記憶
俺には前世の記憶がある。思い出せる記憶は断片的だ。
日本と言われる場所で暮らしていた。グロッテンベルグよりもずっとずっと豊かな国、飢えも、戦争も、寒さもなく、魔物もいない。便利で快適で清潔な場所。
だけど、そこで暮らしている人はあまり幸せそうには見えなかった。そんな不思議な場所で、サラリーマンという仕事をやっていた。
前世の俺は50歳まで生きた。幸福か不幸かと言えば不幸だっただろう。思い出すだけでも憂鬱になる時がある。
前世で窮屈な生活をしていた反動なのかは分からない。だから、この世界では冒険者という職業に強く憧れた。
それに、過去の世界には魔法なんて存在しなかった。だからこそ、魔法を使えるというだけで胸が高鳴った。冒険者に憧れ、魔法使いに憧れ、そんな思いを抱えたまま、俺は晴れて冒険者になった。
そこまでは、よかった。
現実に戻る。捨てられた一匹の冒険者がいる。魔力量(MP)の極端に少ない、ゴミのような魔法使いだ。
パーティを解雇されて既に2週間が経っていた。ダンジョンに併設された酒場で空になった食器を見ながら"はぁ"と一つため息を一つ落とす。前世だろうが今世だろうが、現実はいつだって厳しい。
時間は昼下がり。冒険者は比較的自由のきく職業だがこの時間は殆ど人がいない。がらんどうの薄暗い食堂は暗い気持ちには逆に心地よかった。
状況を打開しようと、一人でダンジョンに潜ったりもしたが、3日間で倒せたのはスライム数匹と角ネズミ一匹だ。
スライムからは価値のある素材はとれない。角ネズミの素材は角だけで1本84セルスでしか売る事が出来ない。前世の感覚だと80円くらいだ。3日もかけて一匹なら字どころの話ではない。何せ冒険者優遇で安いとはいえ、目の前の食事でさえ250セルスするのだから。
『今日もダンジョンに行くか・・・』
稼げるとは思っていない、だが何かしていないと落ち着かないのだ。立ち上がろうとすると”はぁ”とため息をつく音が聞こえた。出したのは俺ではない。なんだ後ろに人がいたのか。
この酒場に居るという事は冒険者なのだろう。剣を抱えている。若い女性だ。いないわけではないが女性の剣士は珍しい。
見ていると。向こうも気づいたらしい。「なんか用?」と言いたげな目で、鋭く睨まれた。冷たい瞳だ。美人ではある。薄青の長い髪に、同じ色の瞳。北方の出身なのか、肌は白く、顔立ちも整っている。この辺りでは見たことのない顔だ。
ナンパと勘違いされたのかもしれない。まあ、彼女が一人でいれば、声をかけてくる男は多いだろう。
「なんでもない。」
用があるわけでもないので、そのまま立ち去ろうとする。どう見ても、こちらに良い感情を抱いているようには見えない。初対面のはずなんだが、なぜ敵視されるのか、まったく心当たりがない。
「待って。」
去ろうとすると、声をかけられた。鈴の鳴るような澄んだ声だ、美人は声も奇麗なのか羨ましい。表情が冷たいままなのが残念だ。
「少し質問してもいい?」
「どうぞ。」
暇だし、断る理由もない。美人ならなおさらだ。この街の情報を集めたいのかも知れない。不都合な質問なら答えなければいい。軽い気持ちで受ける。
「あなた、魔法使い?」
「・・・いや、単なる運び屋だけど。」
俺を魔法使いと呼べるかどうかは、正直かなり微妙だ。
エイデンのパーティでは、ずっとポーターとして通していた。
見栄を張っても仕方がない。
だから、ここは正直に答えることにした。
「そのメイスは何?」
彼女は俺の右手を指差した。
「魔法使い見習いだから持ってるだけだよ。」
恐ろしく将来性のない魔法使い志望者。
「見習い?魔法は使えるの?」
彼女は矢継ぎ早に質問してきた。いやに食い下がるな。
「別にいいだろう。」
答えをはぐらかした瞬間、声にわずかな不機嫌さが混じった。俺が使える魔法は、最下級の“プチヒール”と“プチファイア”だけ。しかも、どちらか一回しか使えない。
自分の駄目さ加減を広言したい人間はいない。それに彼女の質問は初対面にしては不躾過ぎる。
「ごめんなさい、別に怒らす気ではなかったの。」
俺の不機嫌を感じたのか、彼女が謝まる。意外に素直だ。
「いいさ、それでパーティでも探しているのか?」
いきなり魔法使いかどうか聞いてくるなんてそれ以外に理由がないだろう。
「そう、パーティも探している。」
パーティ“も”?
まるで、ついでのような言い方だ。
多少なりとも冒険者の知り合いはいるし、パーティに入りたいなら口を利くくらいはできる。
だが、この様子だと、余計なお節介になりそうだ。
うん、なんか……めんどくさい。無視してしまってもいいのだが、前世の記憶が邪魔をする。
“道徳”ってやつだ。
困っている人がいれば助けましょう。
お互い協力しあいましょう。
他人の嫌がることはやめましょう。
ルールをきちんと守りましょう。
前世で叩き込まれた価値観は、どれもこの世界ではゴミ以下の思想だ。だが、一度身についた習慣や倫理観というものは、そう簡単には捨てられない。
「話ぐらいなら聞いてやれるけど?」
ふと、そんな言葉が口をついて出た。自分でも驚く。だが、彼女の声からは、どこか切羽詰まった気配が漂っていた。何か問題を抱えているのは、傍から見ても分かる。
本来なら、俺だって他人のことを構っている余裕なんてないはずだ。それに、この娘は・・・。
予想外だったのか、彼女は驚いたように俺を見た。一瞬だけ、あの冷たい真顔が崩れた。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「いや、いい。」
長い沈黙の後彼女がポツリとそれだけ言った。
「そうか」
まぁ、無理に聞き出す事でもない。所詮は他人だ。
それが、俺とこの青髪の少女との初めての出会いだった。




