第四十六話 熱②
騎士団本部の門前に、一台の馬車が停まった。
馬車から降りたルシアンは、門番に声をかけた。
「陛下からユリアさんへのお見舞いの品をお預かりしているんですが」
「……少々、お待ちください」
門番は一礼すると、詰所の奥へ引き返した。
しばらくして、ローランを伴って戻ってくる。
ルシアンは思わぬ人物に眉を上げた。
「騎士団長殿。お忙しいところ、申し訳ありません」
「いえ。わざわざありがとうございます」
ローランはルシアンの手元にある籠へ目を向けた。
果物の隙間から、封をされた手紙が覗いている。
「伯爵。まだお時間はありますか?」
「急ぎの用事はありませんが」
「あいつ、熱も下がっているようなので、会ってやってくださいませんか?」
ルシアンはわずかに目を瞬いた。
「ご負担にならないでしょうか?」
「じっとしてるのが苦手なやつです。話し相手がいる方が、気が紛れます」
ローランの言葉に、ルシアンは口元を緩めた。
「そういうことでしたら、ぜひ」
病室に入ると、ローランとルシアンは足を止めた。
ユリアが横になっているはずの寝台には、誰もいなかった。
「……あいつは?」
シーツ交換に来ていた看護師が、困ったように答えた。
「伯爵がいらっしゃったと聞いた途端、飛び出して行かれて……」
ローランは目を閉じた。
ルシアンは籠を持ち直し、わずかに首を傾げた。
「飛び出して、というのは……?」
答えを待つ間もなく、廊下の向こうから声が響いた。
「ルシアン伯爵ー!」
二人が振り向く。
配達人の制服を着たユリアが、灰色マントと配達鞄を手に走ってきた。
髪は水に濡れ、肩には手拭いが掛かっている。
「配達ですね?どちら宛ですか?」
ユリアはにこりと笑った。
「…………」
「…………」
ローランとルシアンは、揃って黙り込んだ。
やがて、ローランは額に手を当て、深いため息をつく。
「お前宛だ、馬鹿」
「…………へ?」
ユリアは首を傾げた。
その様子に、ルシアンは口元を緩めて肩を揺らした。
「お仕事熱心な方ですね」
ルシアンがユリアへ籠を差し出す。
「陛下からのお見舞いですよ」
ユリアは目を瞬いた。
しばらく籠を見つめていたが、やがて両手で受け取った。
「……ありがとうございます」
小さく頷いたユリアの髪から雫が落ち、肩の手拭いに染み込んでいく。
ローランは眉を寄せた。
「何でまた、そんなに濡れている?」
「汗をかいたので水を浴びてきました」
「……ぶり返すぞ」
ローランは息を吐いて、ユリアの肩から手拭いを取った。
そのまま濡れた髪を雑に拭った。
「わっ……ちょっと、もう少し優しくしてください」
「うるさい」
ユリアが頭を引こうとしても、ローランは構わず髪を拭き続けた。
しばらくして、ローランは手拭いをユリアの肩に戻す。
その手が今度は灰色マントと鞄に伸びた。
「あと数日は安静にしていろ。これは、預かっておく」
ローランはそう言って、ユリアから灰色マントと鞄を取り上げた。
ユリアは眉を寄せ、わずかに唇を突き出した。
「えー……」
「えー、じゃない」
二人の様子に、ルシアンは口元を緩めた。
ローランが去ると、ユリアは寝台に腰を下ろした。
手には、陛下から届いた手紙がある。
果実の入った籠は、脇の棚に置かれていた。
ルシアンは近くの椅子を引き寄せ、腰を下ろした。
「団長殿と仲がよろしいんですね」
ユリアは手紙に目を落としたまま、髪の毛先に触れた。
「ここでは、皆あんな感じですよ」
「では、皆さん仲がいいんですね」
「……そうですね」
ユリアは小さく笑った。
ルシアンは、彼女の着ている配達人の制服に目を向けた。
「その姿もすっかり見慣れましたが……夜会で護衛についておられた頃が、少し懐かしいですね」
ユリアの指が、髪の毛先で止まった。
「今もそういった場にはいますよ」
