなかったから……じゃあすぐと言えばすぐかなあって」
「もうっ! この体力バカ!」
「ちょ、ちょっと! 女の子に向かって体力が有り余ってるような言い方しないでよ!」
「バカはスルーかい」
……。言葉というのはなかなかどうして難しい。仕えるメイドどころか、雇い主のウィズアルド家自体がフィジカルに特化していそうな気配を節々に感じさせた。
「とりあえずそこで間違いに気付いて引き返して今に至るってわけなんだね」
しっちゃかめっちゃかな話をまとめたフアムだったが、マジュは首を横に振った。そう、そこで間違いに気付いて再びホクシーを目指していたとすれば、もっと早く町に着いていたはずである。
「そこからも紆余曲折あったのよー! 海岸線に沿って行けばすぐに着くと思ってたんだけどね、この大陸って複雑な地形をしているじゃない?」
「あぁなるほど。それで迷っちゃったわけか」
「いや、海岸線を逆方向に進んでた」
「複雑な地形のくだり関係ねえだろ!」
この人、方向音痴なの──幼い頃から彼女の事を知っているスピードアは深いため息を吐きながらそう言った。
その後、海岸線を逆に進んだ事を複雑な地形のせいにしたマジュは、行き当たりばったりに進んで何とか温泉の町ヌクインに辿り着いたというのが今朝の話であった。
「いやー、いっぱい動いた後のご飯っておいしいのね!」
「……いや、何の話⁉」
「マジュちゃん、一人で不安じゃなかった?」
「うふふ! うちってパパとママが旅行好きなんだけど、旅行の度に私はぐれてたからこんなの日常茶飯事よ!」
「そして私達メイドがマジュ様を探し回るのも日常茶飯事だったわ」
「よくそんな人に一人で先に行かせたよね」
フアムに痛い所を突かれたスピードアはしゅんとしてしまった。言われてみればひっ迫した状況だったとはいえその通りである。屋敷が炎上した時に冷静に迅速に対応したゴリエットでさえ難しかったのだろうか。後輩のスピードアは先輩をかばうように吐き捨てた。
「結局、魔物が全部悪いんだと思うわ」
……。ウィズアルド家の人間にとっては、責任を他に押し付けるのも日常茶飯事なのだろう──。




