104話「暗闇の中で①」
太い幹、人の身長とは比べるべくもない全長、とてもじゃないが数え切れないほどの葉を付ける枝が伸びた木々は月明かりを余すことなく遮った。目が慣れてようやく周囲のものが視認できたのが、森に足を踏み入れて数刻後というくらいには夜の森は暗かった。
ほんの少しの風で葉は互いの体を擦らせて音を立てる。折れた枝葉を踏んだ時の小気味良い音すら、今は黒々とした闇が広がる、悪霊でもうごめいていそうな森の不気味さを際立たせていた。
「みんな、精霊は諦めよう!」
開口一番、いつもは前向きなユーシャが予想だにしないことを口にした。
「ちょ、ちょっとっ! ユーシャ、どうしたの⁉」
切り替えが早いといえばそうとも取れるが、あまりにも唐突でらしくない発言にエーダは心配を募らせた。ユーシャの顔を窺ってみると、若干強張っているようにも見えた。
「ここここここ、ここ暗すぎるだろ! 精霊はこんなとこにいるのか⁉ 何考えてんだ‼」
「まだいると決まったわけじゃないし、八つ当たりも甚だしいわよユーシャ!」
パーティーのリーダーがあまりにも挙動不審になっていた。どちらかといえば冷静沈着に物事を判断して行動できる男がかつてないほど取り乱している。ユーシャの動揺は周囲にも伝播しかねないものであったが、女性陣は少年のイメージを覆す取り乱しように、逆に何故そうなってしまったのかと考察を巡らしたからか落ち着き払っていた。エーダがいち早く察する。
「ユーシャって、もしかして暗い所が苦手……?」
「苦手って真っ暗闇が得意な奴いるのか⁉ なに考えてんだそいつは⁉」
「当たり散らすな! 落ち着いてユーシャ!」
何とかマジュがなだめすかす。困惑するエーダの背中をフアムがその小さい手でぽんと押した。
「こうなったらハグしかないよ。人肌で落ち着かせよう」
フアムの突拍子もない提案にエーダは顔を真っ赤にした。
「えっ? えっ? わっ、私が?」
「そうね。エーダ、お願い。ユーシャを鎮めて」
「邪気を祓わないと先に進めないよ」
邪気ではなく、ただの恐怖心だが、確かにこのままでは埒が明かない。精霊探しに支障をきたすだろう。耳まで真っ赤にして困惑しながらも、エーダはパニックになっているユーシャに歩み寄った。
「あ、あのっ、ユーシャっ! わっ、私を……抱いて寝てみる?」
「それは違うよ」
「営みをしろとは言ってないでしょうが!」
エーダが身に付けているローブを留める前ボタンは既に半分ほど外れていた。羞恥に満ちた態様とは反比例してアグレッシブなエーダをまじまじと見たユーシャは、少しばかり落ち着きを取り戻す。
「こんな場所で床に誘うなや」
ユーシャのツッコミを聞いて一同は安堵した。少年は仲間達の顔を見渡し、一つ深い呼吸をして、ゆっくりと瞬きをした。
「みんなゴメン! こんな真っ暗な所初めてで正直ビビッてた!」
「あははっ! 大丈夫よっ! 全然気にしないでいいわ」
エーダが優しく受け止める。マジュもほんの少し肩をすくめて眉尻を下げた顔でユーシャに話し掛けた。
「誰にだって苦手なものくらいあるわよ。私はないけどね」
「堂々と嘘をつくんじゃねえ」
「じゃあ今度一緒にお風呂入ろうよ」
「あっ、いいわね! 私も一緒にっ!」
「……入れたら入るね」
「絶対に入らないやつじゃねえか」
フアムがユーシャの顔をまじまじと見つめる。
「やっと、ユーシャの弱点を見つけたよ……!」
「弱味を握る気満々だったのかお前」
「あっ、そうだごめんなさい私たいまつ持ってたんだったわ」
今出すわね──エーダがカバンの中を忙しなくまさぐったその時、猛烈な風が吹いた。その音は空気を裂くような鋭い音だった。
「うわあ風だ! 何か怨嗟の声がする‼」
ユーシャは怯えた顔で声高に叫んだ。風に扇動されたかのように大仰に輪唱した無数の葉擦れの音が、ユーシャにとっては冥界に誘う怨霊の声にでも聞こえたようだった。
こりゃダメだ──マジュは突風に煽られてパニックになったユーシャを見て、精霊探しをひとまず諦めた。
おそらくは近づいているのだろう。だがしかし、近づけば近づくほど、精霊の存在が一行の意識から遠のいていくばかりであった。




