第十話 騎士団の日常②
朝の訓練が終わった。
騎士たちが水差しを運び、使い終えた布を集めていた。
シリウスも木剣を木箱へ戻すと、上着を拾い上げた。
袖を通し、襟を整える。
「シリウス様」
背後からユリアの声がした。
「ん?」
「背中、砂だらけです」
シリウスが肩越しに振り返る。
「どの辺だ?」
「この辺です」
ユリアはそのままシリウスの背中についた砂を手で払った。
「……自分でできる」
「知ってます。でも、私の方が速いです」
ユリアはわずかに口元を緩ませ、シリウスの肩から背中へ、何度か手を滑らせる。
「……」
背中の砂を払い終えると、ユリアはそのままシリウスの頭の方へ手を伸ばす。
「頭にもついてます」
「……ん」
シリウスがわずかに頭をユリアの方へ寄せる。
ユリアの指先が銀髪に触れ、細かな砂を払っていく。
「取れました」
「ああ」
少し離れたところで片付けをしていた騎士たちが、二人を見ていた。
「……ずいぶん懐いたな」
木剣を木箱へ戻していた騎士が、手を止める。
「ああ、ユリアも変わったよな」
隣の騎士が二人へ目を向ける。
「最初は『はい』とか『分かりました』だけだったのにな」
騎士の一人が口元を緩める。
「今じゃ、シリウス様の世話まで焼いてる」
「……いや、ユリアもだけどさ……」
別の騎士が顎を上げる。
その視線の先で、ユリアが水差しを手に取り、シリウスへ差し出している。
「シリウス様だよ」
「……ああ、たしかに」
騎士が肩を揺らして笑う。
「『自分でできる』って言いながら、なんだかんだユリアの世話を受け入れてるもんな」
「俺たちが世話を焼くと、やんわり距離を取るのにな」
騎士が腕を組み、シリウスを見る。
「城で世話されるのが嫌で、こっちに入り浸ってるような人がなぁ……」
「それが今じゃ、あれか」
騎士たちが顔を見合わせる。
シリウスが何かを言い、ユリアが小さく笑って頷く。
「俺たちじゃ、ああはいかないな」
シリウスとユリアは並んで訓練場を出ていった。
騎士たちはその背中を見送る。
しばらくして、一人が腕を組んだまま口を開いた。
「でも俺、今のシリウス様の方が、なんか好きだわ」
「分かる」
別の騎士が笑う。
「俺も」
三人の間に、小さな笑い声が漏れた。
廊下の先で、シリウスが何かを話している。
ユリアが顔を上げる。
やがて、ユリアの口元がわずかに緩んだ。
その様子を、訓練場へ続く廊下の向こうからローランが見ていた。
ローランは壁に寄りかかり、腕を組む。
「……野良猫を拾っただけのつもりだったが」
シリウスとユリアの姿は、廊下の向こうへ消えていった。
「……思ったより、効果があったな」
窓から差し込む陽射しが、訓練場の砂を白く照らしていた。
風が吹き抜ける。
騎士たちは再び片付けに戻った。
木剣を収める音、水差しを置く音が、訓練場へ響いている。
◇
王城の回廊には文官や騎士、貴族たちが行き交い、時折、靴音や話し声が響いていた。
高い窓から差し込む光が、磨かれた石床を照らしている。
シリウスは一人、回廊を歩いていた。
白い上着の裾が、歩みに合わせて揺れる。
角を曲がろうとしたところで、話し声が聞こえた。
「最近、シリウス様が少女を連れて歩いているそうだ」
シリウスの足が止まった。
少し先の窓際に、数人の貴族と議員が立っている。
互いに顔を寄せ、声を抑えて話していた。
「私も見ましたよ。騎士団の伝令部にいる少女だとか」
「シリウス様が、ずいぶんと近くに置いているらしいですな」
「街でも一緒に歩いているところを見た者がいるそうです」
男の一人が口元に手を添えた。
「……シリウス様も、女遊びを覚えられたのかもしれませんな」
「おいおい」
別の男が肩を竦めて小さく笑う。
