106話「小休止」
「……い、一旦、ここで休憩しましょっ!」
ぜいぜいと肩で息をして、死がすぐそこにまで迫ってきているような形相でエーダは言った。
「さ、さ、……っ、賛成! いいわねユーシャ!」
マジュもエーダに続いて休憩を入れることを主張した。とんでもない速さで暗闇の森を駆けてゆくユーシャに引っ張られ、今までの人生での最高速度を出して走ったエーダとマジュは人相が悪くなるくらいには疲れ切っていた。
悪霊か何かに憑りつかれて体が重くなった──実際は人肌恋しいフアムがおぶさっただけであるが──と早合点して恐怖の快速列車となったユーシャに連れられて、森と森の間ともいえる、手入れされていない草草がまばらに生え、所々乾いた土が顔を出す開けた平原に着いたのだった。
「……ごめんなさい」
体をずしりと重くさせたのがフアムが原因だと気が付いたユーシャは、憑き物が落ちたかのように正気を取り戻し、一切息を切らさず、疲れなど素知らぬ顔で申し訳なさそうに謝罪した。
「次からしっかり確認しようね」
本意ではないものの、騒動の元凶となったフアムは寛大の皮を被った尊大な態度でユーシャを諭した。
「ふうっ、ちょっと寒くなってきたわねえ」
「うん、かいた汗がちょっと引いてきたからね。でも健康的な汗だからきっといいにおいよ」
「まだ引きずってんのかい」
全身を大きく使って森を駆け抜けたフアムを除く一行は、体を休ませるとみるみるうちに体温を奪われていった。森の夜、引いた汗と条件もいくつか重なって、体を抜けていく風によって体を震わせるほどの寒気が一行を、とりわけエーダとマジュを襲った。皆が一様に暖気が必要だと感じ取っていた。
「マジュ、ちょっとだけでいいから魔法に目覚められない?」
「そんな打ち出の小づちみたいにぽんと出せるわけないでしょ」
ユーシャの安易な発想はマジュに即座に却下された。かつてこの大陸・マッカチョッカ大陸を支配した魔法使いの末裔であるウィズアルドの血を引くマジュはおろか、直系である父でさえも魔法を使えないのだ。現代においてウィズアルドを象徴するのは専ら筋肉である。ウィズアルド家の魔法の歴史は、今や無数の筋繊維の下敷きになっていた。
「お父さん達も使えないの?」
フアムがマジュに訊ねる。
「多分そうよ。私今まで一度もパパ達が魔法使う所見たことないもの」
「えーっ? 確かマジュちゃんのご両親って二人きりで旅行してるんじゃない? 大丈夫なのっ⁉」
「筋肉があるから大丈夫なんじゃない?」
「固有名詞みたく言うんじゃねえ」
とある事情によりマジュとその両親・ウィズアルド一家が住む屋敷は全焼してしまった。マジュやメイド達が屋敷の再建にと腕利きの大工を探すさなかに、両親は豪胆にも屈強なメイド達を引き連れず二人きりで旅立ってしまったのだ。そんな両親をユーシャ達は心配になったが、娘のマジュは特段気にしている素振りは見せなかった。
「パパも私が生まれる前は筋肉を支配しようとしてたみたいだし」
「何で自分の体なのに飼い馴らすみたいな表現になんだよ。筋繊維の一つ一つに意識でも宿ってんのか」
「恐らくね」
「恐らくねじゃねえよ恐ろしいわ。ホラーじゃねえか」
あっ──! マジュが突然思い出したかのように無音の平原に響く声を上げた。マジュの頭の中には自身が幼い頃の、両親の結婚記念日のシーンが鮮明に蘇っていた。
大切な記念日にマジュの両親は旅行することとなった。普段の旅行は愛娘のマジュや護衛として筋骨隆々のマッチョなメイドも一緒に連れていくのだが、その日ばかりは夫婦水入らずで過ごしたいと二人で旅に出るというのである。
パパとママが危険な目に遭うのではないかと、泣きそうな顔で両親の背中に声を張り上げるマジュ。父は振り返って心配無用と言わんばかりの笑顔でマジュを抱き上げた。そして優しい声で諭すように愛娘に話し掛けた。
──心配いらないよマジュ。私も、そしてママも強いからね──。
「『むしろママは私よりも強いかもしれないなあ!』って。フフ、ママは苦笑いしてたけど」
楽しそうに振り返るマジュの話を、ユーシャ達も柔らかな笑みを浮かべて聞き入っていた。
「その時にね、パパがこんなことを言っていたの」
──それに、パパは偉大な魔法使いの血を引いているんだ。いざとなれば──。
「『都合よく魔法の力が目覚めるはずさ』って」
「親の遺産を当てにするような質の悪さだな‼」
結局魔法は使えねえのかよ──ウィズアルド家領主が滾らせる自信には、裏打ちされるものが大してなかったようだ。
「仮に使えたとしても……」
この場では役に立てそうにないかな──俯いて、雑多に生える足元の草を、ぼんやりと眺めていたマジュはそう言った。




