111話「トラウマ⑤」
「ちょっとー! 迎えようって言ってんのに何でこっちに逃げてくんのよー!」
「そうだ思い出した! フアムの頭蓋骨オリハルコンで出来てんだった!」
「ええええ⁉ ちょっと待ってあの子どうなってんの人間じゃないの⁉」
勿論フアムは人間である。頭蓋骨も幻の金属オリハルコンで形成されているわけではない。ただ、鋼鉄の鎧を使用不能なほどにへこませるくらいには硬いというだけである。
それよりも、何故ユーシャの心もとない頭がしっかり仕事を果たしているのか。おそらく自分に照準を定めて追尾してくる核弾頭と化した少女に身の危険を感じ、脳が死を早合点して記憶が走馬灯のように駆け巡っているのではないだろうか。
十六年の人生で最も脳が活動しているユーシャの頭上を何かが駆けていった。空を駆けた物体は地面に着地し、数メートルほど摩擦音を立てて、その動きを止めて立ちはだかった。
その正体は無論フアムである。なんと、決して逃がすまいと驚異的な身体能力を発揮した少女にまわりこまれてしまったのだ。
「一人はやだああああ!」
「うわあああああ!」
ユーシャは急ブレーキを掛け、反転して再び逃げ出した。
「ちょっ、ちょっと待ってユーシャ!」
マジュもユーシャに続いて走り出した。先程は恐ろしい形相をしたユーシャとフアムに迫られ、おっかなびっくりでつい逃げ出した彼女だが、立ちはだかるフアムに動きを止められ、不意に冷静さを取り戻した。マジュはフアムに追われるではなく、今度は必死で逃げるユーシャを追いかけた。とんでもないスピードで遠くなっていく少年の背に必死で叫んだ。
「ねえええ! 今止まった隙に捕まえちゃえばよかったじゃない!」
「あっ! 言われてみれば! しまったあー!」
記憶はフル回転しても、逆に判断力はおぼつかなくなってしまったユーシャだった。
静寂を欲しいままにした夜の森を、走る。どこまでも、途方もなく走る。
何故こんなにも必死で仲間から逃げているのかよくわからなくなってきた頃、マジュは疑問に思ったことを口にした。
「ね、ねえ! フアムって全身オリハルコンで出来てるの⁉」
「知らんわ! 他の大冒険的な世界の魔王の手下じゃあるまいし! それがどうかしたのか⁉」
「あの子の頭にぶつかりさえしなければ止められるんじゃないかってこと!」
「あっ! そ、そうか!」
「頭が硬いっていうのは意外だったけど、フアムの体って思わず頬ずりしたくなるくらいふにふにしてしてるでしょ⁉」
「同意しかねるわ! 異性の俺がそんな表現に同意なんかしたら社会から抹殺される‼」
どうやらしっかりと世間の目を俯瞰的に見れる王子に光明が差してきた。オリハルコンを連想させる頭にさえ気をつければ、トラウマが発動して暴走するフアムを止められる。
気付けば森を抜け出し、先程の平原まで戻ってきていた。高速で駆けてくる少女のロケット頭突きを恐れるあまりに始まった逃走劇に終止符を打つべくユーシャが態勢を整える。
「マジュはそのまま走り抜けろ! 俺が何とかフアムを受け止めるから!」
「わかったわ! 出会い頭のチューとかしないでよね!」
「何の心配してんだ!」
フアムの追跡速度を考えると口と口がぶつかればそのままユーシャの頭部が粉砕されて死にかねない。出会い頭のキスはデスに繋がっていた。
ユーシャは少しばかり減速して、眼前を走り抜けていくマジュを見届けた。接地面を摩擦させ、急ブレーキを掛ける。覚悟を決めて反転し、相も変わらず必死の形相で駆けてくるフアムを見据えた。
「フアム! 来い!」
手を広げ、自分を待ち構えるユーシャに向かってフアムは飛び込んだ。自分を受け入れてくれるのだと、地上数メートルの高さに綺麗な放物線を描いて喜びを体現した。
「いちいち飛ぶなー! 受け止めづらいだろうが‼」
言葉とは裏腹に神経を集中させた。ユーシャ目掛けて飛んだフアムはロケット花火のような軌道のせいか、受け損なえばフアムの顔が地面に衝突して大怪我を負いかねなかった。
ユーシャは敢えてフアムの頭に衝突するように軌道上に立った。頭と頭が交錯する瞬間、意図的にすれすれを狙って避ける。それと同時にフアムと平行になるように体をねじらせながら彼女の胴体に腕を回した。フアムを抱きかかえる形となったユーシャは、うまくフアムと地面の間に自身の体を入れて着地した。ごろごろと派手に転がったが、それは衝撃を逃がすためであり二人とも大したダメージを負うことはなかった。鮮やかな身のこなしで、ユーシャは無事に暴走する少女を止めたのだった。
小走りでマジュが駆け寄る。フアムはユーシャにぎゅっと抱き着いていた。この時間は一体何だったのかと疑問が尽きないが、ユーシャは優しく話しかけた。
「大丈夫だって。一人になんかしないよ」
「……うん」
二人の様子を見てマジュは心から安堵した表情を浮かべる。
「もし今度こんな暴走なんかしたら島に流すからな?」
「流すな」
「……わかった」
「わかるな」
「あとは風を……うんっ、火が大きくなってきたっ!」
マイペースにちゃきちゃきと薪代わりの木と着火剤となるものを揃え、エーダは一人焚き火の準備をしていた。手際よく火種を起こして組んだ木々に放り込む。ぱたぱたと扇ぎ酸素を供給して次第に火種はその体を大きくさせていった。
「ふふっ、あんな走り回ってみんな元気だなあ」
熱く揺らめく火に手を当てながら遠くの仲間達を見やる。ユーシャ達の気など知らずに、エーダは暢気な感想を口にした。




