110話「トラウマ④」
──待ってえ──!
森の中を探索していたユーシャとマジュの目に映ったのは──遠く離れた距離から静寂に包まれた暗闇の森を騒がせる音の正体はフアムだった。
「私を一人にしないでえええええ!」
マジュはその大きな目をぱちくりさせてフアムの言葉を咀嚼する。飲み込むのになかなかの時間を要した。
「え? え? 一人って……エーダと一緒じゃないの⁉」
フアムが発した一言は小首を傾げるようなものであった。マジュは驚いて目を見開いたままユーシャを見やり、彼に疑問を投げる。ユーシャもまた、マジュと同じことを思っていた。
「あれ? 確かにエーダと一緒に……いや、どうだったか、はっきりしないや。それにしても何だってあんなに取り乱して──」
意外な人物の登場にも驚いたが、それ以上に、いつもはすんとしていて何事にも動じない、常に落ち着いて、周囲を俯瞰から見ているような物静かな彼女のイメージとは大きくかけ離れて取り乱した姿に、二人もフアムの心情が伝播したかのように動揺した。その動揺が功を奏したのかはわからないが、ユーシャの頭は不意に冴えたようだった。
「あっ、思い出した──!」
普段は穴だらけの傘のように機能を果たさないユーシャの記憶力が、一世一代といわんばかりにその脳からかつてのエピソードを引っ張り出した。
かつて村にふらりと現れた『おじさん』に感化されて冒険家を志した小さな少女フアムは、とある町にて、魔物討伐のために有志によって結成されたパーティーに参加したものの、視界から消えた途端に存在感がゼロになる特性を遺憾なく発揮して一行から一人寂しく置き去りにされたことがあったのだ。
ユーシャやエーダと出会い、不憫な過去を打ち明けたフアムはもうこのトラウマは払拭したのだと強く宣ったのだが、眼前の少女の様子を見るにまるでそんなことはなかった。あの日の出来事はフアムの心に深く深く刻み込まれているようだった。
「全然トラウマ克服できてねえじゃねえか」
やっぱり辛かったんだな──つっけんどんに言葉を放つも、ユーシャはフアムの心情をおもんぱかった。
「そんなことがあったんだ。あの子があんなになるなんてよっぽどね」
ユーシャ、暖かく迎えてあげましょ──! にっこりという表現がそっくり当てはまる笑顔を作ったマジュの言葉に、ユーシャも大きく頷いて同調した。フアム──! 全速力で駆けてくる少女にユーシャとマジュは優しく呼びかけた。
「ああああああああああ──!」
フアムの叫びに二人はビクッと体を揺らした。フアムはくりっとした目を涙で大いに潤ませ、声を大きく揺らしながら暗闇の森に怯えて暴走機関車と化した数刻前のユーシャに負けず劣らずの迫力で、一切減速することなくそのまま二人を轢いてしまうのではないかという勢いで迫ってきた。
その時、常日頃はクソの役にも立たないユーシャの脳みそが余計なことを思い出した。ユーシャの脳裏には、彼女と出会った城の武器庫で見た、フアムの頭に激突したことが原因で月を彩るクレーターと見まがうほどに大きく陥没した堅固な鎧がありありと浮かんだのだった。
「うわああああ──!」
ユーシャは思わず逃げ出した。脳裏に浮かぶ陥没した鎧と、眼前に迫ってくる目は見開いて眉尻は吊り上がり怪獣が咆哮でもするように大きく開いた口で構成されたフアムの必死の形相に、フアムの頭突きを食らう様を想像してしまった脳が体に緊急信号を発したのか、踵を返して逃走を始めてしまった。
「えええええ──⁉」
必死に迫ってくるフアムを見てこちらに逃走してきたユーシャの必死の形相に、マジュも思わず全力で逃げ出した。




