5.ローランド
◆◇◆
ローランドは馬車に揺られながら、物思いに耽っていた。
彼はこれから、北の辺境に向かう。恐らく、今後は要請がなければ王都へ戻ることはないだろう。
乗り心地の良い馬車が用意されたのは、両親からの最後の心遣いだろう。しかし、この馬車を降りた後は、貴族籍こそ残るものの、両親との縁はほぼ切れることになる。
(まあ、私を逃さないようにするためでもあるのだろうが)
人間、逃げようと思えば、いくらでもやりようはある。道中の待遇が悪ければ、逃げ出したいという気にもなるだろう。快適な馬車を用意したのは、そうした気を起こさせないためでもあるのかもしれない。
──これから向かう北の辺境は、過酷な土地だ。
冬は積雪が多いうえに、雪に紛れる魔獣が跋扈する。夏の時期は短く、そのくせ雨が多いので作物が育ちにくい。
そのため、小麦粉や白いパンは高価で、庶民だけでなく領主も大麦・ライ麦・芋類などを主食としているらしい。
騎士見習いとはいえ、そこまで過酷な環境で過ごしたことのないローランドは不安が拭えなかった。
嫌なことから思考を逸らすと、過去のことが蘇る。
ローランドは、子供の頃の記憶が一部欠落していた。
気づいた時にはソニア・フラワリングケール伯爵令嬢と婚約していたが、その直前の記憶が思い出せないのだ。
一時期、なぜか水をひどく恐れていたことがあった。だが、騎士として泳げないことは、有事の際に足枷となる。そこで、どうにか恐怖を克服した。
成長してから、子供の頃の出来事を両親に教えられたこともあったらしいが、その話さえ、つい最近まで忘れていた。そのことを覚えていれば、少なくとも最悪の事態は防げたのだろう。
色々と疑問は残っていたが、水への恐怖は克服できたし、ソニアとの婚約も悪い話ではなかった。黒い髪に青い瞳を持つ美少女との婚約を、ローランドは素直に喜んでいた。
それから日々の交流を続け、二人は絆を育んでいった。
ローランドもいつしか、ソニアを愛するようになっていった。
転機が訪れたのは王立学園へ入学した頃だった。
学園では同学年に聖女がいた。
なんでも、ここ数年で最も強力な浄化能力を持つルース・フラーグム男爵令嬢は、神殿の期待の星だった。
深いピンク色の髪と赤い瞳が印象的で、聖女神を思わせる佇まいと美しさを備えていた。
物腰の柔らかさ、優しさ、見た目、能力、どれをとっても聖女としてふさわしい女性だった。
ローランドは学園での彼女の護衛を任された。
彼は将来、王太子殿下の護衛騎士になる予定だった。聖女の護衛は、その経歴に箔をつける有益な仕事でもあった。
ルースはとても素晴らしい女性だった。
美しく、強い力を持つ彼女は、懸想した男子生徒から言い寄られることもあったが、彼女がそれを受け入れることはなく、そこも好感が持てた。
そんな彼女なので、ローランドは次第に彼女に心酔していった。
彼女と一緒にいればいるほど、その些細な表情の変化にも気づくようになった。
同時期に、ルースの周囲では異変が起き始めた。
所有物がなくなり、常に視線を感じるようになる。
やむを得ず一人になった時には、後をつけられたとも言っていた。
ローランドはその原因を、自分の婚約者の仕業だと考えた。
理由は、周囲がそう噂していたからだ。
ローランドと聖女の仲がいい。きっと彼の婚約者は嫉妬している筈だと。
王太子殿下が否定しても、ソニアを庇っているだけだと思い込んだ。ソニアは自分を愛している。だからこそ、嫉妬しているのだと決めつけていた。
ローランドはソニアに失望した。
確かに聖女であるルースの護衛のため、ソニアとの時間が取れなくはなったが、それは彼女も納得していた筈だ。
そのせいで自身が感じていた罪悪感も、ソニアを糾弾するための原動力に変えた。
ローランドがいくら忠告しても、ルースの私物は消え続けた。
やがて、彼の怒りが頂点に達する間際、ルースは姿を消した。
それは丁度、ローランドがルースの願いを叶えるために街へ連れ出した時だった。
ローランドはその責任を追及され、激しく叱責された。
その時の鬱憤や後悔、怒りもソニアへの怒りに変換された。
◆
その後、ローランドもルースの捜索に参加した。
ルースの失踪から数日後、ローランドは裏路地で男とソニアに囲まれている彼女を見つけた。
その光景は、彼の目にはソニアが男と共謀してルースを連れ去ろうとしているようにしか見えなかった。
