ケイブウルフ
「くそっ」
やっぱり三階層目は無理か。毒づきながら来た道を戻る。
ヴィアの妹の“呪い”の話を聞いてから、もう1週間くらい経った。くらい、というのは洞窟ダンジョンに籠もりきりで、時間の感覚がバグっているからだ。髪はボサボサ、爪には黒い垢。湯浴びもしていないので肌はガサガサ、髪はゴワゴワ、歯磨きも当然していない。ミュータンス菌も大喜びだろう。傍から見れば完全に浮浪者だ。
「一旦、帰るか」
独り言も増えた。人と話したいし、太陽も浴びたいし、爪も切りたい。なにより清潔になりたい。水も食料も尽きかけているし、情報も集めたい。
冒険者カードを見る。レベルは10のままだが、次のレベルは案外近い気がしている。前世のゲームみたいに経験値は表示されないから、完全に感覚だ。それでも思ったより早い。一人で前線を張り続けているのが効いているのだろう。安全マージンを殆どとっていない。命を賭けているという意味でもあるが。
ヒュンッ。
考え事をして油断した。目の端で黒い影が走る。
「っ・・・」
右腕に激痛。ナイフを落とす。致命傷を避けられたのは偶然だ。拾う余裕はない。目の前に、俺を傷つけた元凶が姿を現す。
洞窟狼。
『嘘だろ』
心の中で叫ぶ。ケイブウルフは本来四階層のモンスターだ。3階層でも目撃例はあるが、こんな浅い位置で出るとは。
こいつはチワワを少し大きくした程度の体格で、黒い毛並み。前足には鍬のような長い爪、後ろ脚は太く筋肉質で“くの字”に曲がっている。簡単に言うとモグラとウサギを混ぜたような造形だ。なのに狼と呼ばれる理由は好戦的で、団体で行動するからだ。
チラリと後ろを見る。囲まれている。前に一匹、後ろに二匹。しくじった。レベル上げを急ぎすぎた。二階層で問題なかったから三階層もいけるだろう、そんな甘さ。前のパーティで何度も来た経験があるという驕り。それでも三匹だけなのは不幸中の幸いだ。浅い階層だから数が少ないのかもしれない。
『逃げるのは無理だな』
狼共はすぐには攻撃してこない。不意打ちが失敗したことで、こちらの出方を伺っているのだろう。手負いでも油断しない。だが今はそれがありがたい。
懐からメイスを取り出し、マジックポーションを飲む。1本五万セルス。本来ならMPが10回復するが、俺の場合は3しか戻らない。プチファイア1発だけ。それでも当たりさえすれば1匹は倒せる。
作戦を立てる。前の一匹を倒す。俺が手ごわいと分れば向こうが逃げてくれるかもしれない。淡い期待。200メートル先の階段まで行けば、二階層に戻れる。流石にそこまで行けば安全だろう。
『出来るか?いや、やるしかない』
俺が考えている間に、向こうも腹を決めたらしい。前の狼が姿勢を低くし、同時に右後ろの1匹がスクリューしながら突っ込んでくる。
甘い。これは前のパーティで何度も見た。前が攻撃するフリをして、後ろが死角から刺す。分かっていれば避けられる。
「ぐっ」
左足に激痛が走る。前が攻撃のフェイント、右後ろが突撃。回避しようとしたところに左後ろも攻撃。警戒はしていたが、回避中に更に回避は出来ない。メイスで防ごうとしたが、隙間を縫うように突っ込んできた。三匹だけだから逆に連携が良いのか?
左足を見る。肉が抉れている。走って逃げる案は完全に消えた。回復にMPを使うか?いや、攻撃手段がなくなる。回復は無しだ。
幸い、さっきの攻撃で陣形が崩れ、壁を背にできた。死角はない。痛む腕と足が逆に思考を冷静にする。
仕掛けるなら今しかない。俺はボスと思われる狼に飛び込む。こいつは構造上、素早く後ろに下がれない。距離を詰めてプチファイアを叩き込む。一匹倒せれば、何とかなると信じるしかない。
狼が一瞬たじろぐ。距離1メートル。いける。
「プチファイア!!」
だが、狼は斜め前に跳んで避けた。
『外した』
くそ、前に避けるか。意外に度胸があるじゃないか。いや、本能か?かすりはしたがほぼ無傷。そして囲まれ直す。最悪だ。
「ははっ、死ぬな」
奥の手を外したことで絶望が広がる。ここで食い殺されて洞窟の藻屑か。
狼共は唸り声を上げるが、すぐには来ない。じっくり伺っている。だが、ボスが再び合図を送る。今度こそ来る。
「・・・」
「・・・」
『あれ?』
来ない。後ろを見る。囲まれたまま。なぜだ?
再び合図。しかし手下は動かない。俺がメイスを握り直すと、狼共が一瞬たじろぐ。
『ああ、さっきのプチファイアを警戒してるのか。』
最下級魔法でも、俺の"かしこさ"の高さで無詠唱・高威力。モンスターは「まだ撃てる」と思っている。あたれば即死。貧乏くじを引きたくないのだ。
外したが威嚇にはなった。これはチャンスだ。俺は鞄から最後のマジックポーションを取り出し、飲む。狼共は警戒したまま。
『たとえ死ぬとしても、やるだけはやる』
俺はクルリと身を反転させる。手下狼が二匹見えた。ボスは何度も攻撃の合図を送っていたが、無視されていた。焦っているはずだ。リーダーとしての資質を証明したいだろう。わかるよ。俺も似たような経験がある。でも同情はしない。おまえが来い。
左右の手下狼がグッと体を落とす。フェイントの攻撃姿勢。この状況では「今から攻撃します」と教えているようなものだ。
『くる』
背後からボスがスクリューしながら飛んでくる。ギリギリで躱す。通り過ぎる軌道にプチファイアを叩き込んだ。これは避けられない。
「プチファイアァアアアア!!」
最下級魔法とは思えない光。炎が狼を包む。今度は当たった。
光が収まると、黒炭と化したボスが残った。動かない。焦げ臭い匂いが漂う。
ボスは倒した。残り二匹がどう出るか。俺にはもう抵抗手段がない。メイスを構えて睨む。二匹は身構えたが、顔を見合わせると撤退していった。
『た、助かった』
だが安心はできない。ナイフを拾い、痛む足を引きずりながら根性で二階層まで上がり傷を見る。右肩と左足は肉が抉れ、血がポタポタ滴り落ちる。鞄を漁るが、マジックポーションはない。
『ふぅ』
一日待てばMPは回復する。それで左足だけでも治して脱出するか?それともこのまま足を引きずって脱出するか?
一・二階層はそこまで強いモンスターはいないし、密度も低い。血を流しすぎた。MP回復を待っても明日生きている保証はない。
決まりだ。気力を振り絞り、出口へ歩き出した。




