107話「トラウマ①」
「もしかしてお屋敷が燃えたのがトラウマになっちゃったんじゃないかしら」
この場で役に立てないというのは、闇夜の寒空の中で、例えばマジュが魔法を使えたとして、火の魔法を使って暖を取ることが出来ないということであろう。物理的ではなく精神的に。
エーダの立てた推測に、ユーシャとフアムも合点が行ったかのように得心行って頷いた。マジュが仲間になったきっかけ──マジュが旅に出る原因となった屋敷の炎上が悪夢のようにこびりついて離れずに、熱を帯びてゆらめく炎に目を背けたくなるほどの恐怖を覚えたというのなら、それは無理からぬ話であった。
「いや、その時はすぐに落ちてたからあまりよく覚えてないのよ」
「え? そうなの?」
「うん。気絶するのは早い方なの」
「寝つきみたく言うんじゃねえ」
マジュが意識を失う程のトラウマを抱えているのは事実である。だが、そのトラウマが脳裏に焼き付いたのはさらに昔の話であった。
幼い頃、旅先で過ごした夜に家族みんなで囲った焚き火を、その時の感動を忘れられなかったマジュは屋敷の庭で一人で再現しようとしたことがあった。
「でもね、どうやっても火が大きくならなかったの」
そう言ったマジュは、一瞬気が消失したかのようにうつろな顔をした。ふらついたマジュを速やかにフアムが支えた。
「え⁉ どうしたのマジュちゃんっ!」
「ああ、トラウマのせいで……クセになってんの、気絶するの」
「おいおい大丈夫か⁉」
「あはは、大丈夫。私結構パッと起きれる方だから」
「寝覚めみたく言うんじゃねえ」
エーダが先程の話に軌道を修正した。
「もしかしていきなり大きな木に火をつけようとしたとかかしら?」
一瞬うつろになったのちにハッと目覚めたマジュは驚いた反応を見せた。
「え⁉ 何でわかったのエーダ!」
「ふふっ! 私もお父さんとの旅で同じ失敗をしたことがあって……まずは燃えやすい樹皮とか松ぼっくり、乾燥したイネや油分のある松葉で着火させないと──」
「フアム」
「うぇい」
ユーシャの一声で、フアムは再びふらついたマジュを支えた。一行はなるべく火を連想させる、または直接的な表現を控えようと各々心の中で誓いを立てた。
まずは燃えやすいもので着火を──十歳にも満たない時分のマジュにそのような知識があるわけもなく、あの日に見た焚き火のように、炎が燃え上がらないことに業を煮やしたマジュは、そこら辺にあった布を手に取ってそれに火をつけたのだ。それが何と──。
「ゴリエットが愛用していたしなびたパンツだったの……!」
「何でそこら辺にゴリエットのパンツがあんだよ!」
「物干し竿に吊り下げてあったからつい──」
「どうみても干してあった洗濯物じゃねえか‼」
幼いマジュが、何故たくさんの衣類が庭にぶら下がっていたかなど知る由もなかった。
「その時の出来事がトラウマになったの?」
「いや──」
「まだ何かあんのかよ」
フアムの言葉を即座に否定したマジュは語り出す。それは両親やメイドとの賑やかな旅行から帰ってきたある雨の日のことであった。
旅先の屋敷で燭台に灯った火がとても幻想的で心を奪われた当時十一歳のマジュは、居間で同じようなシチュエーションを作り出し、暗む部屋を点々と彩る赤と橙のグラデーションと窓の外の雨音に酔いしれていた。
「……何か先の展開が読めるな」
「燭台じゃなくてロウソクをそのまま立ててたんだけど、それが倒れてボヤになっちゃって……」
床に倒れたロウソクの火は、精緻細やかに刺繍された絨毯に燃え移ろうとしていた。
その時、マジュの脳裏に浮かんだのは教育係を務めていたメイド長ゴリエットの言葉だった。扇いだり吹き消そうとすれば、供給された酸素で火は更に勢いを増す。水をかけたとて、水にも酸素は含まれており半端にかければ余計に火が大きくなる。
──マジュ様、その時は濡らした布などで火を丸ごと被せてしまうのです。そうすれば空気は遮断され、火の勢いは小さくなって消せるようになります──。
マジュは言われた通りに実践した。布を探す彼女の目の前に、カゴに入れてあった多数の濡れた布が偶然置いてあったので、適当に掴んで火元に被せたのだった。しかしそれは──。
「ゴリエットが買ったばかりのたくさんのパンツだったの……!」
「お前ゴリエットのパンツに恨みでもあんのか⁉」
マジュの眼前にあったカゴの中の布とは、どうやら外に干してあった際に突然の雨で濡れてしまった洗濯物だったようだ。
その際は迅速に鎮火することができた。ならばマジュの火に対するトラウマとは一体何に起因するのだろうか。
「その日の夜、夢を見たわ」
「ふーん、夢ってどんな?」
マジュの意識が遠のいた。一行は火に関するものだと瞬時に察した。
マジュは夢の中で燃え盛る建物の中に取り残され、絶望の淵に立ち尽くしていた。その時に何故か自身の体から多量の水が出て火を消し去り、無事脱出したのだ。
ああよかった──ホッとした瞬間目が覚めると、パンツもズボンも、シーツさえもぐっしょり濡れていた。つまりは──。
「……おねしょ……しちゃったの?」
「もー恥ずかしくて恥ずかしくて! そんなのはもう絶対にヤダって思うようになってからアレのことを考えると気絶するようになっちゃって──!」
「トラウマのきっかけがおねしょに飛び火してねえか⁉」
マジュは笑みを浮かべながら意識を失った。
「ユーシャっ!」
「ああっ! ごめんマジュ!」
……。発達した自我が確立されようとしていた十一歳のマジュにとって、火に包まれる夢を見ておねしょをしたというのが顔から火が出るくらいに恥ずかしかった。
少女に刻まれたトラウマの真相は、火やそれに連想するものを思い浮かべると大量のおねしょをした過去がバックドラフトのようにフラッシュバックして気絶してしまうというものであった。




