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【シリウス・ユリア編】星風の国物語~呼び笛の向こうへ~  作者: 月森みのり


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第五話 ユリアの才能


 昼下がりの騎士団本部。

 開け放たれた窓から、夏の風が入り込んでいた。

 執務室の机には書類が積まれ、その脇には使用済みの木箱や空になったインク瓶が置かれている。


 ローランは一枚の書類に目を通し、向かいの椅子に腰掛けているシリウスへ視線を向けた。


「当面、ユリアは雑用係として置くつもりです」


「雑用?」


 シリウスが椅子の背にもたれたまま、首を傾げる。


「はい」


 ローランは書類を机の上に置いた。


「騎士として扱うには、相応の教育が必要です」


「まあ、それはそうだな」


 シリウスが窓の外へ目を向ける。

 中庭では、数人の騎士が木剣を手に訓練を続けていた。


 その端を、一人の少女が横切っていく。

 焦茶色の髪を揺らし、両手に水の入った桶を抱えている。

 少女――ユリアは、足を止めることなく建物の中へ消えていった。


 シリウスがその姿を目で追う。


「伝令部じゃないのか?」


 ローランが顔を上げた。


「伝令部?」


「あいつ、速いぞ」


 シリウスは窓枠に肘を置いた。


「ここ数日見てたけど、雑用を頼むと妙に戻ってくるのが早い」


「……」


 ローランは窓の外を見る。

 ちょうどユリアが再び姿を現した。


 今度は腕に書類を抱えている。

 中庭を横切り、別棟へ向かう。

 騎士の間を通るときも、足を止めることはない。


「確かに、そうですが」


 ローランは腕を組む。


「伝令は前線にも出ます。戦闘経験のない者を、そこへ回すのは危険すぎます」


「……そうか」


 シリウスは椅子から身体を起こした。

 机の上の書類へ目を落とし、それから再び窓の外を見る。

 ユリアの姿は、もう見えない。


「……じゃあ、試してみるか」


 ローランが眉を上げた。


「試す?」


「どれくらい速いのか。伝令に向いてるのか。知りたくないか?」


 ローランはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……分かりました」


 シリウスが口元を上げる。

 その頃、廊下の向こうからユリアの足音が近づいてきていた。




 しばらくして、ユリアが執務室へ入ってきた。

 両手には、畳んだ布が積まれている。


「持ってきました」


「ああ。そこに置いてくれ」


 ローランが机の脇を指す。

 ユリアは言われた通りに布を置き、軽く手を払った。

 シリウスが椅子から立ち上がる。


「ユリア」


「はい」


「ちょっと付き合え」


 ユリアが顔を上げる。


「どこへ?」


「中庭だ」


 シリウスは先に歩き出した。

 ローランも後に続く。


 中庭へ出ると、訓練を終えた騎士たちが木剣を片付けていた。

 シリウスが一人の騎士に声をかける。


「グレン」


「はい」


 呼ばれた騎士が振り向いた。

 背が高く、鍛えられた身体をしている。

 腕まくりした袖から、太い腕が覗いていた。


「ちょっと走ってくれ」


「走る?」


「ああ、こいつと」


 シリウスがユリアを指す。

 グレンがユリアを見る。

 しばらく黙ったあと、視線をシリウスへ戻した。


「……何をする気ですか?」


「ちょっとした遊びだよ」


 グレンは困ったように眉を寄せた。

 周囲の騎士たちも、何事かと手を止めている。

 シリウスは中庭の端に置かれた地図を広げた。


「王都の西側にある菓子店、鍛冶屋、それから薬屋。この三か所を回って、それぞれ指定された物を受け取って戻ってこい」


 地図の上を指でなぞる。


「先にここへ戻ってきた方が勝ちだ」


 グレンが地図を覗き込む。


「……結構な距離がありますね」


「だからお前を選んだ」


