第九話 花火
夕暮れの南方都市グランセルは、祭りを待つ人々で賑わっていた。
大通りには色鮮やかな布が渡され、軒先には小さな灯りが吊るされている。
通りの両側には露店が並び、焼いた肉や魚、甘い菓子の匂いが風に乗って流れていた。
遠くで太鼓の音が響いている。
王家の賓客として招かれたシリウスは、祭りの始まる少し前に会場へ入った。
普段の騎士団での服装とは違い、今日は白いシャツの上に淡い色の上着を羽織っている。
襟元には王家の紋章をあしらった飾りが留められ、銀髪もいつもより整えられていた。
その姿を、ユリアが少し離れたところから眺めている。
シリウスが振り返った。
「……なんだ?」
ユリアは答えず、シリウスの姿を上から下まで眺める。
そして、首を少し傾けた。
「ちょっとだけ、王子様っぽいです」
「最初から王子様なんだよ」
「……ああ、そうでした」
シリウスは眉を寄せた。
「お前な……」
ユリアは気にした様子もなく、祭りの通りへ視線を向けた。
シリウスは小さく息を吐いて、歩き出す。
ユリアもその後ろを追った。
通りへ出ると、人の波が二人を包んだ。
祭りの準備を終えた露店では、店主たちが客を呼び込んでいる。
子供たちは親の手を離れて走り回り、通りの中央では祭りの衣装を着た人々が行き交っていた。
屋台から立ち上る煙が夕暮れの空へ流れていく。
ユリアは足を止めることなく歩きながら、左右へ視線を向けた。
色とりどりの飾り。
並べられた料理。
見慣れない楽器。
人々の服装。
目に入るものが変わるたび、ユリアの視線がわずかに動く。
「迷子になるなよ」
前を歩くシリウスが言った。
「はい」
ユリアは返事をして、その背中を追う。
夕暮れの街に、太鼓の音が重なっていった。
日が落ちるにつれて、通りの人はさらに増えていった。
人と人との間隔が狭くなり、ユリアはシリウスの背中を見失わないよう、少し距離を詰めて歩いた。
露店の前には人だかりができていた。
焼いた肉を串に刺す音。
鉄板の上で油が弾ける音。
店先から飛んでくる呼び声。
通りのあちこちで、それぞれの音が重なっていた。
シリウスは人の流れに合わせて歩いていた。
ユリアも、その後ろをついていく。
ユリアの視線は、左右の露店へ向かっていた。
木箱に並べられた果物。
色鮮やかな布細工。
細い木を組み合わせた玩具。
店先を通るたびに、ユリアの目がそれらを追う。
けれど、足を止めることはない。
「何か見たいものがあるなら言えよ」
シリウスが振り返る。
ユリアは少し考えてから、首を横に振った。
「大丈夫です」
「そうか」
シリウスはそれ以上聞かず、再び歩き出した。
しばらく進むと、前方から大きな歓声が上がった。
祭りの中央に設けられた広場で、楽器を鳴らしている一団がいる。
太鼓の音に合わせて人々が手を叩き、輪の中では何人かの踊り手が軽やかに足を運んでいた。
ユリアが足を止める。
人の肩越しに、その様子を眺めている。
シリウスも立ち止まった。
「見るか?」
「……はい」
二人は少し離れた場所から、しばらくその輪を眺めた。
やがて演奏が終わる。
拍手が起こり、人の流れが再び動き始めた。
シリウスはユリアの方へ視線を向ける。
「行くぞ」
「はい」
ユリアが歩き出す。
しばらくして、夜空の向こうから低い音が響いた。
――ドン。
ユリアの肩がわずかに跳ねた。
周囲の人々が一斉に空を見上げる。
ユリアも遅れて顔を上げた。
夜空に大きな光が開く。
赤や橙の光が幾重にも広がり、細かな火の粉となって消えていく。
ユリアは黙って見上げていた。
けれど、花火が消えると、今度は周囲へ視線を戻した。
すぐ隣を人が通り過ぎる。
ユリアが一歩だけ身を引く。
また空を見上げる。
――ドン。
二発目の花火が夜空に開いた。
白い光が大きく広がる。
ユリアの瞳に、その光が映る。
けれど、後ろから聞こえた歓声に顔を向ける。
花火が消える。
シリウスは、その様子を横から見ていた。
次の打ち上げを待つように、ユリアがまた空を見上げる。
シリウスは周囲を見回す。
人の波は途切れない。
シリウスが小さく息を吐いた。
「……ユリア」
「はい」
呼ばれて、ユリアが振り向く。
シリウスは人の少ない通りの方へ顎を向けた。
「こっち来い」
ユリアがそちらを見る。
シリウスは先に歩き出した。
ユリアも、その後を追った。
人の多い通りを外れ、露店の並ぶ場所から少しずつ離れていく。
建物の間を抜けると、祭りの音が遠くなった。
人影も少ない。
開けた場所に出ると、夜空が広く見渡せた。
シリウスが足を止める。
ユリアもその隣で立ち止まった。
遠くから太鼓の音が聞こえる。
祭りのざわめきも、風に混じってかすかに届いていた。
シリウスが空を見上げる。
「ここなら、ゆっくり見れるか?」
「……」
ユリアは答える代わりに、空へ視線を向けた。
しばらくして、遠くで打ち上げの音が響く。
――ドン。
夜空に、大きな花が開いた。
赤、青、白。
幾重にも重なった光が広がり、細かな火の粉となって夜空から消えていく。
ユリアは顔を上げたまま、それを見ていた。
「こういう綺麗なものは、ちゃんと見ておけ」
次の花火が上がる。
今度は黄色い光が夜空いっぱいに広がった。
その光が消えるまで、ユリアは目を逸らさなかった。
また一つ。
さらに一つ。
花火が上がるたび、ユリアの瞳に色とりどりの光が映る。
人の声は遠い。
太鼓の音も、風に乗ってかすかに届くだけだった。
やがて花火が途切れる。
夜空が暗闇に戻った。
ユリアはしばらく、その空を見上げたまま立っている。
シリウスが横目で見る。
「満足したか?」
ユリアがゆっくりと瞬きをする。
「……はい、綺麗です」
「そうだな」
シリウスも空へ視線を戻した。
遠くで、次の打ち上げ音が響く。
ユリアが顔を上げる。
夜空に、新しい光が開いた。
お読みいただき、ありがとうございます。
この話を少しでも気に入っていただけたら、
感想やレビュー、リアクションなどをぜひお願いします!
次回もお楽しみに!!