「ああ、そうでしたね。でも、役割が違えば、勝手も違うのでは?」
「守るものが少し変わっただけです」
「おや、そうですか」
ルシアンは目を細め、ユリアを見た。
ユリアは手紙を膝の上に置き、封の端を指でなぞった。
「……陛下にも、心配を掛けちゃったみたいです」
ルシアンは穏やかに笑った。
「それだけ、あなたを大事に想われているのでしょう」
ユリアはわずかに目を瞬き、俯く。
それから、頬に掛かった髪を指先に巻きつけた。
「自覚がありませんでしたか?」
「いえ……改めて言われると、ちょっと……」
小さく呟くような声に、ルシアンは肩を揺らす。
カーテン越しに陽が差し、白いシーツに淡い影が広がった。
「そういえば、港の方はどうですか?」
ユリアが顔を上げる。
「この前、船が少し遅れていると聞いたんですけど」
「ええ、風向きが安定しなかったようで……」
話題はそのまま、港に出入りする商人たちのことや、街で流行っている店などへ移っていく。
ユリアは、知っていることを一つずつ話した。
ルシアンは時折相槌を打ち、ときには自分の知る話を交えながら耳を傾けた。
老舗の食事処が改装されたという話題の時だった。
「そのお店なら、前にシリウス様と行ったことが……」
そう言って、ユリアの表情が固まった。
ルシアンが視線を向けると、ユリアは静かに手元へ視線を落とした。
「……伯爵は、こういう話は嫌じゃありませんか」
ルシアンはわずかに眉を上げ、ユリアを見る。
「……こういう話、というのは、シリウス様のことですか?」
「はい」
「嫌ではありませんよ。お好きなように話していただいて構いません」
ユリアはじっとルシアンを見つめた。
ルシアンは穏やかに笑みを浮かべている。
ユリアは肩を落として、小さく笑った。
それからゆっくりと話を再開する。
「前に、シリウス様と行ったときは……」
話題は次々に移ろっていく。
ユリアは楽しそうに話し続けた。
仕事や任務の合間にシリウスと街を歩いたこと。
服や土産物を買ってもらったこと。
シリウスの鍛錬に付き合い、武闘大会での活躍を見届けたこと。
夜会の警護として側についたこと。
グランセルの祭りで花火を見たこと。
文字の書き方を教わり、万華鏡をもらったこと。
思い出すたび、ユリアの口から新しい話がこぼれた。
ルシアンは時折相槌を打ちながら耳を傾けた。
話しているうちに、ユリアの声が少しずつゆっくりになっていく。
やがて、言葉と言葉の間に、短い沈黙が挟まるようになった。
「……それで、シリウス様が……」
ユリアはそこで口を閉じた。
まぶたが重そうに下がっている。
ルシアンは、膝の上で組まれたユリアの手に目を向けた。
「少し眠られては?」
「うーん……そうですねぇ」
ユリアは名残惜しそうに頷いた。
それでも、すぐには横にならなかった。
しばらく俯いていたが、やがて顔を上げる。
「伯爵、ありがとうございました」
「いえ。私は何もしていませんよ」
ルシアンは穏やかに答えた。
ユリアは小さく首を振った。
「シリウス様のことを話せたの、久しぶりだったんです」
ユリアは手紙を膝の上に置いた。
「お城でも騎士団でも、なんか話しにくくて……」
言葉を一度区切り、ユリアは笑った。
「ちょっと嬉しかったです」
ルシアンは、ユリアを見つめた。
「それは、何よりです」
ルシアンは口元を緩ませる。
ユリアは満足そうに頷き、ようやく枕へ頭を預けた。
「……おやすみなさい、伯爵」
「ええ。おやすみなさい」
ユリアは目を閉じた。
ほどなくして、寝息が聞こえ始める。
ルシアンは椅子に腰掛けたまま、静かにその寝顔を見守った。
窓から差し込む午後の光が、寝台の端を照らしていた。
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