 シリウスが笑う。


「騎士団の中でも足が速いだろ」


「……まあ」


 グレンが肩をすくめる。

 シリウスはユリアを見る。


「分かったか?」


「はい」


「何か質問は?」


 ユリアは地図を見る。

 菓子店、鍛冶屋、薬屋。

 三つの場所を順番に指でなぞる。


「ありません」


「よし」


 シリウスが地図を畳んだ。

 それぞれに小さな袋が渡される。

 グレンは軽く足首を回し、肩をほぐした。

 ユリアはその隣で、ただ立っている。


「位置につけ」


 二人が中庭の門前へ並ぶ。

 グレンが腰を落とす。


 ユリアは立ったまま、通りの先へ目を向けていた。

 正面には王都の大通り。

 行き交う人々の向こうに、いくつもの建物が並んでいる。


 シリウスが手を上げた。


「それじゃあ――」


 風が中庭を抜ける。

 ユリアの焦茶色の髪が、ふわりと揺れた。


「始め!」


 グレンが地面を蹴った。

 砂が跳ねる。

 一気に身体を前へ運び、そのまま大通りへ駆けていく。


 ユリアは――動かなかった。


 数歩先へ走っていくグレンの背中を見ている。

 シリウスが眉を上げる。


 ユリアは大通りを見た。

 それから、騎士団の建物の脇へ視線を移す。

 細い通路。

 その先には厩がある。


 ユリアが、くるりと踵を返した。

 シリウスの目が細くなる。


「……そうくるか」


 ユリアは答えない。

 そのまま厩へ向かって走り出した。




 厩へ駆け込むと、数頭の馬が一斉に顔を上げた。

 乾いた蹄の音が響き、藁が揺れる。

 ユリアは並んだ馬を一頭ずつ見ていく。


 黒毛の馬の前で足を止めた。

 馬が首を伸ばす。

 ユリアは手を差し出した。

 鼻先が手のひらに触れる。

 そのまま、馬の首を一度だけ撫でた。


「少し、借ります」


 馬具に手をかける。

 鞍に足をかけ、身体を持ち上げた。

 背に跨る。


 厩番が目を見開いた。


「おい――」


 止める間もなかった。

 ユリアは手綱を握り、馬の首を軽く叩いた。

 馬が一歩、前へ出る。

 もう一度、ユリアが身体を傾ける。

 馬が歩き出した。


 厩の出口を抜ける。

 そのまま王都の通りへ駆け出した。

 蹄の音が石畳を叩く。


 ――パカッ、パカッ、パカッ。


 中庭では、シリウスが腕を組んだまま、その音を聞いていた。

 その隣でローランが眉間に皺を寄せる。


「シリウス様」


「ああ」


「馬を使うとは聞いていませんが」


「俺も聞いてないな」


 シリウスは苦笑した。

 ローランが額を押さえる。

 ユリアの姿は、すでに見えなくなっていた。




 しばらくして、遠くから馬の蹄の音が聞こえてきた。


「戻ってきたぞ」


 誰かが声を上げた。

 騎士たちが一斉に門の方を見る。


 通りの向こうから、馬が姿を現した。

 その背に、ユリアがいる。

 馬は速度を落とさない。


 門前まで来ると、ユリアが手綱を引いた。

 馬が前脚を踏み替え、勢いを殺す。

 ユリアは軽く身体を起こした。

 馬が止まる。


 ほとんど同時に、騎士団の門をグレンが駆け抜けてきた。


「はぁ……っ、はぁ……!」


 息を切らしながら、グレンが足を止める。

 その手には、三つの店で受け取った袋が下がっていた。

 そして、そのすぐ前。

 ユリアが馬の上からグレンを見下ろしている。


 その姿を見て、グレンは肩を落とす。


「それはズルいだろ!」


 ユリアは首を傾げた。


「馬を使ってはいけないとは、言われてません」


 グレンは荒い息を吐きながら、ユリアの乗っている馬を見る。


「……その馬、どうしたんだよ?」


「厩から借りました」


「誰に許可を取った?」


「取ってません」


 再び首を傾げるユリアに、グレンは黙った。


 ユリアは馬から降りた。

 馬の首に手を添える。

 馬は抵抗することなく、ユリアの肩へ鼻先を寄せた。

 ユリアがその鼻筋をゆっくり撫でる。


