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【シリウス・ユリア編】星風の国物語~呼び笛の向こうへ~  作者: 月森みのり


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第七話 王子様

 

 昼を少し過ぎた頃。

 騎士団の食堂には、昼食を終えた騎士たちの姿が残っていた。

 開け放たれた窓から風が入り込み、卓上の布をわずかに揺らしていた。


 ユリアはシリウスの向かいに座り、黙々と食事を続けている。

 匙を持つ手は一定の速さで動いていた。

 シリウスはそんなユリアを眺めながら、手にした杯を机へ置いた。


「しかし、どうするかな」


 ユリアが顔を上げる。

 シリウスは少し首を傾けた。


「剣ならすぐ教えられると思ったんだが……あまり教える必要がなさそうだ」


 ユリアは手を止めた。


「……すいません……?」


 シリウスは目を瞬かせる。


「いや、褒めてるんだよ」


「……」


 ユリアはしばらくシリウスを見ていたが、やがて視線を皿へ戻した。

 匙が再び動き始める。


 少し離れた席で食事をしていた騎士が、隣の男と顔を見合わせた。

 シリウスはそれを横目に見てから、改めてユリアへ視線を戻した。


「文字は読めるか?」


 ユリアが顔を上げる。


「少し」


「……何が読める?」


 ユリアは匙を置いた。

 細い指が膝の上で揃う。


「……街の看板とか、値札とか」


「そうか」


 シリウスは顎に手を添えた。


「本を読んだことは?」


「ありません」


「なら、今度何か持ってくるか」


 ユリアは小さく頷いた。


「書くことは?」


「やったことありません」


「じゃあ、それもだな」


 シリウスは指を一本立てるようにして、机の端に置かれていた木皿を軽く叩いた。


「算術は?」


「さんじゅつ?」


 シリウスの眉が上がった。


「……金の計算はできるか」


「できます」


 ユリアは迷わず頷く。

 シリウスは少し考えて、懐へ手を入れた。

 取り出した革袋を机の上に置き、口を開く。

 硬貨をいくつか取り、机に並べる。


 銀色の硬貨と、少し色の違う銅貨。

 ユリアの視線がそこへ落ちる。


「三十ルクは?」


 シリウスが硬貨を指差す。

 ユリアはすぐに手を伸ばした。

 何枚かを選び、シリウスの前へ並べる。


「これで三十です」


「五十ルクは?」


 ユリアは先ほど並べた硬貨の横へ、足りない分を追加した。


「五十」


 シリウスは並んだ硬貨を見下ろす。


「……八十ルクの買い物をして、百ルク出したら?」


「二十ルクのおつりです」


「百ルク持っていて、六十ルク使ったら?」


「四十ルクです」


「三十ルクのものを二つ買ったら?」


「六十ルク」


 シリウスは一つ頷いた。


「問題なさそうだな」


 ユリアは何も言わず、机の上の硬貨を眺めていた。

 シリウスは硬貨を革袋へ戻しながら、ふと思い出したように顔を上げる。


「じゃあ、歴史はどのくらい分かる?」


「れきし?」


 ユリアが首を傾げる。

 シリウスの手が止まった。


「国の成り立ちとか、歴代の王のこととか」


「知りません」


「……そうか」


 シリウスは革袋の口を閉じた。


「……今の王は?」


「知りません」


 その瞬間。

 周囲の騎士たちの手が、一斉に止まった。


 食堂に、奇妙な静けさが落ちる。

 ユリアだけが、何が起きたのか分からない様子でシリウスを見ていた。

 シリウスはゆっくりと顔を上げる。


「……お前、俺の立場はどう認識している?」


 ユリアは少し考えた。

 それから、答える。


「……団長よりも偉い人」


 シリウスの目が見開かれた。

 食堂の空気が固まる。

 誰も口を開かない。


 ユリアは左右を見回した。


「……変なことを言いましたか?」


 数秒の沈黙の後、シリウスの肩が震えた。


「……はははっ」


 シリウスが笑い出す。


「すごいな、お前!」


 ユリアが目を瞬く。


「俺のことを知らないまま、ここに馴染んでたのか!」


「笑い事じゃありませんよ、シリウス様!」


 離れた席から騎士の声が飛ぶ。

 シリウスは笑いながら片手を上げた。


「いや、俺も自意識過剰だっただけだ」


 そして、ユリアへ向き直る。


「ちゃんと自己紹介をしていなかったな」


 シリウスは背筋を伸ばした。


「ユリア。今の王は、アルトゥス・ゼフィールだ。覚えろよ」


「はい」


「そして俺は、その次男。シリウス・ゼフィールだ」


「……王子様……?」


 ユリアが目を瞬く。

 シリウスは口元を上げた。


「ああ、王子様だ」


 ユリアはしばらくシリウスを見つめていた。

 その視線が、頭の先から足元までゆっくりと動く。

 

「……そうなんですね」


 反応の薄いユリアに、シリウスは苦笑した。

 革袋を懐へ戻す。

 それから、改めてユリアを見た。


「お前は?」


「……ユリアです」


「姓はないのか?」


 ユリアの指が、膝の上でわずかに動いた。


「……レイン」


 シリウスは一度、口の中で確かめるように呟いた。


「ユリア・レインか」


 それから、頷く。


「うん。いい響きだな」


「……」


 ユリアは返事をせず、手元の皿へ視線を落とした。

 シリウスはその様子を眺めていたが、やがて椅子の背にもたれた。


「好きなものはあるか?」


 ユリアが顔を上げる。


「……好きなもの?」


「ああ。食べ物でも、場所でも何でもいい」


 ユリアはすぐには答えなかった。

 机の上に残っていたパンへ視線を向け、それから窓の外を見る。

 

「……林檎と木苺……あと……西通りのパン屋……」


 シリウスの口元が緩む。


「食べ物ばかりだな」


「……」


 ユリアが少しだけ眉を寄せる。

 シリウスは笑った。


「いや、悪いとは言ってない」


 食堂の端で、先ほどからこちらの会話を聞いていた騎士が小さく吹き出す。

 ユリアがそちらへ目を向けると、騎士は慌てて視線を逸らした。


 シリウスは立ち上がった。

 椅子の脚が床を擦り、乾いた音を立てる。


「街に出よう」


「……街?」


 ユリアは椅子に座ったまま、シリウスを見上げた。


「まずは、お前の知っていることを教えてくれ」


「……はい」


 ユリアが立ち上がる。

 食堂の窓から、明るい日差しが差し込んでいた。

 


お読みいただき、ありがとうございます。

この話を少しでも気に入っていただけたら、

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次回もお楽しみに!!


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