「王族ともあろう方が、あまり感心しませんな」
「品格を疑われても仕方がないでしょう」
「相手の素性も、さほど知られていないのでしょう?」
「ええ。最近、騎士団で働き始めた娘だとか」
低い笑い声が重なった。
シリウスは足を止めたまま、男たちを見ていた。
表情に変化はない。
やがて話し声が別の話題へ移る。
シリウスは何も言わず、踵を返した。
来た道を戻っていく。
靴音が、石床に一定の間隔で響いた。
しばらくすると、貴族たちの声は聞こえなくなった。
庭の木々が、かすかな音を立てて揺れる。
窓から入り込んだ風が、シリウスの首筋を撫でた。
◇
数日後。
王都の大通りには、昼を過ぎても人の流れが途切れなかった。
露店の前では客と店主が声を交わし、荷車が人の間をゆっくりと進んでいる。
通りの端を、シリウスとユリアが歩いていた。
ユリアはシリウスの少し後ろを歩いている。
人とすれ違うたび、道を空けるために横へ寄る。
その際、シリウスの歩みに合わせるように前へ詰まり、二人の距離が近くなる。
肩が触れそうになったところで、シリウスが半歩横へ移動する。
ユリアも足を止めず、そのままついていく。
しばらくして、前方から荷物を抱えた男が歩いてきた。
ユリアが再びシリウスの方へ寄る。
腕が触れそうになった瞬間、シリウスがもう一歩横へ避けた。
「……もう少し離れろ」
「……?」
ユリアが足を止め、足元を見る。
それから一歩だけ後ろへ下がった。
「これくらいですか?」
「……ああ、それくらいでいい」
「分かりました」
ユリアは頷き、再び歩き始める。
シリウスも歩き出す。
だが、しばらくすると人の流れに押され、二人の距離がまた近くなった。
ユリアは横目でシリウスを見る。
シリウスは前を向いたまま、半歩だけ横へずれた。
ユリアは首を傾げる。
それでも何も言わず、少し離れた位置を歩いた。
午後の訓練場。
木剣の打ち合う音が、乾いた音を立てて響いていた。
砂の上を騎士たちが行き交い、その脇ではユリアとシリウスが向かい合っている。
「もう一度」
シリウスが木剣を構える。
ユリアも木製の短剣を構える。
足を踏み出す。
木剣がぶつかり、ユリアが横へ回る。
シリウスが振り向く。
ユリアはさらに間合いを詰めた。
そのまま背後へ回り込む。
シリウスが振り返るより早く、ユリアが背中に飛びついた。
腕を肩口に回し、短剣をシリウスの首筋に軽く当てる。
シリウスの身体が止まる。
「……お前」
シリウスが横目で振り返る。
「……恥じらいはないのか?」
「恥じらい?」
ユリアはわずかに首を傾げて、シリウスの顔をのぞき込む。
シリウスは視線を逸らした。
耳元が、わずかに赤い。
「……シリウス様の胆力が鍛えられて、良いかと」
「胆力ぅ?」
シリウスの眉がわずかに上がる。
ユリアは背中から離れ、何事もなかったように姿勢を正した。
「色仕掛けをしかけようとする、不埒な輩がいるかもしれません」
「……」
「私で慣れておけば、安心ですね」
妙に得意気に頷くユリアに、シリウスは黙り込む。
しばらくして、シリウスは木剣を下げる。
「……お気遣い痛み入るが」
息を吐いて肩を落とす。
「お前が不埒な輩にならんでくれよ」
「はい」
ユリアはにこりと笑った。
シリウスは眉を寄せる。
「……ちゃんと分かっているのか?」
「何がです?」
「……もういい」
シリウスは目を伏せ、再び息を吐く。
その様子にユリアはわずかに口元を緩め、短剣を握り直す。
「では、もう一度お願いします」
「……ああ」
シリウスも木剣を構え直した。
乾いた音が、再び訓練場に響いた。
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