 シリウスはその様子を眺めながら、歩み寄る。


「……お前、乗り方はどこで覚えた?」


 ユリアが顔を上げる。


「どこでもありません」


「……?」


「初めて乗りました」


 その一言に、騎士たちにざわめきが広がる。


 厩から顔を出していた厩番まで、目を丸くしている。


「初めて……?」


 シリウスが呟く。

 ユリアは頷いた。


「はい」


 馬が、もう一度ユリアの肩へ鼻先を寄せた。

 ユリアは何も言わず、その首を撫で続けていた。


 シリウスは馬の足元へ目を落とした。

 蹄には、まだ王都の石畳の埃が残っている。


 次に、ユリアの手元を見る。

 握られた手綱は緩い。

 それでも馬は、ユリアのすぐ横から離れようとしなかった。


「……ちょっと、その辺を走ってみろ」


 ユリアが顔を上げる。


「もう一度ですか?」


「ああ」


 シリウスは中庭の奥を指した。


「好きに走ってみろ」


 ユリアは小さく頷いた。

 馬の背に手を置き、軽く身体を持ち上げる。


 再び鞍へ跨る。

 足を置く。

 手綱を取る。

 

 ユリアは鞭も使わず、声もかけない。

 わずかに身体を前へ傾ける。

 馬が歩き出した。


 一歩。

 二歩。


 やがて歩幅が大きくなる。

 蹄の音が一定の間隔で重なっていく。


 ユリアの身体が、馬の動きに合わせて上下する。

 手綱を引く手に余計な力はない。


 馬が速度を上げる。

 ユリアも自然に身体を伏せる。

 風が髪を後ろへ流した。


 砂が後方へ跳ねる。

 馬はさらに速度を上げた。

 中庭を横切り、建物の脇を抜ける。


 ユリアは一度も姿勢を崩さない。

 曲がり角では、馬が身体を傾ける。

 ユリアも同じ方向へ身体を傾けた。

 まるで、最初からそう走ることを知っていたかのようだった。


 シリウスはその姿を目で追っていた。

 馬が遠ざかる。

 すぐに方向を変え、こちらへ戻ってくる。

 蹄の音が近づいてくる。


 その一瞬、風を切る音。

 焦茶色の髪が大きくなびく。


 そうして、シリウスの目の前を駆け抜ける。


 馬はそのまま中庭の奥へ走っていく。

 そして、再び大きく弧を描いて戻ってきた。

 今度は速度を落としながら、シリウスの前へ近づいてくる。


 ユリアが手綱を軽く引いた。

 馬が足を止めた。

 砂が小さく舞う。

 ユリアは馬上からシリウスを見る。


「戻りました」


「……ああ」


 シリウスは返事をしながら、馬とユリアを交互に見る。


「……本当に、初めてなのか」


「はい」


 ユリアは答えた。

 馬が首を伸ばす。

 その鼻先がユリアの腕に触れた。

 ユリアが首筋を撫でる。

 馬が気持ちよさそうに目を細めた。


「こいつが教えてくれました」


 馬が自慢げに小さく鼻を鳴らす。

 その様子を見て、シリウスの口元がわずかに緩んだ。


「……天才、というのは」


 シリウスは小さく呟いた。


「お前のような者のことを言うんだろうな」


「……?」


 ユリアが首を傾げる。


「何か?」


「いや、何でもない」


 シリウスは顔を上げた。

 それから、ローランへ振り返る。


「ローラン」


「はい」


「見ただろ。こいつは伝令部に回せよ」


 シリウスはユリアを指した。


「この才を埋もれさせるのは、さすがに勿体ないぞ」


 ローランはユリアを見た。

 続いて、シリウスを見る。

 しばらく黙ったあと、深く息を吐いた。


「……承知しました」


 ローランが肩を落とす。


「ただし」


 続く言葉に、シリウスが眉を上げる。


「こいつの教育は、シリウス様がなさってくださいね」


「……え?」


 馬が小さく鼻を鳴らした。




お読みいただき、ありがとうございます。

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次回もお楽しみに!!


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