そして、ローランドの怒りは頂点へと達した──。
「ソニア────ッ!!」
「え──?」
ローランドは困惑した顔のソニアを、容赦なく斬り捨てた。
「きゃああああああぁ!? ローランド様がソニア様を殺しちゃったぁ!?」
ルースの叫び声で、冷静になる。
足元には、自分が斬り捨てた最愛の婚約者が、血濡れになって倒れていた。そうしたのは、ローランド自身だった……。
「あ……ソニア──ぐあっ!?」
血の気が引いた、その時だった。追いついた王太子殿下の護衛たちに拘束され、ローランドは地面へ引き倒された。手にしていた剣も蹴り飛ばされ、遠くへ転がっていった。
同時に、ソニアの特異魔法が発動する。
その暖かな光に、なぜか懐かしさを覚えた。だが、いつ、どこで見たものなのかは思い出せなかった──。
◆
その後、ローランドは尋問で、自分があのような凶行に及んだ理由を問われた。
ソニアがルースを害したと思い込み、怒りに任せて斬ってしまったが、その時の心情をそのまま口にすることはできなかった。
自分の身勝手な怒りをぶつけたのだと、認めたくなかったのだ。
「ルース嬢を害したのも許せませんでした。それに、愛する婚約者が、これから罪人として生きることに耐えられなかったのです」
ソニアを愛していたのは事実だ。だが、剣を振るった瞬間、その行為が彼女の命を奪うことにまで、考えが及んでいなかった。
それでもローランドは、その愛情を、自分の行いを取り繕うための言い訳にした。
尋問した騎士たちは、ローランドの言葉を遮ることなく記録し、最後にこう告げた。
「フラワリングケール伯爵令嬢は、王太子殿下を守るために、そのそばにいる。ゆえに、王家の〝影〟の観察対象でもある。そんなご令嬢が嫌がらせなどすれば、すぐに殿下から引き離されるだろう」
その言葉でローランドは、自分がとんでもない勘違いをしていたのではないかと、初めて疑い始めた。
王都の邸宅に帰らされ、自身の婚約が解消されたことも知った。
ソニアの特異魔法である〝蘇生〟や使用回数などについても……。
そして、自分がソニアを本当に一瞬とはいえ殺していたことも知った。
(私は、ソニアを、本当に……)
その手に、愛する婚約者を斬り裂いた時の感触が蘇る。
ローランドはその場で嘔吐し、数日寝込んだ。
しかし、そんな彼を憐れむ家族は、いなかった……。
◆
その後、両家の間で話し合いが行われた。
もっとも、書類上の婚約解消はすでに済んでおり、今回は慰謝料などの確認と謝罪のための場を設けてもらっただけだ。
ローランドはソニアとやり直したかった。
行き違いはあったが、彼がソニアを愛していたのは事実だった。
だが、話し合い当日、彼女の姿を見て、その望みは飲み込んだ。
ソニアの目に、ローランドを想う温かさはなかった。そこにあるのは、自分を害した者へ向ける冷たい感情だけだった。
(まあ、自分を一度殺した相手を再び愛するなんて、無理な話だろう……)
その日は、謝罪をして別れた。
それが、ソニアに会った最後だった。
◆
その後、ローランドは北の辺境の騎士学校へ編入することが決まった。そのまま辺境の騎士団に入る予定だ。
貴族籍は残されたが、今後、クロクス侯爵家からの支援は期待できない。それでも家名は名乗らなければならず、事件の噂も当分は収まらないだろう。
騎士学校は王都にもあるが、辺境の学校とは比べものにならないほどにぬるい。
王都の騎士学校はあくまで、貴族の子供が騎士になる資格を得るための場所だ。
そして、北の辺境はこの国で最も過酷な土地だ。
冬は寒く雪が多いうえ、冬の方が魔獣も多い。
寒さや雪に適した魔獣の討伐は、実力のある騎士でもかなり過酷である。
ローランドは北の辺境の騎士学校を卒業した後、当初の予定どおり、辺境の騎士団に入った。
彼は北の騎士学校でも騎士団でも、過去の行いを理由に冷遇されたが、それでも弱音を吐かず、騎士として働き続けた。
騎士団に入団して三年目の冬、ローランドは仲間を魔獣の攻撃から庇って死んだ。
その死に顔は、まるで何かを吹っ切れたかのように穏やかなものだったという。
彼の遺体を引き取る者はいなかった。葬儀は騎士団によって執り行われ、遺体も騎士団が管理する共同墓地に葬られた。
彼のように訳ありで、北の騎士団に入り、命を落とした者たちが同じように埋葬されている場所だった。
彼の死が、かつての婚約者に伝えられることはなかった……。




