105話「暗闇の中で②」
「うん、そうねっ! 凄い風よねっ! 特段おかしくないわよユーシャっ!」
大自然のさざめきに驚いたユーシャをエーダは即座になだめたのだが、声を聞く余裕すらなくなったユーシャは、数歩ほど後退った。
「うわあパキッて音が!」
「枝を踏んだだけだよ」
フアムが冷静に指摘する。しかし、やはり何も耳に入らないユーシャは周囲にはびこっている幽霊でも見るかのように目まぐるしく目線を動かした。
「うわあ前髪だ!」
「そこにも驚くの⁉」
風が止み、浮いていた前髪がぱさりとユーシャの額と眉を撫でるそのことにすら反応した。重症である。
「何で木がこんなあるんだよ‼」
「今更⁉」
今更というのならこれも今更だが、魔王討伐の旅に出たユーシャはハウクトー大陸やや中央にあるオカノウエー王国の王子である。母に尋常ならざる強靭な足腰を仕込まれたものの、この旅に出るまでは人生のほとんどを城の中で過ごすいわゆる温室育ちであった。このような街の明かりすらない暗闇の中で動くことなど今までになかったからか、かろうじて数メートル先が視認できる程度のこの場所ですっかり恐怖に支配されたようだった。
「もう、しょうがないなあ! エーダ、あなたはユーシャの右手を繋いで。私は左手」
マジュはおもむろにユーシャの左手を取って握りしめた。安心させるように落ち着いた口調でユーシャの耳にささやく。
「あなたは大丈夫あなたは大丈夫ゆっくりゆっくり落ち着いていくそしてやがて何も感じなくなる暗さなんてどうだってよくなるというかどうでもよくなってしまえ」
……。もはや暗示だった。
エーダ、フアム、マジュとの四人の旅路で常日頃から無意識のうちに先頭を歩いていたユーシャは横並びになることで、そして人肌に触れることでどことなく不安が解消されていったのだろう。焦りと恐怖を孕み、沈みきって浮かない顔は、やがていつものような飄々としたユーシャらしい表情に戻っていった。表情とは対照的に、肩を落とし、いつもの背筋を伸ばした綺麗な姿勢には戻らなかったままで、ユーシャはぼそっとつぶやく。
「ああ、ダメだな俺は」
「ユーシャっ、あんまり気を落とさないで」
「ユーシャかわいいよユーシャ」
「そうよ背中が丸まってキュートよユーシャ」
「嬉しくないわ。でも、はぐれないように手を繋いどくのはアリだな」
明るい場所に出るまでこのまま進もう──やはり少年はすぐに前を向いた。
エーダはユーシャの右手を、そしてマジュは左手を繋いだ状態で探索を再開しようとそれぞれ足を前方に動かした。皆に声を掛けたユーシャは森の静寂に負けず劣らず落ち着いていた。
エーダがフアムとも手を繋ごうときょろきょろと辺りを見渡していると、なんとフアムはユーシャにおぶさった。大胆ともいえる行動にエーダとマジュは目を見開いた。
「私は人にくっついてると安心するんだ」
フアムがそう言うと二人は顔を上下に軽く揺らし、得心が行った表情を浮かべた。言われてみると、宿屋で朝を迎えるたびにパーティー最年少の少女は誰かしらに抱き着いていたような気がする。
見かけよりも落ち着き払い胆力があるフアムの見かけ通りの幼い一面にエーダとマジュはくすりと笑った。だが──。
「な、な、な、え……? 待って体が急に重くなったぞ……!」
……。ユーシャは再びパニックに陥った。
「おいヤバいぞこの森やっぱり何かいるんだ……‼」
何かに憑りつかれたかも──! ユーシャは急にギアをトップに上げ、走り出した。
「ユユユユーシャっ! おちち落ち着いてっ!」
「ええええ⁉ ちょっと待って速い速い速い! 風凄いんだけど! ユーシャストップ! せめて手を離して!」
何とかユーシャを落ち着かせようとするエーダとマジュも、フアムを背負っていて速度が落ちているとはいえ、依然として凄まじいスピードで駆けていく少年についていこうと──というよりもユーシャが二人の手を強く握ったせいでついていくしかできず、なんとか転ばないようにするのが精一杯で、適切な声掛けがままならなかった。
「もー何だよ! ここに入った時から何かいると思ったんだよ‼ 何だ悪霊か⁉ それともコイツが精霊ってヤツなのか⁉」
いいや、フアムである。ユーシャがそのことに気付いたのは、この先の視界が開けた場所に辿り着いたあとの話であった。




