78話「ケリ」
エーダとフアム、目を閉じた二人の耳につんざくような叫び声が聞こえた。それは、甲高く醜い声だった。
「ブヘアアアー!」
煌々と太陽が照る日の下、何とも情けない声を上げたのは、様々な手前勝手の恨みを晴らすべくマジュに突撃したガラの悪い鳥型の魔物ノットシンシーであった。
一切たじろぐ様子のないマジュを目掛けて翼を閉じて滑空し、自前の鋭い嘴がマジュの顔面を捉えようとしたその時であった。キラリと光ったマジュの右手が、固く握られたその拳が、ノットシンシーの嘴がマジュを貫くより先に魔物の左頬を捉えたのだ。
「ぶへあああー!」
魔法使いの血を引くウィズアルドの令嬢・マジュが繰り出した目にも留まらぬ高速の右フックを喰らった魔物は、勢いよく吹っ飛んでマジュを助けようと飛び込んだユーシャの顔面に激突した。予想外の衝突に、少年は何とも情けない声を上げたのだった。
聞こえた叫び声は消え、訪れた静寂の中でエーダとフアムの二人はゆっくりと目を開いた。二人の瞳には凛然と佇む令嬢の姿が映る。
「あらっ⁉ お嬢様無事だわっ! よかった……っ!」
エーダはまずは令嬢の無事を喜ぶ。そして、令嬢の奥で呆然と立ち尽くすメイド・スピードアを見て、そういえばと、先程耳に入った醜い叫び声を思い出した。
「え、と……さっきの変な叫び声って何だったのかしら」
そんな事を口にして、ふと視線を落とすと、そこにはマジュを攻撃したはずの魔物ノットシンシーが横たわっていた。
もしかしてスピードアが──? 消去法でそう思ったエーダだったが、しかし当の彼女もどこか困惑しているように見える。では、魔物の攻撃を食い止めたのはユーシャなのだろうか。エーダは少年の姿を探した。
「ユーシャはあそこだよ」
エーダより先にユーシャの姿を見つけていたフアムが彼の方へ指差す。エーダは目を細め、信じられないものを見るような目で少年を見た。
「え……? あ、あの……どういう事?」
……。ユーシャも魔物同様に、いや、魔物以上に情けなく倒れていた。両腕は万歳、両足はがに股に開いて地面に突っ伏していたのだった。一体目を瞑っている間に何が起こったのか。何の気なしにいる令嬢。絶句しているメイド。そして地に伏している魔物と少年。事態が飲み込めずに呆然と立ち尽くしていた。
「て、てめえ……やってくれたなコラ……」
棒立ちの彼女達が状況を理解しようと苦心している傍らで、横たわっていた魔物が弱弱しくもおもむろに立ち上がった。そして、やはり弱弱しい声で自分を見下ろしている令嬢に向かって口を開いた。
「てめえコラア! 今何しやがったんだコラア!」
「何って、ただの正当防衛だけど?」
「なんか光ってたぞコラア! 何のマジックだコラア⁉」
ノットシンシーも交錯した一瞬が理解できておらず混乱していた。ガラの悪い魔物の目、その脳裏には限りなく近い距離で捉えた令嬢の顔が残っていた。だが、嘴で貫く感触がないどころか想定外の衝撃で瞬間の記憶がプツリと途切れていたのだ。眼前に無傷の標的。何をされたのかわからず、痛みだけが残り混乱に拍車が掛かる。
「てめえコラお前コラ上等だコラやってやるよぞコラ」
だがしかし魔物は深くは考えなかった。やるよぞなどと少し噛んだ事も気に留めなかった。何が起きていたとしても反撃を喰らった事に変わりはない。傍観していたエーダ達がマジュのアクションによって魔物が──ついでにユーシャも──倒れていたのだと理解した頃には、ノットシンシーは攻撃態勢に入っていた。
再度飛び上がろうと翼を広げる。口からでまかせレベルの中身のない啖呵を切ろうとしたその時である。魔物は対峙しているマジュの視線が動き、自身の奥に焦点を合わせた事に気付く。何を見ている──? 疑問が脳裏を掠めた魔物に、後ろを振り返る猶予などはなかった。
「痛いんだよコラア!」
ユーシャの攻撃が魔物を捉えた。目玉が飛び出るような勢いで目をかっぴらいた魔物の体がくの字に折れる。マジュのカウンターを喰らい、吹き飛んだ勢いで魔物に衝突されたユーシャの怒りがこもった渾身の蹴りが炸裂したのだった。
「グアアアアアー!」
強烈な一撃を喰らった魔物は甲高い断末魔を上げて彼方まで吹っ飛んだ。そして消え入るような『てめえコラア!』という捨て台詞が耳に届いた頃には魔物の姿は見えなくなっていた。
その場にいた皆が魔物が吹っ飛ばされた先を呆然と見つめる。仲間のエーダとフアムはその飛距離に感心し、マジュとスピードアは、少年が繰り出した攻撃の威力を目の当たりにして呆気に取られていた。
「す、素晴らしいわユーシャ……」
すぐに我に返ったメイドは、見立て以上だった少年の実力を称えた。助けられた形となったマジュは、ただ、眼前の見知らぬ少年を見つめている。
ウィズアルド家の令嬢が十六歳の誕生日を迎えた日に生まれた屋敷の者達と魔物との因縁は唐突に終焉を迎えた。あの日に起きた偶発的な事故。自分の行いを棚に上げる当事者達。責任を擦り付け合う精神から発展した争いは、部外者の少年が文字通りケリをつけたのであった。




